【枕草子・宮に初めて参りたるころ】殿上人への憧れが清少納言を緊張させた

初めての出仕

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は『枕草子』について書きます。

清少納言がはじめて宮中に出仕したのは、993年頃だったと言われています。

その時の彼女の様子を描いた場面を描いた様子が、今も残っているのです。

高校の授業でも必ず扱う章段ですね。

彼女が女房生活に慣れ、自由闊達に動き回る様子とは全く違う初々しさが、非常に新鮮です。

宮中に入るというのがどういう意味を持つのか。

現代の感覚ではどうやっても理解できないのではないでしょうか。

雲上人という言葉が一番ピッタリくる感覚かもしれません。

そのサロンへ女房というより、家庭教師兼話し相手として出仕したのです。

緊張感はピークに達したでしょうね。

中宮定子は17歳、清少納言は27歳前後だったと言われています。

今の時代と一番違うのは何でしょうか。

おそらく、なんの情報もなかったことです。

どのような暮らしをしているのかということに対する想像力が、働らかなかったのです。

彼女がなぜ採用されたのかということを考えるとき、有名な歌人清原元輔の娘だったという事実は重いです。

父の名前を汚すわけにはいきません。

恥をかくようなことは絶対に許されないのです。

狭い社会です。

なにかあれば、すぐ女房や公達達の噂になります。

極度に緊張を強いられた状態にいたことだけは疑いがありません。

定子の立場にしてみれぱ、どんな人があらわれるのか、楽しみで仕方がなかったでしょう。

彼女の好奇心も並々のものではなかったはずです。

恵まれた家系に生まれ、中宮にまで昇りつめた女性です。

当時としては最高の位置にいたといっても過言ではないはずです。

その中宮に対して、清少納言は出仕直後、どのような態度をとったのか。

興味がわきますね。

実は初出仕の日、顔も満足にあげられなかったのです。

彼女の心理状態が十分に想像できます。

息苦しい時間が流れていったことでしょう。

教科書によく所収されている部分を読んでみましょう。

本文

宮に初めて参りたるころ、もののはづかしきことの数知らず、涙も落ちぬべければ、夜々参りて、三尺の御几帳のうしろに候ふに、絵など取り出でて見せさせ給ふを、手にてもえさし出づまじう、わりなし。

「これは、とあり、かかり。それが、かれが。」などのたまはす。

高坏に参らせたる大殿油なれば、髪の筋なども、なかなか昼よりも顕証に見えてまばゆけれど、念じて見などす。

いと冷たきころなれば、さし出でさせ給へる御手のはつかに見ゆるが、いみじうにほひたる薄紅梅なるは、限りなくめでたしと、見知らぬ里人心地には、かかる人こそは世におはしましけれと、おどろかるるまでぞ、まもり参らする。

暁には、とく下りなむといそがるる。

「葛城の神もしばし。」など仰せらるるを、いかでかは筋かひ御覧ぜられむとて、なほ臥したれば、御格子も参らず。

女官ども参りて、「これ、放たせ給へ。」など言ふを聞きて、女房の放つを、「まな。」と仰せらるれば、笑ひて帰りぬ。

ものなど問はせ給ひ、のたまはするに、久しうなりぬれば、「下りまほしうなりにたらむ。さらば、はや。夜さりは、とく。」と仰せらる。

ゐざり帰るにや遅きと、上げちらしたるに、雪降りにけり。

登華殿の御前は、立蔀近くてせばし。雪いとをかし。 

しばしありて、前駆(さき)高う追ふ声すれば、「殿参らせたまふなり」とて、散りたるもの取りやりなどするに、いかでおりなむと思へど、さらにえふとも身じろかねば、いま少し奥に引き入りて、さすがにゆかしきなめり、御几帳のほころびよりはつかに見入れたり。

