【漢文・百喩経】笑いに包んで人生の真実を説いた特異な仏教経典

百喩経

みなさん、こんにちは。

今回は漢文の中でも特異な経典を紹介します。

経典といっても、難しい言葉で解説したものではありません。

誰もがふっとそんなことがあるなと感心してしまうような笑い話です。

しかしその奥には人生の真実がたくさん含まれています。

元々は古代インドの説話をまとめたものと言われています。

最初に寓話が示されます。

簡単にいえば喩え話です。

愚かな人間たちの行動をやや誇張して描いたものです。

その次に人としての道を説いた訓話が出てきます。

ここでなるほどと誰もが納得するのです。

この本の存在は中国でも広く知られています。

『阿Q正伝』などで名高い作家の魯迅はこの本の出版を資金を出して後援までしています。

日本にも早くから経典の一部として伝わりました。

しかし一般にはあまり広まらず、主に僧侶と文人の間で読まれたのです。

法話などに利用されて各地へ広まっていったもの思われます。

全体はほぼ100話からできています。

今回はその中でも特に有名な話を読みます。

わかりやくすーいえば、インド版「イソップ物語」のようなものを連想してもらえればいいと思います。

まるで落語のような笑い話ですが、読んだ後、これはもしかして自分のことかもしれないとふと考えてしまいます。

とても笑い飛ばせる内容ではありません。

最初に書き下し文を示し、次にあらすじを説明しましょう。

ゆっくりと味わって読んでみてください。

書き下し文

昔夫婦有り、三番の餅を有す。

夫婦共に分け、各一餅を食らふ。

余一番在り、共に要言を作す。

若し語る者有らば、餅を与へざるを要す。

既に要を作すのみ。

一餅の為に故に各敢へて語らず。

須臾(しゅゆ)にして賊有り、家に入り偸盗し其の財物を取る。

一切の所有は尽く賊の手に畢(をは)る。

夫婦二人先の要を以てし、故に眼に看るも語らず。

賊語らざるを見て、即ち其の夫の前に将に其の婦を略取せんとす。

其の夫眼に見るも亦復た語らず。

婦便ち賊に喚び其の夫に語りて言ふ。

云はく、「何ぞ痴人なるや、一餅の為に故に賊を見て喚(さけ)ばざるはと」。

其の夫拍手し笑ひて言ふ。

「我餅を得んことを定む、爾(なんぢ)に与へずと」。

世人之を聞き嗤笑せざるは無し。

凡夫の人も亦復た是くのごとし。

小名利の為に故に現を詐り静黙すれば、虚仮煩悩種種悪賊(きょかぼんのうしゅしゅあくぞく)の侵略する所と為る。

あらすじ

昔々、ある夫婦が三つの餅を食べようとしていました。

二人で三つですから、一つずつを食べて、一つが残りました。

残りの餅を二人で分ければ良いのですが、どういうわけか、もし言葉を発するものがいたら黙っていた方がもらってしまうという約束をしました。

つまり黙り続けた方が勝ちなのです。

二人がじっと黙っているところに、なんと盗賊が家に入ってきました。

そして、財産を次々と盗んでいったのです。

それを見ても二人は黙っていました。

盗賊は夫婦が黙りこくっているのを良いことに、妻におそいかかろうとしました。

夫はその様子を見ていましたが、それでも黙っています。

たまりかねた妻は、「あなたは何て愚かな人なのでしょう。一つの餅のために盗賊に何も言わないなんて」と声を荒げたのです。

すると夫は、「やった、わしの勝ちだ。この餅はわしのものだからな」と手をたたいて笑ったのでした。

この夫は、目の前にある餅にとらわれて、目の前で妻をおそう盗賊を見逃してしまいました。

わずかな名誉や利益のためにわざと現実をゆがめて、黙って何もしないでいれば、偽りや煩悩といったさまざまな悪いものに入りこまれてしまうのです。

それが世の中というものです。

とても信じられないような話ですね。

経典にはこの後、私たちの煩悩についていろいろと示されています。

食べるというのは人間の欲望の基本です。

しかし泥棒が自分の妻に襲いかかるという危機に際しても、それを捨てられないということはどうでしょうか。

ここからが教訓です。

ポイントはなにか。

人生の中で最も大切なものは何かということです。

日々の暮らしのなかで、人間は目先のことばかりにとらわれていることが多いです。

その日、一日を過ごすのに、みんな汲々としているのです。

大切なことを置き忘れてきたとしても、誰もそれに気づかない。

誰もそんなはずはない。

私はちゃんと気づいていますと言うかもしれません。

しかし本当でしょうか。

塩のはなし

こんな話もあります。

料理には塩が大切だと誰もが言います。

その通りですね。

しかし塩があれば、もっと多くいれれば、きっとおいしくなるだろうとある男は考えたのです。

なんにでも塩を多く入れすぎた料理を作ってしまい、とんでもない思いをするという笑い話です。

これなどはまさに過ぎたるは及ばざるがごとしをそのまま表現しています。

昔は文字の読めない人が大半でした。

そこで寺の本堂などに人を集め、よく法話がされたのです。

人としてどう生きたらいいのかという道徳を説いたのです。

もちろん、その中に仏の道が教え諭されていたのはいうまでもありません。

そういう時に、この『百喩経』は便利な本でした。

ここから1つか2つの話をすれば、聞いている人たちはなるほどと納得しながら、仏道に帰依していったのです。

お坊さんのありがたい話はこうして、日本中に広がっていきました。

今回の寓話では、妻に襲いかかった危機よりも、餅の方が大切だとする姿が描かれています。

こういう態度をとり続けていれば、この世の迷いから永遠に抜け出すことができないと悟りにも達せないと説いているのです。

たとえ災いにあったとしても、それをきちんと自分のものとして受け止める態度がいかに大切かということを、わかりやすく示しているのです。

この他にもたくさんの愉快な話があります。

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日本昔ばなしの原型にもなっています。

この機会に少し読んでみてはいかがでしょうか。

今回も最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

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