【タイの僧院にて】文化人類学者が素手で知った托鉢とアジアの純真

文化人類学とは

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は異文化理解の視点から、何冊かの本をご紹介します。

青木保著『異文化理解』(岩波新書)がそれです。

久しぶりに読み返しました。

筆者についてご存知ですか。

文化人類学者です。

元文化庁長官でつい数年前までは国立新美術館館長でもありました。

文人類学の研究者には行動派の人が多いですね。

なんでも興味や関心をもつと、自分でそれをやってみないと納得しないという傾向があります。

著者もかなり行動力のある人物のようです。

タイ文化を研究し始めた途端、どうしても僧侶に1度はなってみなければと決心したそうです。

外からではなかなか理解できないことが多いのです。

文化人類学というのは本当に裾野の広い興味深い学問です。

関心のある方は是非、入門書などを読んでみてください。

基本は異文化をどう理解するのかということです。

学問は自分の所属する文化に視点の基準をおきます。

しかし文化人類学はその中に分け入っていくのです。

フィールドワークといって、現地で暮らし、彼らの価値観を共有してはじめて見える風景からテーマを探り出していくのです。

だからとてもユニークで面白い研究になります。

南洋の島やアフリカの原住民の中に飛び込んでいくだけでも大変な勇気がいりますね。

彼らの暮らしには人間が原初に抱く怖れの感情があります。

祭り、婚礼、葬礼など、人間にとっての原点がありのままに残っているのです。

それを丹念に調べ、現代へ光をあてます。

視点を逆にすることで、今まで見えなかったものが浮き彫りになるというワケなのです。

異文化理解

異文化理解は、グローバル化の進んでいる現在、避けて通れません。

宗教観の違いが、世界を複雑にしているのは承知の通りです。

イスラムの教えといってもなかなかその中にいない人には理解できません。

そこに政治がからむと、なお複雑です。

世界中の国々にはそれぞれの考え方があります。

ほんのわずかでもヒントをつかまえるにはどうしたらいいのか。

そこに本書を読む意義があると感じました。

とはいえ、読み終わった後の感想はますます複雑になるばかりだったのです。

とても異文化を理解した気にはなれません。

確かに方向性を指し示してはもらえた気はします。

しかし異文化を理解したなどとはとても言えないのです。

なぜでしょうか。

著者の言うように、異文化理解には本来ものすごく時間がかかるからなのです。

それこそ、彼のように僧侶にならなければ本当の意味でタイ文化がわからないのと同じです。

考えてみれば、日本文化だって、日本の中で暮らしてみなければ少しも分かりません。

実際に生活してもわからないことばかりなのです。

現代は、IT技術が発達しています。

誰もが手っ取り早く情報を入手しようとする時代です。

なんとか早くポイントだけでもつかむことはできないのか。

誰もが考えることは同じです。

ところが異文化理解には全く逆のスローなアプローチが必要です。

時代に逆行した方法です。

先入観を排除してその中にひたすら浸かってみるしかありません。

ここが1番厄介なところです。

絶対に自分の属している文化を優位に考えてはいけないのです。

しかしやってみると実に難しいことがわかります。

タイで僧侶になる

『異文化理解』を読んでいたら、タイで僧侶になった時の経験を書いた一節が出てきました。

彼には『タイの僧院にて』(中央公論社)というかなり以前にまとめられたルポもあります。

つい最近、新版が別の出版社から出ました。

今回、どうしてももう一度読み返したくなり、こちらも再読してみたのです。

タイには一時僧の制度があります。

これは男子だけに許されたシステムで、誰でもどこかのワット(寺)に修行僧として入ることができるのです。

すでに修行を終えたものはどこが誇らしげです。

まだの人は必ず近いうちにと思っているようです。

権力欲、物欲だけでは支配しきれない考え方がタイにはたくさんあります。

この国の懐の深さを象徴している制度とも言えるのではないでしょうか。

つまり全く別の次元で人間を判断する尺度とでも言った方がいいかもしれません。

タイの人々は日本人がとうに失くしたものを今でも、たくさん持っているような気がします。

僧になるにはいくつかの関門があります。

最初にパーリー語によるスワットモン(教典)を完全に覚えなければなりません。

元々フィールドワークか宗教のどちらかに照準をあてようとしていた筆者は、若い頃僻地の民族とあれこれ接触を試みたことがあるようです。

レヴィ・ストロースの『悲しき熱帯』に憧れていた彼にとって、ある意味では当然の帰結でした。

この本は文化人類学を学ぶ人にとってはバイブルのような性格を持っているのです。

しかしスパイ活動と間違われ、ついに活動を断念せざるをえなくなりました。

そうした過程の後、宗教への傾斜を深めていったようです。

そこに登場したのがタイなのです。

文化人類学の研究のために訪れた国で、青木さんは自分が僧になるなどとは想像もつかなかったと言います。

しかし文化の内側に入るための手段として、これ以上のものはないとも言えるでしょう。

もちろんその時の彼に邪心はありませんでした。

功徳を積む

テラワーダ仏教(小乗仏教)と呼ばれる戒律を重んじる宗教の内部に自分を閉じこめてみたい。

突然の衝動が彼を突き動かしました。

純粋な願いだったようです。

2万以上もある僧院の中で、どこへ修行に行くのかということは大きな意味を持ちます。

彼が望んだワット・ボヴォニベーは雲の上の存在でした。

タイ教学の中心地であり、厳格な修行で有名なタマユット派の総本山でもあったのです。

毎朝の日課は托鉢(ピンタバート)から始まります。

僧は黒い鉢を持ち、その中に食事を入れてもらうのです。

その際、ワイと呼ばれる合掌をするのは施し(サイ・バート)をする側です。

僧は一言も口をききません。

無言で感謝の気持ちを伝えるだけです。

寺に戻り食事をした後、スワットモンを唱え、朝のお勤めが終わります。

タイにはタン・ブンという考え方があります。

これは僧になった人に功徳をつむことで俗世間にいながら、少しでも仏の道に近づきたいとする考え方の基本なのです。

テラワーダ仏教では僧になって修行を積む以外、救われる方法はありません。

筆者は結局半年の間、表面的には単調な日々を送るものの、精神的には大きな収穫をあげていきます。

しかし歯の治療に訪れた時、長い間の食生活からか、血がとまらなくなり、栄養失調と判断されます。

それが最後通牒でした。

彼はスック(還俗)を決心します。

長老に挨拶をし、最後に祈りを捧げ、長かった僧院生活に別れを告げたのです。

最近では日本にも外国人の禅僧がいる時代です。

けっして珍しいことではないのかもしれません。

qimono / Pixabay

しかし日本人でこのような経験をした人はそれほど多くないのではないでしょうか。

長老に祈った時、頬をつたって落ちた涙は尽きることがなかったといいます。

青木さんは最後に「私のこれまでの生の中で、物心ついてからあのような訳のわからない涙になきぬれたことはない。これが僧修行のもたらした最大のものであった」と綴っています。

僧になる修行はいつの時代でも容易いことではありません。

しかし異国の地で、それをやりとげた人には見えた何かがあるはずです。

この本を読みながら、何度も羨ましいという気分と自分には出来ないという相反する気持ちがこみ上げてくるのを感じました

近代的な社会から離れて、自分を一時的に全く異質の存在に変えてしまうことの意義は、自己実現のためだけではないのです。

社会にゆとりがなくなったら文化も消え果ててしまうでしょう。

この本を読みながらいろいろなことを考えました。

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皆さんにも一読をお勧めします。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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