一挨一拶
みなさん、こんにちは。
ブロガーのすい喬です。
突然ですが挨拶という言葉が禅問答に由来しているなんてご存知でしたか。
ぼくはつい最近知りました。
「一挨一拶」というのだそうです。
相手の力量を見定めるために投げかける言葉が「挨」。
それに対して切り返す言葉が「拶」です。
「挨」は「押す」の意味です。
「拶」は「迫る」を意味します。
禅語の「一挨一拶」には、真剣勝負のような厳しさがあるのです。
剣を持たずに、心と心の試合をするのに似ています。
禅僧同士がじっと互いを見つめつつ、挨と拶を繰り広げるのです。
なるほど挨拶は難しいというのがよくわかりますね。
良い印象を残す人はみんな挨拶が上手です。
これはどこへいっても共通しています。
にっこりと笑顔で優しく挨拶されると、なんとなく嬉しくなります。
さわやかな風が吹くのに似ています。
上司だから挨拶しないなんてつまらない意地を張っている人は、所詮それだけの人間です。
明るい声で「おはよう」と声をかけてくれる上司には、なんとなく親近感を覚えるものです。
よく使う表現に「語先後礼」というのもあります。
言葉を先に出して、それから頭を下げる。
できたら名前も一緒に呼ばれると、グンと印象がかわります。
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挨拶はなんといってもコミュニケーションの原点ですからね。
時に声をかけても全く相手にされないこともあります。
聞こえないはずはないですから、やはり自分に対して何か面白くない感情を持っているのかなと勘ぐってしまいます。
それでも挨拶は続けるべきです。
廊下などで会ったら、会釈をすることもやはり大切でしょう。
たえず微笑みをうかべるのは難しいにせよ、やはり笑顔が基本です。
これが欠けていると、人が自然に寄ってこなくなります。
どこか暗さを感じるからです。
明るく元気にを合言葉にしましょう。
一見単純な作業ですけど、繰り返しているだけで複雑な世の中を案外生き残れるものです。
子供の頃からの習慣
挨拶は一朝一夕にはできません。
実は結構手間がかかるのです。
子供の頃から自然に習慣づけていないと、どうしてもひっかかってしまいます。
なんとなく恥ずかしくて、自分からはできないということにもなりがちです。
大きな声ではっきり相手に伝わるように。
これが基本中の基本です。
相手が無視してなんにも声をかけてくれなくてもかまいません。
廊下であったら必ず会釈をして、「こんにちは」を言うのです。
そのうち、必ず相手も反応を示すようになります。
そこまで数カ月かかってもやるべきです。
日本人はシャイですから、相手から何度か返事がないと、それ以降諦めてしまいます。
それでは勿体ない。
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コミュニケーションの糸が途切れてしまうのです。
基本はやはり家族からでしょうね。
それがきちんとできていれば、必ず職場でも同じようにできます。
自分から率先して語先後礼です。
挨拶はタダ。
しかし値は千金です。
ありがとうという言葉
4月になると新入社員が、次々と各部署に配属されます。
毎年のことですが、フレッシュマンというのはいいものですね。
最初の研修は、挨拶の練習から始めるのが普通でしょう。
大きな声ではっきりと、相手の目を見てなどと、次々指示が出されます。
特に接客業では、これが基本中の基本です。
車に乗ったお客様の姿が見えなくなるまで、ディーラーの営業マンは頭を下げ続けています。
ありがとうと自然に言える人もやはり、すばらしいですね。
ありがとうは日本語の中で、最も美しい言葉だと思います。
かつて学生時代にホテルのドラッグストアで、アルバイトをしたことがありました。
生きた英語を勉強したかったからです。
その時に驚いたことはなにか。
ほとんどの外国人がタバコ1つを手渡す時にもサンキューと必ずお礼を言ってくれることでした。
お釣りをあげても、もちろんサンキューです。
どんな時も本当に気軽にこの言葉を使います。
イクスキューズミーとあわせて、もっとも多く使う言葉ではなかったでしょうか。
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さすがに多くの人種が暮らしている国では他者への細かな配慮が行き届いているなと感じました。
あれ以来、ぼくはスーパーでもコンビニでも必ず、お釣りをもらうときにありがとうと言うようにしています。
キャッシュレスのレシートだけでもやはりありがとうです。
これは実際働いていると感じることですが、たいていの日本人は何もいわずに品物をもっていく人が多いです。
はじめから一言も発しないでお金だけ出す人もいます。
キャッシュレスの時代になってますますその傾向が強くなりました。
しかしありがとうと一言言われると、ホッとします。
とても嬉しいものです。
これはレジに立ってみないとわからないことです。
ほんの一言が心にしみるのです。
相手の印象
人間は不思議な生き物です。
挨拶ひとつで相手に対する印象も変わってしまいます。
高い人格を持った人間になることもそれほど難しいことではありません。
他者へのいたわりの心が外にあらわれるのです。
地方の篤農家といわれる人達の中に人格者が多いのは、土への感謝、自然への畏れがごく普通にあるからです。
人間の力だけではどうにもならないものがあるという事実が彼らを謙虚にします。
それと全く同じことなのです。
挨拶は確かに難しいものです。
しかし人間にとって最も基本となるものであることに間違いはありません。
断言していいと思います。
自分が上司になったらどうか。
自分がお客の時に率先して挨拶したらどうなるか。
ちょっと想像してみてください。
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あるいは親しい人と食事に出かけた時、料理を運んでくれたボーイさんに、あるいはレジでさりげなく
ありがとうと声をかけましょう。
相手の人はどう思いますか。
あなたの心のゆとりをみてとってくれます。
恋人だったら、さらに好意を強く抱いてくれるでしょうね。
その人の優しさが言葉の中から滲み出てくるからです。
無理に作ってするのではない。
ごく自然な所作になればなるほど、すばらしいと思います。
相手のことを思い、発する言葉の中に柔らかいこころの襞がみえるのです。
無理にしてはいけません。
ごくごく自然にできるまで自らを律することです。
努力して少しでもいい人になりましょう。
その方が人生が豊かで楽しくなるのは間違いありません。
ちっとも難しいことではありません。
しかし続けるのは至難です。
最後までお読みいただきありがとうございました。