その魅力
みなさん、こんにちは。
ブロガーのすい喬です。
今回はいつもと趣向を少しかえまして、作家池波正太郎について考えてみようと思います。
亡くなって今年で30年がたちます。
没年は1990年5月、死因は急性白血病でした。
しかし彼の人気は現在も衰えることを知りません。
今年に入っても『剣客商売 婚礼の夜』がフジで3月に放映されました。
NHKでは現在『雲霧仁左衛門』を放送中です。
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またフジではBS時代劇『雲霧仁左衛門5』が8月から放送されます。
その他、さいとうたかおのコミック『鬼平犯科帳』も連載中。
大島やすいちが味わい深い筆致で描く『剣客商売』もあります。
なぜこれほどに池波正太郎の作品は愛されるのでしょうか。
この作家の魅力はどこにあるのか気になります。
今日、時代劇作家はたくさんいます。
かつてもいました。
吉川英治の名前を知らない人はいないでしょう。
『宮本武蔵』「新平家物語』『三国志』など、そのスケールの大きさは他に類をみません。
山岡荘八の『徳川家康』なども壮大な小説です。
その一方で活劇のある時代小説を書いたのは柴田錬三郎です。
名前を知っているでしょうか。
『眠狂四郎』のシリーズなどは大変な人気でした。
その他に海音寺潮五郎などもいます。
その一方で純文学との境にいたのは司馬遼太郎です。
司馬史観と呼ばれる独自の歴史観が多くの読者を得ました。
幕末から明治維新、さらに日露戦争あたりまでの小説では、この人の右にでる人はいません。
坂本竜馬、高杉晋作、西郷隆盛などの活躍を知るには、恰好の小説です。
また秋山好古、秋山真之兄弟などの活躍を『坂の上の雲』で知った人も多いはずです。
さらに市井の民と武士の魂を縦横に描ききった藤沢周平も忘れることができません。
『蝉しぐれ』は何度読んでもすばらしい本です。
このように時代小説にはたくさんの作家たちが関わってきました。
なぜ池波正太郎なのか
ではなぜ池波正太郎なのでしょうか。
本当のところ、よくはわかりません。
しかしあえて一言でいうなら、酸いも甘いもかみ分けた人間通のまなざしでしょうか。
その確かさへの信頼かもしれません。
実はこの記事を書き出したのにはワケがあります。
昨日『雲切仁左衛門』を読了したばかりなのです。
久しぶりに彼の小説を手にとりました。
文庫本で700ページ近いのが上下2冊。
読みでがありましたね。
しかし彼の世界にすぐ引き込まれ、十分に酔ったというのが本当のところです。
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作品自体の出来は、『鬼平犯科帳』の方が上だと感じます。
なぜかといえば、悪党の雲切仁左衛門とそれを取り締まる火付盗賊改方という特別警察のどちらにスポットをあてるかで、少し迷った形跡があるからです。
『雲切仁左衛門』は鬼平とあだ名された長谷川平蔵が活躍する『鬼平犯科帳』より半世紀前の話です。
安部式部が率いる秘密警察、火付盗賊改方がやっと力を持ち始めた頃のことなのです。
人を殺めずに盗みを働くという雲切仁左衛門と火付盗賊改方のデッドヒートは面白かったです。
しかし偶然に左右されて、人が特定されるという作劇には少し疑問も残りました。
とくに宿屋の風呂場で、覚えていた声の質から犯人だと気づいたというところはやや、浮き上がってみえます。
もちろん科学捜査のない時代ですから、そいうこともあったでしょう。
1番読んでいて興味を持ったのは悪人たちの中における人間関係の濃淡についてです。
一味の中で雲切仁左衛門本人の顔を知っているのはほんの1人か2人です。
それ以外はつねにつなぎと呼ばれる人から短い伝言をあたえられるだけ。
失敗が許されず、いくら逃げても必ず見つけられて殺されるという非情な世界です。
雲切仁左衛門は数年かけて、強盗をする豪商の家の内側に人間を配置します。
圧巻は取り締まる火付盗賊改方の中の人間をも懐柔し、スパイにしていたことです。
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やがて、ここからもほころびが発生してしまいます。
この部分の書き方は実に面白かったですね。
最後に盗みが失敗し、ついに姿をくらましてしまう主人公についてはさまざまな考え方もあるでしょう。
想像するに、池波正太郎は続編を書くつもりだったのでははないかとも思われます。
江戸の風
この作家が持つ匂いには特別のものがあります。
それが江戸の風です。
彼は東京浅草に生まれました。
待乳山昇天という寺院が浅草寺から少し歩くとあります。
その真ん前に実家があったのです。
現在、台東区図書館に池波正太郎記念文庫が設けられています。
