夢幻能を大成
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
アマチュア落語家でもあります。
この道楽を始めてから、なぜか能に親しむようになりました。
最近は能舞台で落語を演じる風景も目にします。
違和感がなく、すんなりと溶け込んでしまうのが不思議です。
どこかに共通点があるのでしょうか。
それはどこから来るのか。
一生懸命に探し始めました。
そのためのヒントは世阿弥の著した『風姿花伝』。
別名、花伝書にあります。
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時々猛烈に読み返したくなる不思議な本です。
世阿弥についてはご存知ですね。
能楽を現在の形にした人です。
世阿弥が生まれたとき、父である観阿弥は31歳でした。
大和申楽(猿楽)の有力な役者でもあったのです。
世阿弥は幼い頃から父の一座に出演していました。
1375年頃、父親の猿楽能に12歳の世阿弥が出演したとき、室町将軍足利義満の目にとまったと言われています。
それ以後、義満は観阿弥・世阿弥親子を庇護するようになりました。
将軍義満と世阿弥との関係については、さまざまな憶測がなされています。
2人の関係に着目した小説としては杉本苑子著『華の碑文』が有名です。
かつて読んで強い衝撃を覚えました。
1384年に観阿弥が没して後、世阿弥は観世流の家元を継ぎました。
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当時の貴族・武家社会は幽玄を好みました。
世阿弥は落ち着いた美を漂わせる能の形式「夢幻能」を大成させていったのです。
現在多く演じられる能は、夢の世界を描いた世阿弥の作ったものが主流です。
彼は将軍や貴族の保護を受けながら教養を身につけていきました。
連歌などから、謡の詞章を選んでいます。
義満の死後かつてのように庇護を受けられなくなっていったことも彼の内省を深めました。
この頃に書かれたのが『風姿花伝』なのです。
1400年頃に完成したと言われています。
秘すれば花
代表的な世阿弥の言葉をここにあげてみました。
初心忘るべからず
男時・女時
時節感当
衆人愛敬
離見の見
家、家にあらず、継ぐをもて家とす
稽古は強かれ、情識はなかれ
時に用ゆるをもて花と知るべし
年々去来の花を忘るべからず
秘すれば花
住する所なきを、まず花と知るべし
よき劫の住して、悪き劫になる所を用心すべし
どれか1つくらいは目にしたことがあるはずです。
これだけの言葉の意味が理解できていれば、もう人生を終わりにしてもいいのかもしれません。
なんとなくそんな気もします。
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この中でもっとも有名なのは「秘すれば花」です。
誰も知らない自分だけの芸、いわゆる秘伝を持つことを世阿弥は常に考えました。
いつもは絶対に隠しておくのです。
いざという時の勝負の技にすれば、相手を圧倒できるというのです。
幾つもある座の中でトップに立ち、生き残らなければ食べていけませんでした。
まず生活のために能楽師たちは芸の修練に励みました。
隠しておくこと。
それが花になるのだと世阿弥は言います。
花とは何かということもよく言われます。
大きくは「時分の花」「まことの花」に分けられます。
「時分の花」は、青少年期の役者が持つ幼さ、若さといった魅力に依存するため、いずれ消えてなくなります。
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「まことの花」は、役者の実力そのものです。
外観には依存しません。
幾つになっても衰えない美しさです。
現代でも、自分の可能性を広げるために秘する花を持つことは大切ですね。
いざという時にそのスキルが世界を広げます。
できれば「まことの花」が欲しいです。
本当の力があれば、年老いても力が衰えてなくなることはないのです。
全ての芸能に通ずる
『花伝書』は不思議な本です。
世阿弥は能について語っているだけなのに、けっしてそれだけにとどまらず、広く芸能全般について、あるいは人生のさまざまな場面を見事に論じているのです。
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たまたまここ数年、落語という一つの古典芸能を通じて、芸というもののほんの片端に触らせていただいている身としては、心にしみる言葉がたくさんあります。
ことに強い印象を持ったのは、風姿花伝第三問答の条々です。
これは一問一答形式になっています。
申楽を演じる人々の苦悩がそのままの問いかけの形になっているので、大変迫力があります。
その中に、座敷の吉凶ということがあります。
どうやってそれを知ればいいのかという方法論をストレートに訊ねています。
とくに神事の能などで見物人がたくさんおしかけ、落ち着かない時にどう人々の心を静めるかということです。
それこそ刹那を狙いすましてぴたりと幕開きの一声をあげよとあります。
タイミングの妙でしょうか。
間といってもいいかもしれません。
その一瞬の時に声を出さなければ場は死んでしまうとあります。
また陰陽の和するところを知らなければ、面白くはならない。
陰の時に陰の申楽は慎まなければならないとあります。
昼でも座敷がしめって寂しい時は心を入れて華やかに舞うということです。
昼は場合によって陰の気になる時があるものの、夜は陽の気になることはないと言い切っています。
これなども落語を語る時にそのまま使える内容のような気がします。
特に今日のお客は重いという表現を噺家はよくします。
その時に意識して使える忠告なのではないでしょうか。
またよく「稽古は強かれ、情識はなかれ」という表現もつかわれます。
これは自分より芸格が低い人をどうみるかという時の一問一答です。
その時に使われるのが「上手は下手の手本、下手は上手の手本」という言葉です。
どんな人からも、学ぶことはあるということです。
情識という表現はうぬぼれと言い換えてもいいでしょう。
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「稽古は常に厳しく、うぬぼれはなくせ」というのが、世阿弥の格言なのです。
それだけ、人は自分に甘いということなのでしょう。
これも心に刻んで精進しなくてはならない大切なことです。
芸能というものの持つ奥深さでもあります。
その他に男時(おどき)、女時(めどき)を知れとか、さまざまな表現がちりばめられています。
どれも実感を持って読むことができます。
風姿花伝の重み
現在の観世宗家は観世清和氏です。
父親左近は「なんのために能を舞っているのか」と繰り返し彼に訊ねたそうです。
能は観ている人の寿福増長に繋がらなくてはだめだ、と父は明言しました。
どんな時にも祝言の心を忘れてはならない、と。
それを世阿弥は「衆人愛敬欠けたるところあらんをば、寿福増長の為手とは申しがたし」
と述懐しています。
また彼が20歳を過ぎた頃、父左近は黄色い風呂敷包みを取り出し、万一大きな災害にあった時、これだけを抱えて生き延びなければならない。
家族などはどうでもよい。わかったかと告げました。
中には600年近く守り抜いた『風姿花伝第六花修』が入っていたのです。
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命にかえても守り抜く能の魂とはなにか。
最近は「離見の見」という言葉を自分に言い聞かせています。
自分を第3者として、遠くから冷静に見る。
これが落語を演じる時には大切です。
噺に没入してはいけません。
どこかに醒めた目をもっていなければいけないのです。
花伝書はあらゆる芸能にとって魂の書と言えます。
「まことの花」を目指して修練を積む以外に道はありません。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。