【荘子・湯川秀樹】中国思想が原子物理学の世界を切り拓くヒントになった

荘子

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回はちょっとユニークなエッセイを紹介します。

筆者は湯川秀樹博士です。

日本人として初めてノーベル賞を受賞したことでもよく知られていますね。

陽子と中性子の結合媒介となる中間子の存在を予測した科学者です。

その彼が、なんと中国の古典を愛していたというから、驚きです。

それもあまり多くの人が読まない『荘子』について書いています。

ここでは『荘子』そのものと、湯川秀樹氏のエッセイを重ねてみていきましょう。

あなたは『荘子』という本の存在をご存知ですか。

儒教の代表的書物『論語』はよくとりあげられますが、『荘子』は滅多に高校でも扱いません。

一般に「老荘思想」と呼ばれ、『老子』とセットで学ぶことが多いようです。

道家の経典といわれる書物です。

もともと老子を祖とし、荘子らが継承発展させた思想が中心なのです。

道家の基本的な考え方は「無為自然」です。

よく下り坂の哲学とも言われますね。

なぜか。

それは多くを願わないことを主軸としているからです。

上るのではなく下りる。

どういうことかわかりますか。

人生に夢や希望を持って生きることは、一般的に良いことだとされています。

しかし、苦しさや虚しさはむしろそこから生まれてくるとも言えます。

うまくいっているときは何の問題もありません。

まさに上り調子の時代です。

挫折の苦しみ

ところが夢や希望が破れた時が一番厄介なのです。

競争の中で他人より劣っていると感じた時に感じるのが、苦しみや虚しさだからです。

そこでそういう夢や希望を抱く「私」を持たなければいい、という考え方が登場しました。

そうすれば、苦しみや虚しさを感じなくて済むのではないか、と道家の人々は考えたのです。

私を捨て、一切をあるがままに受け入れ、天地自然の動きに身を任せて生きようという哲学です。

このことを、老子は「無為自然(むいしぜん)」と呼びました。

「上善は水の如し」という言葉を聞いたことはないでしょうか。

老子にとっての理想型は「水」でした。

昔から「水は方円の器にしたがう」という言葉があります。

いい格言ですね。

水は柔らかくしなやかです。

どのようにでも自分の形を変え、争うことがありません。

また、最後には最も低い場所に流れていきます。

それだけではありません。

時には岩を砕き、動かす強い力も秘めているのです。

老子は「上善は水の如し」と言いました。

理想は、水のように生きることにある、としたのです。

荘子も老子と同じに、時間や空間に縛られず、何事にもとらわれない自在の境地に遊ぶことを最良のこととしました。

ここで『荘子』の文章が一番しっくりきたという物理学者、湯川秀樹のエッセイの一部分を読んでみましょう。

混沌

中学校に入るころには中国の古典でも、もっと面白いもの、もっと違った考え方の書物があるのではないかと思って、父の書斎をあさった。

『老子』や『荘子』をひっぱりだして読んでいるうちに『荘子』を特に面白いと思うようになった。

なんども読み返してみた。

中学生のことではあり、どこまでわかったのか、どこが面白かったのかと、後になってから、かえって不思議に思うこともあった。

それからずいぶん長い間、私は「老荘」の哲学を忘れていた。

4,5年前、素粒子のことを考えている際中に 、ふと「荘子」のことを思い出した。

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南海の帝を儵(しゆく)と為(な)し、北海の帝を忽(こつ)と為し、中央の帝を渾沌(こんとん)と為す。

儵と忽と、時に相与(とも)に渾沌の地に遇(あ)ふ。

渾沌之を待(たい)すること甚(はなは)だ善(よ)し。

儵と忽と渾沌の徳に報(むく)いんことを諜(はか)りて曰はく、

「人皆七竅(しちけう)有りて、以て視聴食息(しちやうしよくそく)す。

此(こ)れ独(ひと)り有ること無し。

嘗試(こころ)みに之を鑿(うが)たん。」と。

日に一竅を鑿ち、七日にして渾沌死す。

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南海の海の帝王は儵(しゅく)、北海の帝王は忽(こつ)という名前である。

儵、忽ともに非常に速い、速く走ることを意味しているようだ。

儵忽を一語にすると、たちまちとか束の間とかいう意味である。

中央の帝王の名前は混沌(こんとん)である。

ある時、北と南の帝王が、渾沌の領土にきて一緒に会った。

この儵、忽の二人を、混沌は心から歓待した。

儵と忽はそのお返しに何をしたよいかと相談した。

そこでいうには、人間は皆七つの穴を持っている。

目、耳、口、鼻。

それらで見たり聞いたり食べたり呼吸をする。

ところが、渾沌だけは何もないので、ズンベラボーである。

大変不自由だろう。

気の毒だからお礼として、ためしにを穴をあけてみようと相談して毎日、ひとつずつ穴をほっていた。

そうしたら
七日したら渾沌は死んでしまった。

影を畏れる

これがこの寓話の筋である。

私は長年の間、素粒子の研究をしているわけだが、今では30数種にも及ぶ素粒子が発見され、それらが謎めいた性格を持っている。

一番の根本になるものは、まだ未分化の何物かであろう。

今までに知っている言葉で言うならば混沌というようなものであろう、などと考えているうちに、この寓話を思い出したわけである。

最近になってこの寓話を、前よりも一層面白く思うようになった。

混沌というのは、素粒子を受け入れる時間・空間のようなものといえる。

『荘子』の中にはこんな話もある。

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人、影を畏れ迹(あと)を悪い(にく)みて、之を去(す)てて走る者あり。

足を擧ぐること愈(いよいよ)數(しばしば)にして、迹は愈多く、走ること愈疾くして、影は身を離れず。

自ら以爲(おも)へらく尚ほ遅しと。

疾く走りて休(や)まず、力を絶ちて死す。

陰に処(お)りて以て影を休め、静(せい)に処りて以つて迹を息(や)むるを知らず。

愚も亦甚だし。

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ある人が自分の影をこわがり、自分の足跡のつくのをいやがった。

影を捨ててしまいたい、足跡を捨てたい、それから逃げたいと思って、一生懸命に逃げた。

足をあげて走るにしたがって足跡ができてゆく。

いくら走っても影は身体から離れない。

そこで思うのには、まだこれでは走り方が遅いのだろうと、そこでますます急いで走った。

休まずに走った。

とうとう力が尽きて死んでしまった。

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この人は馬鹿な人だ。

日陰にいて自分の影をなくしたらいいだろう。

静かにしていれば、足跡もできていかないだろう。

このような考え方は宿命論的で、一口に東洋的といわれている考え方の一つには違いないが、決して非合理的ではない。

それどころか今日のように科学文明が進み、そのためにかえって時間に追われている私たちにとっては、案外、身近な話のように感ぜられるのである。

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西洋の学問を究めようとした湯川秀樹氏の中にあった東洋思想は、叡智の可能性を感じさせてくれます。

素粒子論と中国思想の接点はどこにあるのでしょうか。

是非、この機会にあなたも考えてみてください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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