【四国遍路・辰野和男】弘法大師と同行二人【いつの日か自分も】

心暖まる本

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師のすい喬です。

久しぶりに辰野和男著『四国遍路』(岩波新書)を読み返しました。

今から20年も前に出版された本です。

何の気なしに読み始めましたが、引き込まれました。

心にすっと話が落ちるという感覚でしょうか。

気持ちが穏やかになって癒されていく感覚を何度も味わいました。

辰野さんは長い間、朝日新聞で天声人語を担当した論説委員です。

ニューヨーク支局長、社会部次長、編集委員、論説委員、編集局顧問などを歴任したのです。

kareni / Pixabay

「天声人語」を担当したのは1975年から1988年までの13年間にわたります。

2017年に87歳で亡くなりました。

この本は彼が70歳の時の本なのです。

その瑞々しい感性には驚きますね。

四国遍路をしている時の情景が目に浮かびます。

いろんな人がさまざまな思いを抱きながらお遍路の旅をしています。

途中の道々でお接待をほどこしてくれる土地の人々の表情も見えます。

それぞれの人生が交差しています。

彼はその出会いを通じて自分自身の人生と向き合います。

人と出会うごとに自らの生き方が深まってゆく感触を味わっていったようです。

今回のお遍路は今までの自分の殻をすべて捨てようと決心したところから始まったものだそうです。

四国の道を1人の人間として歩きたいという願いから始めたものでした。

俗に四国霊場八十八カ所千数百キロの旅と言いますが、それを徒歩だけで廻り結願する人は、それほど多くはないのです。

彼はかつて若い記者時代、遍路をしたことがあるといいます。

その時は記事を書くという目的が先行し、少しも純粋なものではなかったそうです。

しかし今回の旅は、その時とは全く様相の違うものでした。

それだけに読んでいても気持ちがひしひしと伝わってきます。

四国の何に心惹かれるのか。それは誰にもわかりません。

しかし心身の衰弱を蘇らせるために、山の気を吸いたいという著者の気持ちには必死なものを感じました。

穏やかな心

以前勤務していた学校にも休みになるたび、四国へお遍路に出かける先生がいました。

とても1度では行けないので、何度かに分けて歩くという話でした。

帰ってくると、実にいいお顔をしているのです。

いつもは忙しい仕事の中で、神経をすり減らしていたに違いありません。

それが回復するというのでしょうか。

原点回帰とでもいえばいいのか。

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とにかく穏やかな表情に戻るのです。

いつもお嬢さんと2人で出かけるとのことでした.

お接待のことも何度か聞きました。

土地の方々が、ほんのちょっとしたものを下さるというのです。

ミカン1つ、飴1つのこともあるそうです。

人の心の真実なのでしょうか。

それがとてもうれしいと話してくれました.

