【入れ札・菊池寛】人間の自尊心くらい面倒なものはない【新作落語】

入れ札

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は今まで、とりあげたことのない短編を読んでみました。

明治書院版『文学国語』の教科書に所収されている話です。

菊池寛といえば、文豪として名が知られ、「文藝春秋」社を設立したと人としてよく知られています。

しかし彼の小説を正面から読んだ人はどれくらいいるのでしょうか。

ぼく自身、『父帰る』『忠直卿行状記』などの筆者としてしか、知りません。

それも満足に読んでいなかったというのが正直なところです。

まさか、教科書に作品が載っているとは夢にも思いませんでした。

今までに菊池寛の作品を授業で扱ったことはないのです。

今回、この小説の内容が国定忠治を扱ったものであると知り、不思議な感覚に捉われました。

赤城山から去る時の子分との別れを表現した小説とは意外でしたね。

講談や浪曲などで聞いたことはありますが、まさか教科書にというのが実感です。

この『入れ札』という短編は、その意外性をついた話なのです。

本当に驚きました。

一種の心理小説といってもいいでしょう。

国定忠治をはじめとした人々の心理の変化を克明に追いかけています。

実際、その場にいるような臨場感を感じました。

主題は人間の持つ自尊心が示す屈折した感情です。

どうしても自分という桎梏から抜けだせない。人間の哀しさを綴っています。

登場人物はそれほど多くはありません。

国定忠治と子分の九郎助、弥助の心理を中心に細かく追いかけています。

自尊心のために、躊躇なく嘘をついてしまう人間とは、いったい何なのでしょうか。

あらすじ(前半)

国定忠治は人を殺め、赤城山に立てこもります。

関所破りまで犯して、子分らと間道沿いに逃走するのです。

途中、関所を無事に通り抜けたまではよかったのですが、もうこれ以上、11人の集団で逃げるのは難しいというところまで追いつめられていました。

そこで、忠治は力のある子分、3人だけを連れて逃げようと決心します。

その人選も腹の中ではすんでいました。

しかし自分の口からは言えません。

命をかけてついてきてくれた子分に申し訳がたたないからです。

そういう目で自分を見ていたのか、と子分たちは、それぞれの感慨を持つことでしょう。

それだけはしたくなかったのです。

そこで考えたのがくじ引きによる方法です。

しかしこれもあまりにも偶然性がありすぎ、誰もが納得するとも思えない手段でした。

次に浮かんだのが入れ札です。

連れて行くのにふさわしい子分の名を彼ら自身に書かせ、札数の多い者から3人を連れて行くことにしたのです。

つまり投票ですね。

これならば、忠治は自ら選ばずに優秀な子分を選ぶことができるというワケです。

連れていきたい子分の名は、忠治の頭にきちんとあります。

統率力や瞬時の判断力に満ちた子分が誰かということは、互いに知っているはずだと考えました。

しかし子分の中には、自分が確実に選ばれるであろうという自信に満ち溢れた者もいた。のです。

仲間内からの信頼を失いつつある稲荷の九郎助です。

嫉妬深さと人望の無さがここで描かれ、その判断が正しいことを証明します。

かつては1番の兄貴分と皆に慕われ「あにい」と呼ばれていたにも関わらず、人望が失われつつあったのです。

その事実をよく知っているのは、他ならぬ九郎助です。

子分だけでなく、親分からも軽んじられつつあるのを感じていました。

あらすじ(後半)

いよいよその場にいる銘々が入れ札をすることになりました。

九郎助は気が気ではありません。

自分の自尊心が傷つくのを、目の前でみなければならないからです。

集団の意志をそこで直視することになるのです。

ここからが、この作品の主題と呼んでもいいでしょう。

そこでなんとか急場をしのごうとした彼は、自分に票を入れる作戦をとります。

自分の他にあと数票でも誰かが入れてくれれば、なんとか体裁は保てます。

もしかしたら親分の付き添いができるかもしれないと考えたのです。

ところが開票の結果は、誰も九郎助の名前を書いたものはありませんでした。

結局、自分が入れた、たった1票だけだったのです。

実際の得票は他の3名に集中していました。

九郎助は、他の者達が忠次の身の上を考えに考えて投票した事を知ります。

その一方で九郎助は自分だけが自らの自尊心を守るために投票した事を悔いるのです。

Free-Photos / Pixabay

ところが黙っていれば、だれにもそんなことはわかりません。

これで一件落着したと安心したのは、他ならぬ国定忠治です。

彼は自分の思惑と一致した3人を連れて逃げ延びることにします。

それぞれにその場で持っていた金を分配したのです。

これで全てが闇の中に葬られるはずでした。

九郎助も誰にも言わなければ、それですべてが済んだのです。

ところが彼に追い打ちをかける人物がいました。

九郎助が自分に票を入れてくれるだろうと期待していた人物の一人、弥助でした。

何も口に出して言わなければ、これが嘘とはわからなかったのです。

しかし彼はつい喋ってしまいます。

「十一人の中でお前の名をかいたのは、この弥助一人だと思うと、俺あ彼奴等の心根が、全くわからねえや」

自尊心の闇

たまたま逃走する道筋が同じだといって、後からついてきた弥助は決定的な台詞を吐きます。

その瞬間、九郎助は自分のしたことの意味を知ってしまうのです。

弥助の嘘を咎めれば、自分の行動を告白しなければならなくなります。

ますます情けない結果になっていくのです。

2重に傷つくという事になりますね。

人間はどうしてこれほどに厄介な生き物なのでしょうか。

欲と不安、卑しさ、悔しさが入り混じって、読んだ後の感情を揺さぶります。

ちなみにこの話を落語にした噺家がいます。

春風亭小朝です。

彼ははじめてこの「入れ札」という小説を読んだ時、その形が突然みえたのだそうです。

そこで作品を改変することも含めて、菊池寛の子息に相談したそうです。

どのようにでも扱ってくださいという快諾を得たことで、現在、菊池寛の小説の落語化に取り組んでいます。

本にもなっているのでぜひ、手にしてみてください。

『菊池寛落語になる日』がそれです。

最後の展開も原作とは微妙にかわっています。

「赤城の山も今宵限り、可愛い子分のてめえたちとも別れ別れになる定めだ」で有名な国定忠治の話だといってしまえば、それまでです。

そこに着目して、この人間劇を書き上げた菊池寛の手腕には脱帽しました。

一口でいえば「互選」システムの怖さです。

そこには人間の自尊心が絡んでいることがあります。

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今でもあちこちで見かけるシーンです。

青空文庫でも読めますので、一読をお勧めします。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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