大納言殿の参りたまへるなりけり。

御直衣、指貫(さしぬき)の紫の色、雪にはえていみじうをかし。

柱もとにゐたまひて、「きのふけふ、物忌みにはべりつれど、雪のいたく降りはべりつれば、おぼつかなさになむ」と申したまふ。

「道もなしと思ひつるに、いかで」とぞ御いらへある。

うち笑ひたまひて、「あはれともや御覧ずるとて」などのたまふ、御ありさまども、これより何事かはまさらむ。

物語にいみじう口に任せて言ひたるにたがはざめりと覚ゆ。
 
宮は、白き御衣どもに紅の唐綾(からあや)をぞ上に奉りたる。

御髪(みぐし)のかからせたまへるなど、絵にかきたるをこそかかることは見しに、うつつにはまだ知らぬを、夢のここちぞする。

現代語訳

中宮定子様の御所に初めて出仕申し上げたころ、気が引けてしまうことがたくさんあり、緊張で涙もこぼれ落ちてしまいそうなほどでした。

夜ごとに参上しては、三尺の御几帳の後ろにお控え申し上げていると、中宮様が絵などを取り出して見せてくださいます。

私は手さえも差し出すことができないほど気恥ずかしく、どうしようもない状態でいます。

「これは、ああだ、こうだ。それが、あれが。」などと中宮様がおっしゃるのです。

高坏にお灯しして差し上げさせた火なので、私の髪の筋などが、かえって昼間の時間帯よりも際立って見えて恥ずかしいのです。

けれど、気恥ずかしいのを我慢して中宮様の出した絵を拝見したりなどします。

とても寒く冷える頃なのです。

それでも中宮様が差し出されるお手がかすかに見え、その手の美しさが映えて薄紅梅色であることが、この上なく美しいと感じました。

まだ中宮様のことをよくわかっていない田舎心地の私のような者には、このような人がこの世にいらっしゃるのだなと感じ、じっと見つめ申し上げています。

しばらくして、先払いの声が高く聞こえますので、「関白様が、おいでのようですね」と言って、女房たちが散らばっているものを取り片づけなどしました。

kareni / Pixabay

気恥ずかしいので、局にはやく引き下がってしまいたいと思うのです。

しかし、すこしも身動きができません。

そこでもう少し奥の方に控えてとは思うものの、関白様のご様子を拝見もしたいので、御几帳のほころびからわずかにのぞきこみました

大納言様(伊周)が参上なさったのでした。

御直衣、指貫の紫の色が、雪にはえてたいそう美しいのです。

柱のそばにおすわりになって、「昨日今日は、物忌(ものいみ)でございましたけれども、雪がたいそう降りましたので、こちらのことが気がかりで参上いたしました」などと申される。

中宮様は「雪が降り積もって道もないと思ったのに」とお答えになります。

お笑いになって、大納言様は「こんな日にやって来る人をあわれとお思いになるかと思いまして」などおっしゃいます。

お二人のご様子は、これ以上のものが他にあるでしょうか。

物語に、あれこれとすばらしく口をきわめてほめてありますが、すこしも違わないようであると思われます。

中宮様は、白いお召し物を重ねて着られ、その上に紅の唐綾をお召しになっています。

それにお髪がたれかかっておられるさまは、絵でこそ見はしたものの現実には見たこともなかったので、夢のような心地がいたします。

清少納言の観察力

この文章を読んでいると、彼女の筆力の鋭さが見て取れますね。

まるでその場にいて、実況中継を見ているかのようです。

言葉の選び方が巧みです。

定子が清少納言に関心を強く抱いている様子がよくわかります。

冬から初春にかけての頃でしょうか。

中宮定子の美しい手が着物の色に映えているところなどを、実にさりげなく描写しています。

定子の兄の伊周にはじめて会うシーンなども読んでいて楽しいところです。

父親道隆の血を引いた伊周(これちか)はふくよかな体格の人だったようです。

彼女が出仕した2日目にさっそく登場しています。

その時の衣装の様子も実に詳しく描かれています。

特に雪景色の中に立った紫の直衣姿が鮮やかですね。

cuncon / Pixabay

殿上人が後宮を見舞いのために訪問することはよくあることでした。

特に雪がたくさん降った後などは、女房たちの不安も増したことでしょう。

清少納言は兄妹の仲睦まじい様子を、目の当たりにします。

まさか自分が目の前で、現実とは思えない夢のような光景を見ているとは信じられなかったでしょうね。

その伊周が清少納言に語りかけてくれる日が訪れるなどとは、この時はまだ想像もできませんでした。

全てがまばゆく、まさに王朝絵巻の世界そのものです。

後になって、初出仕の頃のことを思い出しながら、書いたのでしょう。

懐かしいという気持ちが胸にあふれかえったことと思います。

あんないい時代は2度と戻らないという感慨にふけりつつ、純情だった自分が恋しくてならなかつたのかもしれません。

いずれにしても、非常にナイーブな彼女の内面と描写力のすばらしさは、群を抜いています。

じっくりと味わってください。

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『枕草子』はやはりすばらしい随筆ですね。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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