【感染症・コロナ】一病息災なんて暢気に言ってられない時代が来た

ノート

一病息災

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今年はコロナのデルタ株でさんざん痛めつけられました。

やれやれ、やっと退散かと思っていたら、今度はオミクロン株。

来年早々に3度目のワクチンを注射をうつ予定です。

さてこれで終わるのかどうか。

全く予断を許しませんね。

マスクにも慣れました。

来年もずっとはずすことはできそうもありません。

一病息災という言葉があります。

昔の人はうまいことをいったものです。

一カ所、身体の具合が悪いことで、むしろ人間は自分の調子に敏感になるという話です。

無理をしなくなるし、体調とよく相談することも知ります。

あまり元気で病気をしたこともないという人の方が、むしろ突然重い症状にかかったりするものです。

ぼくも以前急にめまいを覚え、吐き気がして動けなくなったことがありました。

あの時はやっとの思いで医者に駆け込んだのを、よく覚えていまはす。

それ以来、低血圧症だということを知り、あまり調子の悪いときには、点滴をしてもらったりしたこともありました。

俗に言う男の更年期らしかったのです。

しかし感染症はこういう類の予測とは全くちがうところから来ました。

本当に突然やってきたのです。

最初は以前はやったSARSのようなものをイメージしていました。

しかしそれとも違う。

知っている俳優やタレントさんが亡くなるにつれ、話は現実味を帯びてきたのです。

一寸先は闇

人生は何があるか分かりません。

つい先刻まで元気だった人が、いつの間にか彼岸へ旅立つこともあります。

かつて『徒然草』を書いた兼好法師は遠くに見える干潟にもやがて波がやってくると述べました。

このフレーズは胸に残っています。

原文を紹介しましょう

155段「世に従はん人は」の章です。

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春暮れて後夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。

kareni / Pixabay

春はやがて夏の気をもよほし、夏より既に秋は通ひ、秋はすなはち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ。

木の葉の落つるも、まづ落ちて芽ぐむにはあらず。

下よりきざしつはるに堪へずして落つるなり。

迎ふる気、下にまうけたるゆゑに、待ちとるついで甚だ早し。

生老病死の移り来る事、またこれに過ぎたり。

四季はなほ定まれるついであり。

死期はついでを待たず。

死は前よりしも来らず、かねて後ろに迫れり。

人皆死あることを知りて、待つこと、しかも急ならざるに、覚えずして来る。

沖の干潟はるかなれども、磯より潮の満つるがごとし。

現代文訳

春が終わったのちに夏になり、夏が終わり秋がやってくるのではありません。

春はそのまま夏の気配を誘い、夏の間からももう秋の気配が通いだし、秋はすぐに寒くなります。

10月は小春日和の天気で、草も青くなり、梅もつぼみをつけます。

木の葉が散るのも、最初に葉が散ってその後に芽を出しはじめるのではありません。

葉の下から芽ぐみ、芽がふくらむのに持ちこたえずに葉が散るのです。

待ち受ける生気が、木の内側に準備されているので、葉が散るのを待ち受けて芽が出る順序がとても早いのです。

生老病死が移り変わっていくことは、また四季の変化より勝って早いのです。

四季には何といっても春夏秋冬という順序があります。

しかし死期は順序を待ちません。

死は必ずしも前からやってくるわけではなく、背後に近づいているのです。

人々は皆死があることを知っていますが、死を待つことが、そんなにも差し迫ってはいないときに、思いがけなくやってきます。

沖の干潟は遠く離れていますが、磯から潮が一気に満ちてくるようなものなのです。

実感

生の内側に死があるという死生観を持つことで、人の視野は以前と全く違うものになります。

わかっているつもりではいますが、感染症による突然の死はなかなか受け入れられるものではありません。

700年も前に書かれた随筆が、今も生きていますね。

しかしそれ以上に現実はもっと過酷に進んでいるような気がしてなりません。

本当に不安な時代です。

一寸先が読めないというのはこのことでしょうか。

この国はどんどん萎んでいくだけなのかもしれません。

日の出の勢いだった時代も確かにありました。

これからはアジアの片隅で静かに生きていけば、それでいいのかもしれません。

しかしそれさえも許されない現状があちこちにあります。

確かに世界は広いです。

明日の食事のことをたえず考えていなければいけない国が、3分の1以上もあります。

それならば、日本人は幸せかとなると単純にそうはいきません。

かつては働けば給料があがり、三種の神器が揃い、皆幸せを実感できました。

日本人はチームワークで働くのが得意ですから、経済活動に関する限り、黙々とやってきたのです。

極端に言えば、政治は政治家にまかせておけばよかったのです。

その果てが現在の機能不全です。

国の財政破綻は誰の目にもよくわかります。

コロナでの出費にしてもケタが違います。

休業補償金を出さなければ、多くの店舗が潰れたでしょう。

それでも廃業した人々は多いのです。

観光業をはじめとして、販売業も不振です。

東急ハンズの身売り話にも驚かされました。

国民1人あたりの借金は1000万円以上に達したと聞きます。

今日生まれたばかりの赤ちゃんもこれだけの借金を背負っているのです。

人間には未来があれば、いつだって幸せになれる可能性があります。

しかしこのAI時代に未来を見つめろというのは、少し酷な気がします。

地球温暖化も待つことはできない段階に入ってきました。

炭素ガスの排出量削減も喫緊の課題です。

沖の干潟は離れているようにみえて、それほど遠くはないのかもしれません。

いよいよ潮の満ちる時が近づいているような予感さえします。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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