【及ぶものなきを憂う・呉子】有能な部下を育てるのが真の「長」の役割

ノート

呉子

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は兵法書『呉子』を学びましょう。

『呉子』は、春秋戦国時代に著されたとされる兵法書です。

武経七書の1つと言われています。

古くから『孫子』と並び評されてきました。

儒家は政治には王道と覇道の2つがあると考えました。

王道とは仁政(徳による政治)、その反対が覇道(力による政治)です。

王とは王道の実践者、覇とは覇道の実践者のことを言うのです。

堯(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)や殷の湯王(とうおう)、周の文王、武王の父子などは王道を行いました。

ところが春秋時代になると、周王室の統制力が弱まり、諸侯間の紛争が激化しました。

強大な軍事力を背景として、諸侯に号令をかける実力者、つまり覇者が登場するようになったのです。

その代表的な人物が斉の桓公、晋の文公、秦の穆公(ぼくこう)、宋の襄公(じょうおう)、楚の荘王たちです。

名前を聞いたことがあるでしょうか。

戦国の初期、魏の文侯(在位、前445-紀元前396)は優れた家臣を用いて革新政治を実施し、魏を当時の最強国に作り上げました。

その跡をついだのが、子の武侯(在位、前387~前371)です。

強国である魏の君主となった武侯は、自信満々で怖れを知りませんでした。

それが国を弱体化させると考えた呉起は、折にふれて武侯のおごりを諫めたのです。

本文はその逸話の1つです。

読んでみましょう。

本文

武候、嘗(かつ)て事を謀るに、群臣能(よ)く逮(およ)ぶもの莫(な)し。

朝を罷(や)めて喜ぶ色あり。

呉起進みて曰く、

「昔、楚の荘王嘗て事を謀るに、群臣能(よ)く及ぶもの莫し。

朝(ちょう)より退きて憂うる色有り。

申公問ひて曰く、『君、憂ふる色有るは何ぞや』と。

曰く、『寡人(かじん)之を聞けり。世、聖を絶たず。

国、賢に乏しからず。

能く其の師を得る者は王たり、

其の友を得るものは覇たりと。

今寡人不才にして、而も群臣及ぶもの莫し。

楚国其れ殆(あやふ)からん』と。

此れ楚の荘王の憂ふる所にして、而も君は之を説ぶ。臣窃(ひそ)かに懼る」と。

是に於いて武候、慚(は)づる色有り。

現代語訳

武候が臣下たちと会議を開いた際、誰ひとりとして武候よりすぐれた意見を出したものがありませんでした。

退出する時も武候は得意満面だったのです。

呉起が進み出て言いました。

かつて楚の荘王が臣下たちと会議を開いたところ、誰ひとりとして荘王よりすぐれた意見を出したものがありませんでした。

政務を終えて退出するとき、荘王は満面に憂愁の色をたたえていたのです。

そこで臣下の1人、申公が「なぜそのような心配顔でおられるのですか」と訊ねました。

王は答えて言いました。

「どのような時代にも聖人はおり、どのような国にも賢者がいないことはいるはずだ。

聖人を見出して師とあおぐものは王となり、賢者を見出して友とするものは覇者となる
というではないか。

ところが、いまわたしには自分よりすぐれた臣下がいないことわかった。

わが国の前途はこれからどうなることか」

荘王は、臣下にこれという信頼に足る人間がいないのを悲しんだのです。

それなのに、あなたは今自分より優れた意見を出す者がいないことを喜んでおられる。

わたくしは現在の状況を考えると、この国の将来に危惧の念をいだかざるを得ません。

その瞬間、武候の顔に慚愧の色が浮かんだのでした。

呉起という人物

呉起(ごき・紀元前440年-紀元前381年)は、中国戦国時代の政治家であり、軍事思想家です。

孫武、孫臏と並んで兵家の代表的人物とされています。

兵法の事を別名「孫呉の術」と呼ばれ、死後兵法書『呉子』の作者と言われました。

孫子と並んで、兵法の達人です。

文侯は魏の歴代の君主の中でも一二を争うほどの名君でした。

積極的に人材を集め、魏の国力を上昇させたことで有名です。

文侯は呉起を任用しました。

呉起は軍中にある時は兵士と同じ物を食べ、同じ所に寝て、兵士の中に傷が膿んだ者があると膿を自分の口で吸い出してやったと言われています。

ある時に呉起が兵士の膿を吸い出してやると、その母が嘆き悲しみました。

理由を訊ねると、「あの子の父も将軍に膿を吸っていただき、感激して命もいらないと言って敵に突撃し戦死したことが明かされます。

「あの子もきっとそうなるだろう」と嘆いたのでした。

この逸話は「吮疽(せんそ)の仁」と呼ばれています。

兵士たちは呉起の行動に感激し、絶大な信頼を寄せていました。

だからこそ、軍は圧倒的な強さを見せたのです。

呉起は軍の指揮を執り秦を討ち、5つの城を奪いました。

この功績により西河の郡守に任じられ、秦や韓を牽制していったのです。

人の上に立つということ

人間というのは難しい生き物ですね。

いったん「長」という立場を得てしまうと、その場にいることで優越感を感じてしまうものです。

本来、目下の人が何かを言おうとしても、なんとなく気おくれしてしまうことがないわけではありません。

適当な例ではないかもしれませんが、今話題になっているビックモーターなどはどうでしょうか。

上役の副社長が権力にものを言わせて、目下の人に次々と無理難題を言ったことなどはマスコミでも話題になりました。

急に大きくなった会社などには、よく見られる光景です。

政治の世界でも、もちろんあります。

他からヘッドハントされた人が、自分の上役になったりすると、目下の人が委縮してしまったりするケースもあります。

同族企業でも似たようなことがありますね。

本来の役割である組織を統率することからかけ離れた、とかでもない振る舞いや行動に出てしまうことが、人間にはあるものです。

人の上に立つ者の仕事は、能力のある後継者を育て上げることにつきます。

いかに発言のしやすい、風土を作り上げるのか。

これくらい難しい作業はありません。

kareni / Pixabay

人は自分がかわいいと思えば、つい言いたいことがあっても黙ってしまうものです。

サラリーマンの悲哀はそこからきていることが多いのです。

しかし真の「長」の下であれば、当然有能な部下が育つはずです。

そうでないとしたら、その「長」には人の上に立つ資格がないのです。

会社も国も構造に違いはありません。

そうして潰れていった国家がどれほどたくさんあったか。

もちろん、現在も進行中です。

どこの国とは言いません。

呉記の抱いた不安は、今も延々と続いているのです。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました