【源氏物語】紫式部が女性の生きざまを本気で描いた愛の世界の神話

愛の神話

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は高校で習う『源氏物語』の話をしましょう。

授業で何回かに分けてやります。

「桐壺」、「若紫」、「須磨」などは必ず取り扱いますね。

選択で古典をとる人にはもっと深くやります。

しかし途中でめげてしまう人も多いようです。

なぜでしょうか。

とにかく文法が非常に複雑なのです。

主語が全く書いてないので、読むのに手間がかかります。

人間関係を探りながら、筋をたどっていくのです。

どうやって判断しているのでしょう。

全て敬語からです。

尊敬、謙譲、丁寧。

この3つの敬語が複雑に絡まり合っています。

これを1つ1つほどきながら、読み進んでいくのです。

そのためにはきちんと敬語を勉強しなくてはいけません。

ところがこれが大変に難しいのです。

特に2方向への敬語があったりして、謙譲と尊敬が複雑な構造で入り組んでいるため、誰が主人公なのか、ぼんやりしているとわからなくなります。

途中まで試みても、だいたい挫折しますね。

その他、身分制度の約束とか、当時の風俗、習慣などもきちんと頭の中に入れておかなくてはいけません。

さらに54帖の間にはとんでもない数の人物が登場します。

この人間相関図がある程度頭の中にできていないと、何を読んでいるのかわからなくなるのです。

それじゃあ、やめようなんて言わないでください。

最も手軽な方法は漫画から入るのです。

全巻の大人買いをお勧めします。

あるいはとにかく現代語訳ですね。

誰のでもいいです。

いろいろな作家がチャレンジしています。

夏休みを全部つぶす覚悟があれば、OKです。

1度入り込むと、なかなか抜けられなくなります。

面白いですよ。

実によく出来ています。

紫式部はスーパースターだとしみじみ感じます。

光源氏の誕生

今回は1番最初の「桐壺」の段を取り上げます。

主人公の光源氏がどのようにして生まれたのか。

冒頭の部分を載せます。

声に出してつっかえなくなるまで読む練習をしてみてください。

いい気持ちになれます。

これこそが古文の命なのです。

——————————-

いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。

はじめより我はと思ひ上がり給へる御方々、めざましきものに、おとしめそねみ給ふ。

同じほど、それより下臈(げろう)の更衣たちは、まして安からず。

朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、いとあつしくなりゆき、もの心細げに 里がちなるを、いよいよ飽かずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえ憚(はばか)らせ給はず、世の例(ためし)にもなりぬべき御もてなしなり。

上達部(かんだちめ)、上人(うへびと)などもあいなく目をそばめつつ、いとまばゆき人の御覚えなり。

唐土(もろこし)にも、かかることの起こりにこそ、世も乱れ悪(あ)しかりけれと、やうやう、天(あめ)の下にもあぢきなう、人のもて悩みぐさになりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにて、交じらひ給ふ。

父の大納言は亡くなりて、母北の方なむ古(いにしへ)の人の由あるにて、親うち具し、さしあたりて世の覚え華やかなる御方々にもいたう劣らず、何ごとの儀式をももてなし給ひけれど、取り立ててはかばかしき後ろ見しなければ、事ある時は、なほ拠り所なく心細げなり。

前(さき)の世にも御契りや深かりけむ、世になく清らなる玉の男御子さへ生まれ給ひぬ。
いつしかと心もとながらせ給ひて、急ぎ参らせて御覧ずるに、めづらかなる児(ちご)の御容貌(かたち)なり。

一の皇子(みこ)は、右大臣の女御の御腹にて、寄せ重く、疑ひなきま(も)うけの君と、世にもてかしづき聞こゆれど、この御にほひには並び給ふべくもあらざりければ、おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、私物に思ほしかしづき給ふこと限りなし。

現代語訳

どの天皇のご治世であっただろうか、女御、更衣がたくさんお仕えしておられた中に、それほど高貴な身分ではない方で、とりわけ(帝の)ご寵愛を受けておられる方がありました。

