【田久保英夫】必死になって読みふけった日々の記憶【短編の名手】

田久保英夫

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

仕事柄、小説をずっと読んできました。

極端な言い方をすれば毎日、1冊のペースです。

どうしてあんなに読めたのか。

今となっては不思議ですね。

その頃は読んだ本を全部本棚にしまいこんでいきました。

だんだん増えてどうにもならなくなり、処分したこともあります。

それでも捨てきれなかった本が今も本棚の中に並んでいます。

見ているだけで懐かしいです。

このブログでも、何冊かは紹介しました。

もう文庫本にないものもたくさんあります。

本といえども商品です。

売れないものを刷り続ける義理が出版社にはありません。

しかし単に消費財といってしまうと、やはり悲しいですね。

そこには想念が宿っているからです。

内向の世代などといっても、もうわからないでしょう。

第三の新人よりも後から活躍した人たちです。

後藤明生、黒井千次、古井由吉、日野啓三、小川国夫、坂上弘、高井有一、阿部昭。

何人をご存知ですか。

それぞれの作家について語り出すことがひょっとして、今後あるかもしれません。

しかしもう読み直すこともないような気もします。

歳月が過ぎました。

その中でも出版される本を片端から読んだ作家がいます。

それが田久保英夫です。

没後20年

彼は山川方夫らと第三次『三田文学』を刊行しました。

短編の名手でしたね。

特に男女の微妙な感情を見てきたかのように描く手法には、舌を巻きました。

言葉の選択が的確なのです。

無駄な表現がない。

だから酔いしれてしまいます。

『深い河』で芥川賞を受賞したのは1969年。

41歳の時でした。

なぜ読み始めたのか。

よく覚えていません。

まさに一期一会だろうと思います。

一作でも心惹かれる作品があったら、そこを突破口にする読み方でした。

彼は1985年から2000年まで、芥川賞の選考委員を務めました

彼の作品を読んでいる自分が好きでした。

大袈裟にいえば、言葉の魂の中に感情を沈めるという感触でしょうか。

触媒』『雨飾り』『髪の環』『蕾をめぐる七つの短篇』『海図』あたりから読み始めました

どれも心に残っています。

今は手に入れるのもなかなか難しいです。

チャンスがあったら是非、手にとってみてください。

静かな世界が突然目の前に開けます。

現代の慌ただしい時間の中で、最高に贅沢な避難場所になるかもしれません。

遺作短編集『生魄』

記憶に刻まれているのは彼の遺作となった『生魄』という作品です。

心の奥に潜む闇を書かせたら、彼の右に出るものはいません。

今もそう信じています。

文章に品格があるのです。

それが次の行に詠み進もうとする力を読者に与えます。

短編の名手とはよくいったものです。

短ければそれだけ難しいのが、創作の常識です。

読んでいると血の流れを感じます。

流れて流れ、滲み出る血の熱さを感じるのです。

だから好きだったのかもしれません。

どんなに静かな女を描いても、彼が書くと、その内奥に熱い芯があります。

そこに火のついた瞬間、女性は化身するのです。

どれも背景に性を潜ませた文章ばかりです。

しかし猥雑さは微塵もありません。

そこでは全てが生きていく哀しみと等価なのです。

女性にもうまい書き手は多いのですが、言葉の質感が違います。

そこが彼の独壇場である所以です。

初期の頃の高樹のぶ子にも似た資質がありました。

しかしその触感は明らかに違います。

瑞月

「瑞月」という短編では最後に刃物をもって男を刺そうとする女が登場します。

はじめ女はためらうのです。

過去に似たような過失を犯した記憶があるからです。

しかし男が「このまま刺すんだ」と呟くのにあわせて、刃物を持つ手に力が入ります。

この部分の描写は怖いくらいです。

刺すことを強いた男の目には灼熱の太陽が浮かびます。

光の輝線が幾条にもなって飛び込んでくるのです。

妻を失い年老いた男にとって、生きていることは苦痛でしかありません。

そこにあらわれた女に嫉妬の感情を抱くことが、だから老人にとっては不思議でもあったのです。

しかしついに死を決意する瞬間がやってきました。

田久保の作品の中では、死と性がいつも語られます。

そこにしか人間の真実はないとかたく念じているかのようです。

男は目を静かにつぶります。

至上の瞬間だと思った時、不意に板床に金属の音がし、冷たい掌が額の上に置かれて、この作品は終わるのです。

pixel2013 / Pixabay

彼は何が伝えたかったのか。

それは読者の想像力に負う以外にはありません。

しかし豊饒な言霊は、明らかに読むものを勢いづかせます。

彼の小説のいい読み手になるのは難しいです。

しかしいつもそうした人間の一人でいたいと考えていました。

あれから既に20年の歳月が流れています。

今、田久保英夫の小説を手にとることはありません。

それはなぜなのか。

そこに踏み込んでいくことが自分にとっても大きな意味を持っていることは知っているつもりです

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もう少し考えさせてください。

今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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