論理国語
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
新しい『論理国語』の教科書を手にいれました。
高校2年になると、今年から『文学国語』か『論理国語』を4単位学びます。
新指導要領に伴い、新しくつくられた教科です。
論理性を身につけるという、グローバル時代の要請に基づいて構築されたのです。
所収されている文章の大半は評論文です。
以前は小説、詩、評論などの混じった教科書を使っていましたが、今年の4月から、現行のものになりました。
受験をメインにした高校では、『文学国語』の教科書を使うことはほぼないだろうと言われています。
このサイトでも今後は『論理国語』から文章を取り上げていく予定です。
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今回、最初に目に入ったのが福沢諭吉の「学問のすすめ」でした。
最終章に配置されていました。
「近代、現代社会を考える」という章の中の一篇です。
最初の書き出しは誰もが大変よく知っています。
しかしその後まできちんと読み通した人は、あまりいないのではないでしょうか。
斎藤孝氏は積極的に訳を試みていますね。
現代を俯瞰するときに通じる要素がたくさんあるという事実を、そこに感じているからだろうと想像します。
福沢諭吉の著書の中で最も面白いのは、なんといっても『福翁自伝』です。
現在は青空文庫で読めます。
試しに開いてみてください。
これほどに自由闊達な人間がいたのかというのが実感です。
大学を創設する以前、咸臨丸に乗ってアメリカへ行った頃の話などは、冒険小説を読んでいるのと同じくらいの面白さに溢れています。
学問のすすめ
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。
されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資とり、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。
されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥どろとの相違あるに似たるはなんぞや。
その次第はなはだ明らかなり。
『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。
されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。
また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。
そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。
すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役りきえきはやすし。
ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。
身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々の者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本もとを尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。
諺にいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。
されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。
ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。
学問とは、ただむずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。
これらの文学もおのずから人の心を悦ばしめずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、さまであがめ貴ふとむべきものにあらず。
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古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。
これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。
無理ならぬことなり。
畢竟その学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。
されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。
譬えば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合いの仕方、算盤の稽古、天秤の取扱い等を心得、なおまた進んで学ぶべき箇条ははなはだ多し。
地理学とは日本国中はもちろん世界万国の風土道案内なり。
究理学(物理学)とは天地万物の性質を見て、その働きを知る学問なり。
歴史とは年代記のくわしきものにて万国古今の有様を詮索する書物なり。
経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。
修身学とは身の行ないを修め、人に交わり、この世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり。
これらの学問をするに、いずれも西洋の翻訳書を取り調べ、たいていのことは日本の仮名にて用を便じ、あるいは年少にして文才ある者へは横文字をも読ませ、一科一学も実事を押え、その事につきその物に従い、近く物事の道理を求めて今日の用を達すべきなり。
実学重視
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
このフレーズくらい、有名なものはありません。
小学生でも知っています。
しかし本当の意味を腹の底から、実感として知っている人は多くはないのです。
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何が賢人と愚人を分けるのか。
それは学んだ人と、学ばなかった人との差だというのです。
わかりやすい表現ですね。
学問をして物事の道理をよく知っている人が、貴人となり富人となります。
無学なる者が貧人となり下人となるのです。
だから学べと彼は言います。
しかしその学びとは、文学的教養だけを身につけるというものではありません。
むしろ実学に重点を置きなさいと主張しています。
緒方洪庵の適塾で、医学をはじめとした「学び」の本質を知ったことが彼の論理に大きな影響を与えています。
理財に強い慶応の学風もここから生まれているといえるのです。
福沢諭吉
福沢諭吉は1834年に生まれ、1901年66歳で生涯を閉じた日本の思想家、教育者です。
父親は大分県の中津藩士でした。
諭吉が1歳のときに亡くなったのです。
時代の波の中を生きた人といっていいでしょうね。
彼の思想は明治維新を支えました。
時代が変わったと感じさせたのは、それまで学んだオランダ語が既に過去のものになりつつあったことです。
そこからすぐ照準を英語に切り替えました。
オランダ語が通じないとわかった時のショックは大きかったようです。
しかし彼が他の人と違うのは、その場ですぐに修正してしまうことです。
幸い、語学の系統が似ていたため、英語の勉強にそれほどの時間はかかりませんでした。
蘭学が時代にあわなくなっていくなかで、諭吉は独学で英語を勉強しました。
それが日米修好通商条約の批准のため、役人を派遣した咸臨丸への乗船のチャンスとなりました。
知人の桂川甫周を介して軍艦奉行の従者として、この使節団に加わる機会を得たのです。
その時の様子は『福翁自伝』『西洋事情』に詳しくまとめられています。
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儒教思想や慣習を捨てて、最新の学芸全般を西洋から学ぶことにしたのです。
明治5年(1872年)、有名な『学問のすすめ』をまとめました。
賢人と愚人を分けるものは唯一、学問です。
いったいなぜ平等に生まれたはずの人間に、このような差ができてしまうのか。
頭を使う難しい仕事にはどうしても学んでいる人が就くことになるため、身分は高く、収入も多くなります。
福沢は学問をするうえでは、自分の身の程を知ることも大切だと書いています。
自分のお金で酒に溺れて身を持ち崩そうと自由ではないかという人がいたら、それは誤りだと断言しています
一人の放蕩ぶりが周囲に悪影響を与えて、社会の風俗を乱すのです。
その罪を許してはならないと手厳しく糾弾しています。
現代は価値観が揺れている時代です。
福沢諭吉の学ぼうとする真摯な態度に、もう1度自分の姿を映してみるべきでしょう。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。