(入内の)初めから自分こそは(帝の寵愛を得たい)と自負しておられた(女御)の方々は、(この方を)目にあまる者として、さげすみ嫉妬なさいます。

同じ身分(の更衣)、それより低い身分の更衣たちは、いっそう気が気ではありません。

朝晩の宮仕えにつけても、(他の)人々の心を動揺させるばかりで、恨みを受けることが積もり積もった結果であったのでしょうか。

たいそう病気がちになってゆき、なんとなく心細い様子で実家に下がりがちであるのを、(帝は)ますます限りなくいとおしいとお思いになって、他人の非難をも気にすることがおできにならず、世間の(悪い)先例にもなってしまいそうなご寵愛ぶりなのです。

上達部(かんだちめ)、殿上人(てんじょうびと)なども困ったことだと目を背け背けして、見ていられないほどでした。

お隣の中国でも、こういうことが原因で、世の中が乱れ悪い状態だったのだと、しだいに、世間でも苦々しく、人々の悩みの種となっていきました。

楊貴妃の例も引き合いに出されるようになってゆくので、まことにきまりの悪いことが多いですけれど、おそれ多い(帝の)お心遣いの比類がないことを頼りにして、宮仕えしておられます。

(更衣の)父の大納言は亡くなっていて、母(である大納言の)北の方は、古風で、教養のある人で、両親そろっていて、現在のところ世間の評判も際立っている(女御や更衣などの)方々にもそれほど劣らないように、(宮中の)どんな儀式をも取り図らいなさったのですけれども、ことさら取りあげるようなしっかりした後見人がいないので、特別なことがある時は、やはり頼る所がなく心細そうな様子です。

(帝と更衣は)前世でもご因縁が深かったのでしょうか、この世に比類なく清らかで美しい玉のような男の皇子までもお生まれになりました。

(帝は)早く(会ってみたい)と待ち遠しくお思いになって、急いで参内させて(若宮を)ご覧になると、めったにないほどすばらしいご容貌なのです。

第一皇子は、右大臣の娘で女御となった人(=弘徽殿女御)のお産みになった方で、後ろ盾がしっかりしていて、疑いなく皇太子(になられる方である)と、世間でも大切にお仕え申しあげているけれど、この(若宮の)つややかなお美しさには並びそうもなかったので、(帝は第一皇子を)ひととおりの大切な方としてのご寵愛で、この若宮は、秘蔵の子とお思いになって大切になさることこの上もありませんでした。

生老病死

この物語の悲劇はそれほど身分の高くない桐壺更衣(きりつぼのこうい)という女性が、帝から格別な寵愛を一身に受けことから始まります。

彼女より上の位には女御(にょうご)と呼ばれる人たちもいました。

みな、実家がすばらしい人達ばかりなのです。

当然他の妃たちからの嫉妬は、すごいものでした。

廊下に水を撒かれたり、鍵をかけられて、廊下を先へ進めなくなったり。

陰に陽に苛め抜かれます。

そうした中、光源氏が生まれます。

次期天皇になる兄が既にいたため、生まれたこの子は臣籍降下といって天皇家に残らず、源氏の名前をもらうのです。

そうすることで皇族に残る道を断ちました。

最悪のケースとして暗殺まで避けるという方法を取らざるをえなかったのです。

その間に、桐壺更衣は衰弱していくばかりです。

源氏が3歳の夏、あっけなく亡くなってしまったのです。

そこで母親に似た女性を帝は必死に探します。

光源氏は12歳で元服し、左大臣の娘、葵の上を正妻にしました。

しかし、母に似た継母・藤壺女御(ふじつぼのにょうご)を慕い続けます。

ここから話は一気に複雑になります。

後に藤壺は源氏との間に不義の子を産むことになるのです。

父の帝は自分の子と信じて育てます。

しかし実際は義理の親子の間にできた子供でした。

2人は誰にも言えない秘密を持ったまま、じっと時を過ごします。

当時の人々にとって死はごく日常のそばにありました。

子供の時に亡くなるだけではありません。

若くして病に罹り、はやく老いていくのです。

源氏も例外ではありませんでした。

仔細に読んでいくと、この物語には光源氏の苦悩や老いが色濃く描かれています。

華やかな一面だけをみたのでは、その本質をとらえることはできません。

紫式部もけっして平穏な結婚生活をおくったワケではないのです。

人間の苦しみを知っていたからこそ、これだけ多くの人に読まれる傑作を書き上げられたということなのでしょう。

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続きは近いうちに書きます。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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