【アイデンティティ】己が何者であるのかを知らずに光る文章は書けない

学び

アイデンティティ

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は評論や小論文の中にもよく登場する「アイデンティティ」という言葉について少し考えてみます。

よく小論文を書く時に光る文章にしろといわれたことがありませんか。

採点者は多数の論文を読まなければなりません。

当然のことです。

その時、多くの文章は似たり寄ったりなものが多いのです。

出題者は感動したことや失敗した話など、さまざまなテーマを受験生に要求します。

制限時間内で、なんとかまとめようと皆が必死になって書きます。

しかし読んでいる方からすると、似たような話ばかりになってしまうのです。

採点者はけっして突飛な話を求めているワケではありません。

どこにでもあたりまえな話でかまわないてのです。

ではどうしたら光る文章になるのか。

そのためのキーワードが「アイデンティティ」なのです。

自分の視点がどこにあるのか。

自分というものをどういう人間として、把握しているのか。

つまり原点を明確に捉えている人の文章ほど、光って見えるのです。

特別なことを無理に書く必要はありません。

誰にでも起こることは似ています。

しかしそれをどう捉えたのか。

その結果、どういう行動をおこし、何を把握したか。

そのプロセスが最も大切なのです。

自分はどういう人間なのかがはっきりみえていない受験生に、いい文章を書けといってもそれは無理なのです。

一言で言えば内圧の力です。

内側に対する圧力をきちんと計れる能力を持っている人。

そういう人だけが他者とは違う内圧に満ちた、言葉には簡単にあらわせない感情をまとめて表現できるのです。

自分は何者なのか

自分がどこの何者であるのかということは、その人間の根幹に関わる問題です。

どこの国に生まれ、男女の性差はもちろん、両親は誰で、どのように生まれてきたのかなどということも当然含みます。

一般的にアイデンティテイと呼ばれるものにはさらにたくさんの要素が加わり、その中で、自己というものが規定されていくのです。

名前ももちろん大きな要素になります。

いくつもの名前を持つということは、そのたびに自分が自分にとって誰であるのか、他者にとって誰であるのかということを再認識させることになるのです。

ぼく自身、今までに多くの生徒を教えてきました。

日本国籍を持ちながら、日本語が満足に話せない生徒もいました。

髪の色も目の色も、通常の日本人とは全く違うタイプの人もいました。

その全てがアイデンティティに関わることなのです。

そこから新しい視点が芽生えます。

たとえ同じことがらであっても、みえる風景は全く違うのです。

LGBTなどと呼ばれる人々にとっても、日常の景色は当然かわるでしょう。

それはその人固有の世界です。

政治評論家の姜尚中氏をご存知ですね。

彼が随分以前に書いた『在日』という本があります。

衝撃的な内容でした。

彼は1950年、熊本に生まれ、長い間、永野鉄男として生きてきました。

その半生を半ばいとおしいものを懐かしみ、さらに捨ててしまったものを追いかけるようにして書いたのが、この本なのです。

幼い頃の風景

養豚とどぶろくの製造が彼の幼い頃の風景でした。

こんなに自分の生まれた頃の様子を素直に書いた文章に出会ったのは久しぶりのことです。

最近の姜尚中氏の文は政治的であり、諦念とともに時に激しい怒りをぶつけるようなものが多かったので、あまりにも意外でした。

とくにその中でも一緒に暮らしていたおじさんと呼ばれる人物に対する愛着がとてもよく出ています。

彼を失った時の悲しみが、目に見えるようでした。

柔らかく暖かな心が、こういう環境で育てられたのかということを再認識しました。

自分が何のために生きているのかもわからなくなった大学時代。

その後のドイツ留学。

さらには指紋押捺反対運動の前面に自然と押し出されてしまった日々の様子。

恩師との出会い。

偶然に舞い込んできた大学への就職話。

その後の苦悩など、読んでいくだけで、彼の人生を追体験しているような気になります。

しかし根本はやはり彼の出自から今日までの中に綿々とつながれてきたやさしい人々の面影でしょう。

母親に対する愛情にもしみじみとしたものを感じます。

しかしどんなにつらい目にあっても文句一つ言わず、働き続けたおじさんの姿にはこの国での一世たちの姿が重なります。

いつもよれよれのズボンをはいていたおじさんを看取ったところで、彼にとって、昭和の野辺送りが終わったのかもしれません。

韓国と日本の関係

韓国と日本の関係はこの数10年の間に大きく変化をしました。

金大中事件に象徴されたような国家間の関係もありました。

今はむしろその時代を超え、さらに複雑な季節を迎えています。

数十年以上も前にぼくが韓国をはじめて訪れた時、夜間の外出が禁止されていたことなど、今ではもう夢物語かもしれません。

それとともに在日の人々も変化してきました。

姜尚中氏が強く意識するような光景もやがては消えていくのかもしれません。

しかしそうはいっても日本と韓国の関係がどのように変化していくのかは、まだまだ大きな問題であることに違いはありません。

彼の一番柔らかいところに触れたという気持ちが今でも強く残っています。

政治的な内容は読み飛ばしてしまっても、一読の価値があります。

おそらくこの『在日』に描かれた世界は、姜尚中氏にとって最も柔らかい内側の世界だと思われます。

彼が何かのテーマにそって感動したことや失敗談を書くとすれば、当然ここからの目がそれをさせるに違いありません。

これは彼独自のものなのです。

アイデンティティの根底に内側から光をあてれば、当然そこに見える風景は他の人と違っているはずです。

自然に飾らずに書いていけば、それはどんなに短いものであっても採点者の心を射るでしょう。

無理してまとめる必要はないのです。

自分が何者であるかを知っていれば、そこから発する言葉は必ず他者の心に何かを感じさせます。

創作をする必要は全くないのです。

小論文の勉強を始めようと思ったら、最初にすることは何か。

自分がどのような人間であるのかを、きちんと見極めてください。

それを突き詰めていくことで、他者とは違う横顔を目にすることができます。

そこがあなたの出発点なのです。

怖れる必要はありません。

他者にとってけっして退屈な話ではありません。

アイデンティティを明らかにするということは、けっして露悪的になれということではありません。

自分が自分たり得ているものは何か。

そこに真摯に向き合う態度が最も必要なのです。

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落ち着いて、自己と向き合ってください。

無駄にはなりません。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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