コラムニスト・小田嶋隆
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です
今回は昨日読んだ小説の話を書きます。
最近は以前に比べて、小説を読んでいません。
あまりにも浮世離れしているというか、赤裸々に密着しすぎているというのか。
いずれにしても息苦しい作品が多すぎるからです。
エンタテイメントとして読めば、確かに退屈な時間を埋めてくれます。
しかしそれだけでは、読む気力が芽生えません。
論理の空白を補う真実の匂いが欲しいのです。
といって、あまりにもどぎつい真実だけではつまらないというのですから、実に贅沢で我が儘放題であることは、自分でも十分承知しています。
なぜ小田嶋隆なのか。
それは全くの偶然からです。
先日訪れた書店に、彼の著作がずらりと並んでいました。
その中でつい手に取ったのが、『小田嶋隆の学歴論』でした。
この本は2000年に初版が出版されたものです。
その後、文庫本に細々と入っていたのです。
それが昨年末、彼の死後に単行本として再出版されました。
最初に見かけた時、タイトルがふざけていると思いました。
しかし、つい手にとったのが運の尽きです。
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最後までその場で立ち読みをしてしまったのです。
痒い背中を、孫の手でひっかいた時の気分に似た読後感が残りました。
いけないものを見てしまった感もありましたね。
普段、口にしない半分は意識の深層にあった感情を、無理に引きずり出されたような気分です。
読む必要があったのかといえば、それはないですね。
しかし面白かった。
教師という仕事を長くやっているせいか、学校ネタには敏感です。
つい疑似餌と知りながら、食いついてしまったという自分の弱みを感じました。
ご自身で読んでみてください。
大きな声で叫ぶほどのことではありません。
しかし深層には確かにあると認めざるを得ない真実が、散りばめられています。
膨大な量のコラム
この人にはコアな読者がたくさんついているということを、それ以後あらためて知りました。
彼が連載していた雑誌を、もう買い続ける意味を失ったという書き込みも随分あります。
驚きました。
一言でいえば、文章が軽いのです。
だからといってつまらないのではない。
誰もが気づいていない場所まで、軽いノリで降りていくフットワークがあります。
それが嫌味でないのは、人徳のなせるわざかもしれません。
コラムニストと呼ばれる人は、過去に何人もいました。
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世上のアラで飯を食うという姿勢を示していなければ、すぐ振り落とされてしまいます。
文章のうまさなどは当たり前です。
読後、思わずニヤリとしたり、感心のため息がもれてこなければ失格なのです。
何冊か、彼のコラムをお読みになることを勧めたいですね。
こういう感覚は、すぐに身につくものではありません。
泥沼の中から真っ白な蓮の花が咲くのと同じです。
全く同類のメカニズムでしょう。
何度も痛い目に会わなければ、絶対に書けない内容です。
最後に書いた小説
その彼が最後に試みたのが小説の執筆でした。
あとがきにすごく楽しかったと書いています。
今では小説こそ、素人が書くべきジャンルの文芸であると言い切っているのです。
もっと早くからやっていればよかったと後悔していたようです。
小田嶋隆は、昨年(2022年)6月に突然逝去しました。
この本は32編からなる短編集です。
1つ1つの話が実に短くせつないです。
タイトルは『東京四次元紀行』。
東京23区をそれぞれ舞台にした連作の形をとっています。
『月刊サイゾー』に連載されたものです。
初版が亡くなった翌月にすぐ出版されました。
それだけ完成度が高かったということなのでしょう。
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アマゾンでも評判はいいですね。
最近読んだ本の中では、実に面白かったです。
青春の匂いがそこいらじゅうにします。
ほとんど私小説かと思える作品もあります。
どれもが数ページで終わるものばかりです。
東京の各地が、それぞれの主人公を色濃く性格づけます。
今のように表面だけがきれいな東京ではありません。
これから高度経済成長をしていく段階の、その少し前あたりの風景から始まります。
小田嶋本人をイメージさせる大学生の生活には、心惹かれるものがありました。
当たり前のようにクラスメートの男子や女子がいて、それぞれが不確かなまま揺れ続けています。
同棲をしては別れ、結婚をして子供をもうけたかつての級友や、親戚の子が突然、アパートを訪ねてきたりします。
既に家族という単位では計り知れない時代に突入しかかっていたことを、予感させるのです。
東京っ子
東京の持つさまざまな表情を、見事に捉えています。
かなり長い間、東京で暮らし続けていなければ、見えない風景ばかりです。
生粋の「東京っ子」でなければ描写できなかったでしょう。
登場人物たちが、妙にいきがっています。
弱みをみせたら負けになるという都会のセオリーを、背中にしょっているのです。
ストーリーはつながっていません。
それぞれが独立しています。
しかし時に以前の登場人物たちが出てきて、動き回ります。
彼らを貫くものは何なのか。
あまり楽しそうにはみえませんね。
東京の持つ熱にあぶられて、喉が渇いている人たちばかりです。
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生きている実感をどうしたら持てるのか、もがき続けています。
もちろん、答えなどでてきません。
1番最後の短編「月日は百代の過客にして」は何度もループする話です。
同じ時間に同じ場所にでかけ、そこで同じ行動をとる。
その間に自分が生きているのか、眠っているのかさえ、不確かになっていきます。
自分の状態をはっきり認識したのは、病院のベッドの上でした。
道路に飛び出していった小学生の男の子を救って、その代わりにバスに轢かれたのです。
宝探しの旅に出かける時間はどこへいったのか。
とにかく不思議な本です。
ただし全部読んでもハッピーな気分には全くなれません。
彼はもっと長い小説を書きたかったに違いないのです。
享年65歳。
早すぎる死でした。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。