【エコロジー的生活】みんな壊れるわけじゃないというアタリマエの話

暮らし

消耗するって何?

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

だんだんと春めいてきました。

まもなく桜も咲くんでしょうね。

年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず。

昔の人はうまいことをいったものです。

毎年花は咲きますが、厳密にいえば、それも同じ花ではありません。

それと同様、人もどんどん変わっていきます。

生まれるものもいれば、この世を去る人もまた多いのです。

特に昨年から今年にかけて、コロナ禍で亡くなった人の無念は想像するにあまりあります。

テレビでよく見かけたタレントや政治家まで、それこそあっという間にコロナが連れ去っていってしまいました。

人の世の無常をしみじみと感じます。

しかし急に亡くなるということを除けば、よく考えてみると、ぼく達のまわりにあるものは、ちょっとずつ消耗していくのです。

在原業平の歌にこんなのがあります。

古今集に載っている有名なものです。

ついにゆく道とはかねてききしかど、きのうけふとは思はざりしを

まさにこれがぼくたちの実感に近いのではないでしょうか。

死がそんなに遠くはないと思っていたけれど、まさかこんな近くにあったとはという意味です。

まさに消耗を繰り返しつつ、次第に衰えていくというのが人生だと思います。

しかし仔細にみれば、まだ器官は動いています。

ちょっと衰えたので、少しだけ動きが鈍くなったというところも当然あるでしょう。

全てが止まってしまうまでにはまだ時間が残っています。

まだ使える状態にあるのです。

だとしたら、最大限使ってあげなくてはいけませんね。

それが人間の使命です。

生きているということの証明なのかもしれません。

歯ブラシ

最近の新聞で毛の部分だけをとりかえるという歯ブラシの話を読みました。

確かにいくら使っても柄が壊れるワケではありません。

少しでもゴミを減らしたいという環境先進国ドイツの商品だと聞くと、なるほどなとつい納得がいってしまいます。

エコロジー志向ということでしょうか。

これも先日新聞にのっていた話ですが、今電気製品を買う人の大半は修理してまで使おうという気が全くないのだそうです。

当然だろうとぼくなどは思ってしまいます。

なにしろ修理代が高いのです。

下手をすると買った品物より高いです。

まったくバカにした話ですが事実です。

今までにいくつも電気カミソリを買いました。

いいのは結構な値段です。

しかししばらく使っていると、あたりまえのことですが次第に切れ味が落ちてきます。

そこで刃を交換をしようと電気屋へ赴くと、替え刃がとても高いのです。

内刃と外枠をセットで買わないと、あまりきれいに剃れないので結局両方買うことになります。

するとちょっと安いのなら二つも買えそうな値段になります。

まったく情けないと思いながら、仕方なく買い求めます。

完全に替え刃の方が、本体と刃のついたものより高かったりすることもあるのです。

いったいどうなっているのでしょうか。

なおして使う

一事が万事です。

電気製品をなおして使おうなどという気力を持ち続ける人はよほど肝のすわった人です。

壊れたラジオやテレビに愛着があるか、マニアックな人以外には関係のない話です。

今や電気製品は電子制御部品だらけで永遠のブラックボックスといってもいいでしょう。

修理に出しても基板ごと交換のケースが多いのです。

ちょっとしたステレオでも、CDはしばらくすると読み込まなくなり、回転部分が故障をおこし始めます。

仕方なくクリーニング用のCDを入れてなんとかその場をしのぐものの、やがて調子が悪くなり、修理ということになります。

truthseeker08 / Pixabay

先日知り合いの電気屋さんに聞いたら、なんのことはありません。

我々が手にする研磨剤つきのCDより、もうちょっと強力なのでただ磨くだけだそうです。

それでも修理代はかなり高いといっていました。

最近ではハードオフなどで安く買ったステレオやゲーム機などを分解して修理する動画がたくさんアップされています。

なかには同じ機種をものすごい数、買い入れて修理し、再び販売するという業者もあるようです。

いくつか動画を見たことがあります。

まさに同じことの繰り返しです。

あれを仕事にしたら大変でしょうね。

買い入れから修理、再販売に至るまで、完全に家内制手工業そのものです

儲けがあるからやっていられるのでしょう。

しかし大変な労働であることに間違いはありません。

人間も似たようなもの

スマホを3年も4年も使い続ける人は本当に少数だという話を聞きました。

電池の寿命以前に人間が新しい商品に飛びつくのです。

メーカーは今日発売したものを少しでも古いものにみせるため、次から次へと新しいものを出します。

以前は販促費をうまく利用してどんどん交換していた人も今はできなくなりました。

仕方がないので、メルカリのようなフリーマーケットに出しては、また買うということの繰り返しです。

化粧品も車も洋服も、なにもかもです。

日本人はそれでなくても新しいものが好きです。

今年のトレンドなどという甘い言葉にのせられて、財布のひもをゆるめます。

皮肉な見方をすればちょうどいい時期に壊れる商品こそが待たれているのです。

適度に熱中し、すぐに飽きる商品をつねに開発しなければいけません。

なんとも寂しい世の中です。

これは人間にも当てはまるのでしょうか。

誰も全部壊れるわけじゃないのです。

どこかでちょっとずつ歯車が狂っていくうちに、最後に大きな破綻をおこすのです。

しかし人は使い捨てというワケにはいきません。

修理をしてまた動くようにする以外に方法はありません。

ただし社会というレベルからみれば、捨てられてしまう可能性もあります。

リストラもあっちの方へ追いやられることを意味します。

しかし最後にこれだけはもう一度声を大にして言いましょう。

「それでもどっこい全部壊れてるわけじゃないんだぞ。」

世の中はどんどん変化していきます。

災害もいつ起こるかわかりません。

生きていくということは綱渡りのようなものです。

道で転んだり、家で転倒したことが元で、寝たきりになるなどということもあります。

まさに生身ですからね。

電気製品のように部品だけ交換するということもできません。

それでもエコロジカルに生きていく手段を探さなくてはなりません。

ついにゆく道がいつやってくるかは誰にもわかりません。

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コロナに罹らずにすんだというだけで、十分幸せだと思うように生きていかなくてはならないんでしょうね。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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