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その一画に彼の執筆していた部屋を再現したコーナーがあります。
1度覗いてみてください。
待乳山昇天のあたりを歩いていると、なるほどこういう所で幼少時代を過ごしたのかということがよくわかります。
一言でいえば歓楽の巷です。
少し歩けば吉原。
少し歩けば仲見世です。
『真田太平記』の中にこんな言葉があります。
「人生の苦難に直面した男が求めるものは、酒と女にきまっている。この二つは、それほど男にとって貴重なものなのだ」
これが彼の基本的な人間観だったのです。
浅草の地で子供のころから見てきた経験の積み重ねが言わせたことなのではないでしょうか。
『真田太平記』は大長編ですが、読みごたえがあります。
どうしたら真田一族を末代まで残せるかということを真剣に考えた当時の人々の哲学を知ることができます。
ところで池波の描く女性像はどうでしょう。
ここに魅力を感じる人が多いのは事実です。
男たちが本能的に好む姿に仕上がっています。
実に魅力的な造形ばかりです。
思わず惚れ込んでしまうというのが実感でしょうか。
美食家として知られる彼にとって、酒と女を描けなければ、人間の真実にはせまれないという認識があったのでしょう。
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作家活動に入った頃、劇作家長谷川伸に師事したことも大きな転機になりました。
商業演劇の脚本家はお客さんに喜んでもらってはじめて一人前なのです。
自分だけが酔いしれていたのでは話になりません。
笑って泣いて、はじめてお客は満足することを彼は肌で感じました。
『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人藤枝梅安』の3大シリーズを続けてヒットさせるには、何が必要だったのでしょうか。
悪の楽しみ
『雲切仁左衛門』を読んで感じたのは登場する女盗賊の姿です。
硬い絆で結ばれた配下たちとの関係と、七化けのお千代に代表される女との間の間合いの取り方も絶妙です。
悪党になるための動機には多くの思惑があったのでしょう。
その基本はやはり金と女です。
誰もが一歩間違えば、そういう世界に足を入れてしまうという可能性を感じさせます。
欲望の持つ底知れなさがあるのです。
最初から悪い人間がいるのではなく、環境や、動機から次第に泥沼にはまっていく。
おそらく多くの人にとって、池波正太郎の世界はそれほどに遠いことではないのです。
まさかとは思うけれど、もしかしたら自分も同じようになるかもしれないという危険性をはらんでいます。
汚職事件などはまさにその典型的な例でしょう。
雲切仁左衛門は数年の時間をかけて、人を信用させ、商家の大切な金蔵のありかから、内部の見取り図まで作り上げていきます。
そのためには女を使い、主人の心をつかみ取るという技まで算段するのです。
悪の匂いには不思議な魅力が潜んでいます。
仕掛人梅安にも同じことがいえます。
仕掛人とは金で殺しを請け負う非道な稼業に他なりません。
その唯一の支えは「世の中に生かしておいてはためにならぬやつ」を成敗することです。
今日の世相の中で、この類の標的になる人間を探すのは実に容易でしょう。
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それくらいどこにでもいるという悲しい現実もあります。
頭が疲れたら『鬼平犯科帳』をお勧めします。
主人公長谷川平蔵の生い立ちの中にどこか自分自身と重ね合わせることのできる待避所があるような気がしてなりません。
彼の母親は巣鴨村の大百姓の娘です。
父である宣雄は長谷川家のために、子と母を置いて姪と再婚します。
近親婚で跡取をもたなかったため、17歳の時、平蔵は長谷川家に呼び戻されるのです。
しかし陰で妾腹の子と言われ続け、その反発から後に家を飛び出します。
平蔵は本所・深川界隈の無頼漢の頭となり、放蕩三昧の日々を送るのです。
父が亡くなった後、家督を継いで後に火付盗賊改方の長官に就任しました。
世の中の裏と表を知り、やがて世に出たことが鬼平の最大の強みとなりました。
人の心を読める人間に成長したのです。
1冊読むと、次を読みたくなります。
鬼平の性格が実に好ましくどうしても好きにならざるを得ないのです。
人間、苦労は買ってでもしなくちゃダメとはよく言ったものですね。
今回は少しあちこちに話が飛びすぎました。
それもこれも池波正太郎の作品が面白いからなのです。
ご容赦ください。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。