不思議な感覚ですね。

そんなことがあるのかというのがその時の率直な感想です。

空海とともに

お遍路にはちゃんと意味があります。

巡路は,全て仏教の思想にもとづいているのです。

四国にはそれぞれの役割があります。

阿波-発心の道場
土佐-修行の道場
伊予-菩提の道場
讃岐-涅槃の道場

弘法大師の名前を知らない人はいないでしょうね。

空海という名前で広く知られ、お大師さまとも呼ばれています。

高野山を開き、広く密教の教えを多くの人々に広めました。

密教の宗派の一つである真言宗の開祖です。

遍路で行われる参拝作法は密教真言宗のものを基本にしています。

大師は讃岐(香川県)の出身です。

青年期には、四国の山中海岸、太龍岳、室戸岬、石鎚山などで山道修行を行いました。

このことが四国遍路の基礎の1つになっています。

四国では今もお大師さまが遍路を巡っているとされているのです。

その空海が亡くなる前に呟いたという「吾れ永く山に帰らん」という言葉が頼りです。

人々は自己解放への旅に出るのです。

1人ではありません。

いつも弘法大師が一緒にいてくれます。

だから同行二人なのです。

1番霊場は鳴門線板東駅近くの霊山寺(りょうぜんじ)。

民宿に着いたらまず購入したばかりの金剛杖の先を洗い、床の間に置きます。

杖は弘法大師の分身だからです。

相部屋も厭ってはいけません。

同じ心の人との一期一会を知るためです。

文章を読んでいると、どうしてこんなに人間は素直になっていくのだろうと感じます。

虚飾をはぐという作業が歩くことによって生まれるからでしょうか。

途中、色々な人に会います。

善根宿と呼ばれる無料宿泊所での出会いや、お接待と呼ばれる善意の施しもあります。

見ず知らずの人が、遍路をしている人に何かを施すという思想が、四国の土地には脈々と流れているのです。

先祖たちがしてきたことを目の前で見ていた人がいるからでしょう。

これこそが本当の文化なのかもしれません。

コーヒー1杯でも淹れてくれたら、嬉しいですよね。

遍路はいわば生きている死者なのです。

大地と同じです。

そのまま行き倒れになってもいいという覚悟から始まります。

だからこそ、普段の生活では見えないものが、見えるのかもしれません。

山道を歩く

たった1つの椿の花に後を押されて山道を歩きます。

海を眺めながら歩いていると、もう駄目だと思ったその場所から、また歩き出すことができたと辰野さんは書いています。

「お大師さんに後押ししてもらった」という表現には、実際に体験した人でなければわからない実感がこもっています。

ゆだねるという感覚は自然のありのままの営みに、自分を溶け込ませていくという作業なのでしょう。

すがるとは違います。

ありのままという言葉を実践することがいかに難しいことか。

誰もが日々感じていることです。

最後の寺、八十八番霊場大窪寺近くの宿屋では赤飯を炊いて、結願を祝ってくれるそうです。

遍路を終えた人たちの感想が書かれたノートにはたくさんの思いが残っていたとのことです。

歩いてよかったという人もあれば、ただありがとうと書き残すもの。

人との出会いがこれほどありがたいものだとは知らなかったなどと、さまざまな言葉がそこには綴られているそうです。

「お四国大学」と呼ばれるこの不思議な行は、随分昔からあったと言われています。

鎌倉時代に始まったという話ですが、完成したのは室町時代のようです。

なぜ四国なのかといえば、弘法大師が42歳の厄年に四国を一巡して,八十八ヵ所の霊場を定めたと伝えられているからです。

今回この本を読んでぼくも遍路に出てみたくなりました。

1度に全部廻らなくてもよいのです。

螺旋のように少しづつ生き抜いて、道を歩くことが大切なのです。

誰にもまっすぐな1本の道などありません。

それが何よりも自然なことなのです。

この本は旅行ガイドではありません。

お遍路さんは山の中、国道の上、海沿い、さまざまなところを歩きます。

どうして四国遍路をするのか。

「回ることを繰り返す意味で人生も(遍路と)同じ」と著者は言います。

人生は生から死までを一直線でなく螺旋状に生きていく。

四国を巡るお遍路のようなものです。

つい先日、小豆島で亡くなった俳人、尾崎放哉のことを書きました。

リンクを貼っておきます。

実は今回が800本目の記事になります。

まさにお遍路の気分と一緒です。

2年と数か月。

毎日その時思いついたことを書いてきました。

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これからも続けていきたいと考えています。

よかったらお付き合いください。

最後までありがとうございました。

【尾崎放哉・海も暮れきる】俳人は孤独と戦った【咳をしても一人】
作家、吉村昭の『海も暮れきる』は自由律俳句の俳人、尾崎放哉の物語です。小豆島を訪れ、そこで死ぬまでの話です。荒れ果てた寺に住み着いた男がみた風景は、毎日穏やかな瀬戸内海の自然でした。そこで亡くなるまでの8カ月を過ごしたのです。
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