冬の木は素裸
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回はつい数日前に行われたばかりの、都立推薦入試問題を考えます。
毎年、各高校の問題をチェックしています。
どれも難しいですね。
わずか50分で500~600字くらいにまとめなくてはなりません。
多い学校では3問も出題されます。
それも文系と理系の問題に分かれるのです。
今までに全く考えたこともないようなテーマもあると思われます。
以前、自動車の燃費に関わる設問を出題した学校もありました。
今年は、ロケットの打ち上げ場所として、最適なところは日本のどこなのかというテーマの設問がありました。
その理由を述べなさいというのです。
これは中学校で学んだ内容を、自分なりにさらに飛躍させて想像しないと、解答が出てこないかもしれません。
全体的には環境にからむ問題が多かったですね。
やはりSDGsに特化している設問が目立ちました。
それだけ喫緊のテーマだということがよくわかります。
もう1つ言えるのは、小論文(作文)の比重が高くなっていることです。
以前は内申書50%、面接と小論文がそれぞれ25%ずつの学校が大半でした。
しかし最近はそう単純ではありません。
青山高校の例をみてみましょう。
令和5年 令和4年
・調査書点(内申点) 450点 ←450点
・個人面接点: 100点 ←100点
・小論文点: 500点 ←400点
・合計: 1050点 ←950点
かなりショッキングな数字ですね。
令和5年度入試では、小論文の換算比率が調査書点を超えた学校もあるのです。
今までは調査書点の高い生徒が入試では圧倒的に有利でした。
しかし今は必ずしもそうではありません。
志望する学校によって、状況は全く違うのです。
都立西高校の場合
西高校は文武両道を標榜する自由な高校です。
大変、人気があります。
今年も女子の推薦入試倍率はほぼ6倍でした。
この型の入試は合格したら辞退ができません。
必ず入学しなければならないのです。
それだけに強い意志を持った生徒だけが集まります。
中学校においても最上位に位置する生徒たちだけの戦いなのです。
要求されるのは高いリーダシップ能力、協調性、コミュニケーション能力、思考力、判断力、表現力などです。
自分の力で切り拓くという意志も必要です。
配点比率は以下の通りです。
・調査書:360点
・個人面接:240点
・小論文試験:300点
・計900点
比率は調査書が40%、小論文が33%、面接が27%です。
かなり小論文に比重がかかっています。
小論文試験について、高校側は「新しい表現に触れたときに、それをどう見て、どう受けとめ、どう考えるか表現してほしいという意図がある」と説明しています。
設問は大変に短い文章だけです。
それを50分で600字書きます。
以前の記事で過去問について説明しました。
詳しいことは、そちらを参照してください。
令和5年度の問題
今年は次のような課題文が出題されました。
「木は不幸ではない。冬の木は葉を落として素裸かもしれないけれど、不幸ではあるまい。」
筆者は作家の開高健氏です。
ご存知ですか。
小説家でジャーナリストでした。
亡くなってからすでに30年以上が経っています。
ベトナム戦争取材の体験をもとにした『輝ける闇』を読みふけった記憶があります。
後年は趣味の釣りに関するエッセイが多かったですね。
彼はたくさんの言葉を残しています。
その中でも有名なのが「りんごの木」の話です。
どこかで目にしたことがあると思います。
「明日、世界が滅びるとしても 今日、あなたはリンゴの木を植える」
彼が色紙に好んで書いた言葉です。
ルターが語った箴言を元にしているとされています。
「もしも明日世界が終わるなら、私は今日リンゴの木を植えるだろう」
今年の設問は同じ筆者の木にまつわる言葉です。
あながち関係がないとは言い難いのではないでしょうか。
あなたはどこからこの設問を解きほぐしていきますか。
最初に考えたことは何ですか。
もちろん、正解はありません。
あなた自身の解答が正解なのです。
不幸の意味
もう1度、問題を見直してみましょう。
設問は「木は不幸ではない。冬の木は葉を落として素裸かもしれないけれど、不幸ではあるまい。」です。
主要な表現をひろってみます。
木、不幸、冬、葉、落とす、素裸。
これらのキーワードをつなぐ最後のことばは「ではあるまい」です。
「あるまい」というのはそんなことはないだろうという打消しの推量表現です。
そんなことというのは「不幸」です。
つまり「冬の木は不幸ではないだろう」と言っているのか。
それとも「木」という存在は不幸ではないだろうと言っているのか。
捉え方としては2通り考えられます。
しかしここでは「冬の木」は寒い中で葉を落とし凍えている。
その姿が可愛そうだというイメージで考えるのが自然でしょう。
ではなぜ筆者はそれが不幸でないと感じたのか。
おそらく雌伏の時を持つことの喜びに内側から燃えているからでしょうね。
この言葉を読んだ時、1番最初に感じたのは染色家志村ふくみさんの『一色一生』の内容でした。
桜の花は咲く直前の木の枝の中に、あらゆる色のエッセンスを蓄えているという一節です。
咲ききった後の枝には命を放出しきった疲労だけが残っているのです。
そういう意味でいえば、冬の木は成長のための命の準備の場所なのですね。
生きる意欲と夢に溢れた場所です。
つまりそれが中学生の自分の現在の命の姿に重なれば、いい文章になるのではないでしょうか。
参考のために、中学の教科書に載っている大岡信の文について書いた記事をリンクしておきます。
これはあくまでもぼくの個人的な考えです。
別の解答もたくさんあるでしょう。
体験や見聞にまつわる心温まる文章も読みたいです。
毎年のことながら、西高校の設問は質の高いものが揃っています。
今回は速報なので、ここまでですが、もう1度じっくり考えてみるつもりです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。