作家森敦
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
作家森敦が亡くなってから隋分、日数が過ぎました。
亡くなったのは1989年。
もう30年も前です。
1974年に『月山』という小説で芥川賞を受賞しました。
その時、彼は62歳。
最高齢での受賞でした。
その後、黒田夏子さんが75歳で受賞したので、記録は破られましたけどね。
一読をお勧めします。
実に不思議な小説です。
何が起こるというのでもない。
ただ月山の麓にある古い寺に一冬居候する男の話です。
何か事件が起こることもありません。
ただ農家のじさまとばさまの話を聞くだけです。
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時間のある時は寺にあった祈祷帖の和紙で蚊帳をつくります。
やがて春がやってきて、寺を去ります。
ただ寒いだけの雪国の風景です。
この話は実際、森敦が体験したことを下敷きにして書かれました。
彼の経歴は実に多彩です。
あちこちで講演をしているので、その時の音源もあります。
チャンスがあったら聞いてみてください。
心の中に染み入ってくるような訥々とした味わいのあるものです。
10年働き10年遊ぶ
森敦は旧制一高を中途退学しています。
1931年に入学したものの翌年にはやめてしまいました。
あまりにも早熟な青年でした。
その後横光利一に師事し、『酩酊舟』を連載します。
このタイトルはランボーの詩集からとりました。
ぼくもかなり以前に読んだ記憶があります。
大人びた作品でした。
ニコチン中毒の青年が主人公です。
『酩酊船』という作品を書き出すまでの心の内側を扱っています。
実験的な若書きの小説とでもいったらいいのでしょうか。
その頃から太宰治、檀一雄、中原中也などと同じ同人誌に参加します。
彼の生き方はあまりにも特異でした。
10年働いたら、10年は遊ぶというものです。
1945年頃から妻の故郷である山形県酒田市に住み、以後は庄内地方を転々としました。
1951年、湯殿山注連寺に滞在したのです。
『月山』はその時の記憶を元に描いた彼の心象風景です。
月山は山形県の中央に位置する、出羽三山の1つです。
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修験道を基本とする山岳信仰の場なのです。
ここで主人公が何を考え、どう行動したのかが、この小説のテーマです。
あらすじは読んでもらう以外にありません。
何も起こらない日常が静かに過ぎていくだけです。
しかし考えてみると、人間が生きるということは、まさにここに示されている通りなのかもしれません。
確かなのは、日々飽きることなく降る雪です。
小説の文体としては「ですます」調が非常に新鮮ですね。
他の作品
彼はことに数学が好きでした。
『意味の変容』という実にユニークな本があります。
他には『鳥海山』『われ逝くもののごとく』でしょうか。
ここでは森富子さんの書いた長編『森敦との対話』を紹介します。
何度か読みました。
実に不思議な本です。
森富子さんは文学上の弟子です。
しかし後に養女となり森夫妻の面倒を見ました。
森敦が日々の暮らしをどのように営んでいたのかが、手にとるようによくわかります。
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この作家を好きな人にとっては一種の秘話となって長く語り伝えられるに違いありません。
歴史的な資料価値もあります。
森富子さんは偶然、森敦と知り合いました。
まさか後に養女になるなどとは想像もしていなかったでしょう。
全く無名の時代から彼の家へ赴き、小説の書き方を学びました。
それだけに森敦という人の裏表をほとんど全て見ているといっていいのです。
500枚の小説の中にはぼくが今まで知らなかった森敦の横顔が、これでもかというくらいつまっています。
半年も風呂に入らなかったなどという事実には正直言って驚きましたね。
後に神経を病んで病院に入ってしまった奥さんの日常の様子も常軌を逸しています。
全く生活感のない夫婦と言ってもいいでしょう。
また森敦という人が、毎日何を食べ、何を語ったのかということの記録も面白いです。
抱擁家族
小島信夫という作家に『抱擁家族』という小説があります。
彼は森敦のところへ通い続け、その結果としてこの名作が生まれたのです。
森敦はなんとこの『抱擁家族』という作品のタイトルまで彼のためにつけたといいます。
70枚くらいの原稿なら1日で書き直してくる小島信夫の執念にもあらためて驚かされます。
しかしなんといってもハイライトは、森敦が『月山』を書くまでの日常生活です。
奥さんは絶対に文章を書かないでくれと彼に要求します。
彼が執筆している最中、どんな音をたてても神経質に叱られるのが怖かったのです。
仕方なく、森敦は毎日、山手線の電車の中で小説を書くことになりました。
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何度も同じ駅をぐるぐると回るのです。
そして森富子さんの借りていたアパートへやってきてはそれを整理するのでした。
ところがそれもすぐに破られて捨てられてしまいます。
そこで彼女はさらに赤のたくさん入った原稿をまた根気よく清書しなおしました。
その上にまた彼が書き足すという日々が続いたのです。
こうした生活が10年以上も続いた後、ついに友人、古山高麗雄のいた『季刊芸術』に『月山』は発表されます。
この作品が公になるやいなや、すぐに芥川賞の最有力候補になり、次から次へと、彼の作品が発表されることになりました。
その清書を手伝ったのが、全て森富子さんだったのです。
その後、森家の養女となったものの、彼女の生活はほとんど秘書代わりの波乱に満ちたものでした。
『月山』は10年働いては10年遊んだという彼の生きざまが、そのまま表現された大変ユニーク小説です。
森敦の魅力を一言でいうのは難しいですね。
本当に破天荒な人です。
だからこそなお、多くの人が惹かれていったのでしょう。
しかし実際、彼とつきあっていくには大変な忍耐がいることだったろうと思います。
一言でいえば自恃の大変強い人です。
それと同じくらい、精神の柔らかさを持った人でもありました。
是非機会を見つけて、読んでみてください。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。