【送薛存義之任序・柳宗元】役人として清廉に生きる知人を称えた散文詩

柳宗元(りゅう・そうげん)

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は中国唐代中期の文学者・政治家である柳宗元の散文詩読みましょう。

高校でもこの詩人の代表的な作品を扱います。

それが「送薛存義之任序」です。

薛存義(そんせつぎ)の任に之(ゆ)くを送るの序と読みます。

作者、柳宗元は王維や孟浩然らとともに自然詩人として名を馳せました。

散文の分野では、韓愈とともに古文復興運動を実践したのです。

唐宋八大家の一人に数えられています。

柳宗元は若くして官吏登用試験、科挙に及第しました。

将来を嘱望されながら、政争に巻き込まれて左遷され、一生を僻地の地方官として送ったのです。

それだけに人並みでない苦労を重ね、そこから豊かな感受性が花開きました。

当時流行していた華美な文体とは全く違う、地に足のついた穏やかな文章が印象的です。

彼の作品の中でも、この詩には、思想と情念がほとばしっています。

どれだけの辛酸をなめてきたのかということが、文章の背後から見えます。

ここで語られる政治倫理は、今でも立派に通用します。

私たちが最も大切にしなければならない考え方ではないでしょうか。

詩の意味はそれほどに難しいものではありません。

河東の薛存義が任期を終えるに当たり、送別の宴を開いて送りだした時のものです。

役人とは民衆のために働き、民衆から報酬を得る存在だというのが、一貫した柳宗元の考え方です。

ところが世間には民衆のために働かず、民衆の富を奪うだけの役人がいるのです。

彼らの存在をここでくっきりと映した後で、薛存義はそうではなかったと力説しています。

朝早くから、夜遅くまで、民衆のために仕事をし、公平な裁判、適正な課税を行った姿を賞賛しているのです。

送別の辞が輝いて見える瞬間です。

永州に左遷されていた柳宗元が、同郷の知人、薛存義の転出にあたり、彼の功績を讃えながら官吏の正しい在り方を述べた散文詩としては出色ですね。

書き下し文

河東(かとう)の薛存義(そんせつぎ)将(まさ)に行かんとす。

柳子(りうし)肉を俎(そ)に載せ、酒を觴(さかづき)に崇(み)たし、追ひて之を江の滸(ほとり)に送り、之に飲食せしむ。

且つ告げて曰はく、

「凡(およ)そ土に吏(り)たる者、若(なんぢ)其の職を知るか。

蓋(けだ)し民の役にして、以て民を役するのみに非ざるなり。

凡そ民の土に食する者は、其の什(じふ)の一を出(い)だして乎吏を傭(やと)ひ、平を我に司(つかさど)らしむるなり。

今、其の直(あたひ)を受けて、其の事を怠る者、天下皆然(しか)り。

豈(あ)に唯(た)だに之を怠るのみならんや、又従ひて之を盗む。

向使(も)し一夫を家に傭(やと)ひ、若(なんぢ)の直を受けて、若の事を怠り、又若の貨器(かき)を盗まば、則(すなは)ち必ず甚だ怒りて之を黜罰(ちゆうばつ)せん。

以(おも)ふに今天下此(これ)に類するもの多し。

民敢(あ)へて其の怒りを肆(ほしいまま)にして黜罰(ちゅつばつ)すること莫(な)きは、何ぞや。

勢ひ同からざればなり。

勢ひ同からざるも理は同じ。

吾が民を如何(いかん)せん。

理に達する者有らば、恐れて畏れざるを得んや。

存義仮に零陵に令たること二年。

蚤(つと)に作(お)き夜に思ひ、力を勤めて心を労し、訟は平らかに、賦は均(ひと)し。

老弱にも詐(いつは)りを懐(いだ)き暴憎(ぼうぞう)すること無し。

其の虚(むな)しく直を取らずと為すや、的(あき)らかなり。

其の恐れて畏るることを知るや、審(つまび)らかなり。

吾(われ)賤(いや)しくして且つ辱められ、考績幽明(こうせきゆうめい)の説に与(あづ)かるを得ず。

其の往(ゆ)くに於(お)いて、故(ことさら)に賞するに酒肉を以てして、之に重ぬるに辞を以てす。」と。

現代語訳

河東の薛存義は今にも任地に赴こうとしています。

私、柳は、肉を膳に載せ、酒を杯に満たし、ついて行って薛存義を川のほとりまで見送り、飲食を振る舞いました。

そして言ったことには、

「その土地で役人となる者について、あなたはその職務を知っていますか。

私が思うに、その仕事は民に使われることであって、民をこき使うのではないということだけです。

土地を耕して生活している農民たちは、収穫の十分の一税を払って役人を雇い、我々のような役人に公平な政治をさせているです。

ところが今、その報酬を受け取りながら、その仕事を怠けている者については、世の中どこでも同じようです。

さらに言えば、ただ怠けているだけでしょうか。

そんな世の中の流れにのって、報酬をかすめ取ってもいるのです。

仮にあなたが下男を一人雇ったとしましょう。

あなたの払う報酬を受け取りながら、指示した仕事を怠け、その上に金目の物を盗んだとしたら、きっとひどく怒ってその下男を罰するでしょう。

今の世の中はこのような話が多いと、私は思うのです。

それでは人々はなぜ怒らないのか。

役人を辞めさせようとしないのは、どういうわけなのでしょうか。

それは、民衆と役人とでは力関係が同じではないからです。

もちろん、力関係同じではなくても、報酬に見合った分は働かなければならないという道理は同じです。

では搾取されても怒ることのできない民衆を、どうすればよいのでしょうか。

理屈のわかっている人であれば、危ぶみ恐れないことがあるでしょうか。

存義よ、あなたは零陵県の仮の長官を2年間務めました。

その間、朝早く起きて夜遅くまであれこれ考え、肉体を働かせ精神を使い、訴訟は公平に裁き、税を均等にしました。

老いも若きも不正を企んだり憎悪を露わにすることがなかったのです。

あなたが何もしないで報酬を得ることがなかったのは、明らかでした。

あなたが優れた役人であることは、はっきりしています。

ところが私は、身分が低くその上罪人であるため、役人の功績を議論する会議に関わることができません。

そこであなたが任地に赴くにあたって、わざわざ酒と肉で称え、さらにこの文章を贈るのです。

(柳宗元 古文真宝後集)

同郷の2人

文中に出てくる河東は薛存義の故郷です。

現在の山西省の南西部にあたります。

柳宗元もここの出身でした。

薛存義は生没年不詳ですが、この詩が書かれた当時、彼は零陵県の県令代行から転出するところであったと言われています。

難しい言葉がたくさん入っていますが、ゆっくり読めば必ず理解できます。

是非、内容を味わってください。

杜甫や李白などの詩とは、また味わいの違う作風の詩です。

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「豈(あ)に」という表現で示される反語の強さに心惹かれますね。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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