侵官之書
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は法治主義の根幹にある、韓非子の思想について考えます。
法家は、中国戦国時代の諸子百家の一つです。
徳治主義を説く儒家と異なり、法による国家主義を説きました。
韓非子は春秋戦国時代の韓という国の王族の子と言われています。
荀子について「法」を学びました。
その後、韓王に自分の主張を提案したものの、説得できず、力を発揮することができませんでした。
しかし、やがて秦が韓の属国化に動くようになってきたため、韓非子は使者として秦に赴き、交渉をすることになったのです。
秦の始皇帝はかねてより『韓非子』を愛読していました。
彼の思想に共感していたのです。
そのため韓非子が使者として秦を訪れた際、臣下として登用しようと考えます。
ところが、かつて師と仰ぐ荀子に学んだ、学友の李斯が既に秦に仕えていたのです。
李斯は自分の地位を守るため、王に韓非子を登用しないように進言しました。
偽りの事実を述べて、自らの身を守ろうとしたのです。
その結果、韓非子は投獄され、服毒自殺を遂げることになりました。
学友の罠にはまったともいえる事件です。
しかし韓非子の考え方は、その後の秦の発展の基礎を作り上げました。
それまでは孔子や孟子の儒家の説く礼によって、国を治める徳治主義が政治の主流でした。
しかしそれだけでは多くの人民を統治することは困難だ、と考えたのが法家の思想です。
成文法によって罰則を定め、法と権力によって国家を治めようと考えたのです。
現在ではこの考え方が、世界を覆っています。
性善説を基本とする儒家の考え方からみると、正反対の立場にあるといっていいでしょう。
小国寡民
中国にはもともと「小国寡民」(しょうこくかみん)という考え方があります。
少ない人々が、お互いを眺めやることができるほどの近さで隣り合う、善良な暮らしをいいます。
有名な陶淵明の『桃花源記』のような文章を読むと、ユートピアの意味がよく理解できますね。
しかし現実は争いの続く、過酷な日常が人々を待っていました。
儒家の思想だけでは、どうしても国を動かすことができなくなりつつあったのです。
ことに秦のような大国は、徳治主義だけでは権力が維持できませんでした。
厳格な法という定まった基準によってしか、国家を治められなかったのです。
「侵官之害」は「かんをおかすのがい」と読みます。
わかりやすくいえば、「越権行為」の禁止です。
これをひとたび認めると、君主を無視して反乱などをすることにつながりかねない可能性もあります。
たとえ臣下が良かれと思ってやった行為であっても、処罰するという論理なのです。
もちろん、この論理を貫きすぎると、あちこちに問題が起きるのは、誰にも想像できます。
官僚主義の弊害はここから生まれるのです。
しかし国家の規模が大きくなれば、他に方法がなくなってくるのも事実です。
法家が説く厳格な『信賞必罰』の原理はある意味、必要悪なのかもしれません。
話に登場するのは韓の昭侯という君主と、冠を管理する役人です。
内容は大変に単純で、わかりやすいのですが、その先には難しい問題が山積しています。
ある日、昭侯は酔っ払って寝てしまいます。
それを見た冠係は、「王が風邪をひいてしまう」と思い、昭侯の着物を体にかけてあげました。
本文
昔者(むかし)、韓の昭侯酔ひて寝(い)ぬ。
典冠(てんかん)の者君の寒きを見るや、故に衣を君の上に加ふ。
寝より覚めて説(よろこ)び、左右に問ひて曰はく、
「誰か衣を加へし者ぞ。」と。
左右対(こた)へて曰はく、
「典冠なり。」と。
君因りて典衣と典冠とを兼ね罪せり。
其の典衣を罪せしは、以て其の事を失すと為せばなり。
其の典冠を罪せしは、以て其の職を越ゆと為せばなり。
寒きを悪(にく)まざるに非ず、以て官を侵すの害は寒きよりも甚だしと為せばなり。
故に明主の臣を蓄(やしな)ふや、臣は官を越えて功有るを得ず、言を陳(の)べて当たらざるを得ず。
官を越ゆれば則ち死(ころ)され、当たらざれば則ち罪せらる。
業を其の官に守り、言ふ所の者貞なれば、則ち群臣は朋党して相為すを得ず。
現代語訳
昔、韓の昭侯が酔って寝てしまったことがありました。
冠を管理する職の者が君主が寒そうにしているのを見て、衣服を君主の上にかけたのです。
昭侯が眠りから覚めると、衣がかけてあったことに喜んで、側近の者に尋ねました。
「誰が衣をかけてくれたのか。」と。
側近の者が答えて言いました。
「冠を管理する者です。」と。
君主はこれによって衣を管理する職にある者と冠を管理する職にある者をともに罰しました。
衣を管理する職にある者を罰したのは、自分の職責を全うしていないと考えたからです。
冠を管理する職にある者を罰したのは、自分の役割を越えたことをしたからです。
寒さを苦手としないわけではないですが、他の職務を侵すことの弊害は寒さのそれよりも重たいものだと思ったからです。
名君が家臣を待遇するときには、家臣は自分の官職を越えて功績を得ることはできず、意見を述べてその通りに実行しないことは許されません。
自らの官職を超えたことを行えば死刑にされ、述べたことを実行しなければ処罰されます。
家臣らが自分の官職の範囲を守って、言動の整合性がとれているのであれば、家臣たちは仲間を組んで君主にさからうことはできないのです。
法家の思想
ここに示された内容は。ごく身近で起こることからです。
しかしそれを敷衍していくと、実は想像もできない大きなことがらに発展していきます。
王が寒いだろうからといって、衣服をかけてあげること自体は、褒められてもいいことなのかもしれません。
しかしそれが政治の場面において、本当に賞賛に値するのかどうか。
本来部下というものは、自分の仕事以外の仕事まで手を出すと、害になってしまうことがあるという考え方には正当性があります。
あらゆる組織をみれば、権限に関する構図が見えてきますね。
政治を実際に動かしているのは官僚です。
それぞれの職域は厳然と区分けされています。
失敗した時、誰の責任なのかが明確であることが最も大切なのです。
これを機会に、儒家の思想との差を考えてみてください。
秦という大帝国を築き上げた始皇帝の考え方の基礎が、まさにこの韓非子の思想だったのです。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。