【定年後・断捨離】いらないものを速攻で捨てる勇気【エントロピー】

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エントロピーとは

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

今日はエントロピー低減化について考えます。

この言葉を聞いたことがありますか。

熱力学でよく使う表現です。

乱雑さ、無秩序さ、不規則さの度合いをあらわす言葉です。

エントロピーの低い状態をネゲントロピーが保たれているといいます。

ぼくは熱力学の内容についてまで詳しいことは知りません。

それでもよく冗談みたいに、これを口にします。

みなさんも使ってみてください。

実に調子がいいですよ。

エントロピーを下げようということは、簡単にいえば「メチャメチャ度」を解消しましょうということなのです。

1番身近なのが、ごみを捨てることですかね。

自分の家の中に置いてある状態ではダメです。

とにかく外へ排出するのです。

そうすると、ちょっとエントロピーが下がります。

つまりすっきりする。

たまった新聞もおんなじ論理です。

机の引き出しの中も、押し入れの中も全部同じイメージです。

どうしてこんなにものがたまるのか。

理由は簡単。

なんでも取っておくからです。

geralt / Pixabay

いつか使うだろうとストックしちゃうんですね。

袋でも箱でも、なんでもかんでも。

悲しい性です。

そうしているうちにエントロピーの数値がどんどん上がっていくのです。

メッシーという表現はどうでしょうか。

ゴチャゴチャな状態を英語ではメッシーと言います。

乱雑な感じにピッタリな言葉ですね。

定年なんてすぐ

ここでちょっとぼくの話をさせてください。

定年なんてずっと先のことだと思ってました。

しかし結論からいえば、あっという間でしたね。

よく50代はこうして過ごせとか、定年後の生き方を考えておけとかいう本があります。

あれはどうなんでしょう。

読んでもちっとも身にならない気がします。

その時はなんにも考えていないのです。

というより現実離れした先の話なんです。

ぼくより先に退職した人がよかれと思って年金のシステムのことを説明してくれたことがありました。

geralt / Pixabay

その先輩はいてねいに説明をしてくれたのです。

しかしぼくがなんにも知らないので、すごくびっくりしてました。

完全にあきれてましたね。

いつからどういう風にもらうのかなんて、その時にならなければ実感がわかないのです。

それが正直なところでしょう。

定年も同じです。

さあ、今日であなたのお仕事は終わりですよと言われても、そうだったんだという程度の気持ちです。

『徒然草』の文章に「 沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し」というのがあります。

定年なんてずっと向こうの方だと思っていても時間は容赦なく迫ってくるのです。

さあ、捨てるぞ

「断捨離」の本はそれこそ掃いて捨てるほど出ています。

最初のうちはちょっと読んでやる気になったりもします。

きれいな部屋の写真なんかをみると、かなりその気になりますね。

最近はみごとなYoutubeの動画などもあります。

いつも太陽と緑があって猫がいて、ほとんどものを置いていない部屋が中心です。

1人でのんびりとコーヒーを飲んでいる女性は実に優雅そうです。

リネンやオーガニック・コットンのさらさらした服はだいたいが生成りでモノトーン。

ごちゃごちゃしたメッシーな部屋で寝っ転がっている様子はありません。

いったいどこに隠したのかと思われるくらいなんにもありません。

大きな1枚板のテーブルがあって、すわり心地のよさそうな椅子。

白い猫ものんびりしちゃってます。

憧れますね。

こういうのを見ると、すぐに洗脳されるところが単純なんでしょうか。

さてと自分の机の中をあけると、よくぞこれだけため込んだものだと悲しくなります。

1つ1つ片づけていると、妙に思い出がよみがえってくるもんです。

使わなくなったシャープペンシルやボールペンがこれでもかと出てきます。

とにかく片っ端から捨てます。

2度と振り返って見ない。

思い出にふけらない。

定年後の時間は相当なものです。

この長さに耐えるにはこれくらいの断捨離はなんでもありません。

洋服ダンスもおなじ。

もう着ないスーツも捨てちゃいましょう。

既に古布です。

巡回の車が決まった日にとりに来てくれます。

悲しいけれど、もうスーツを着て出社することはありません。

少しずつ降りていく

そうやって社会の一線から降りていくことを覚悟と一緒に身につける必要があります。

これはやったことのない人にはわかりません。

今更、以前の職場に懐かしそうな顔を出して後輩に嫌がられるなんてことはしたくないです。

もうそういう時間とはきっぱり離れたのだという降り方の練習として断捨離を勧めたいですね。

いらないから捨てるという考え方もあるでしょう。

本当に必要でお気に入りの1着だけ取っておけば、あとはもうメルカリでも相手にされない古布そのものなのです。

だいいち、サイズが微妙にかわっています。

おなかが苦しいだけじゃなく、ズボンの太さとか、胴まわりの絞り方とか、どんどん変化しています。

あんまり古いパターンのスーツを着ていると、それもまたミジメでしょう。

なくても困らないもの
今の自分に不要なもの
どうもしっくりこなくなったもの

みんな断捨離の対象です。

ぼくはパソコン関係のコード類や、ハードディスクなどをかなり捨てました。

それでもまだあります。

残りは本ですね。

これはつらいです。

仕事で使うもの以外はほとんど捨てました。

残ったのは古典と落語の本だけ。

残りは漱石の小説が少しかな。

Gray_Rhee / Pixabay

これからはみんな借りればいいんです。

見栄をはって教養をひけらかしたって、頭を2、3度ブルブル震わせればみんなどこかへ飛んでいってしまう程度のもんです。

ほんとに脳みその奥に残っているわずかの知識だけで生き残る覚悟が必要です。

それが本当の断捨離後の生き方ではないでしょうか。

エントロピーを確実に下げる。

買ったら必ず同じだけ捨てる。

足元に何もおかない。

つまずいて転んだりしたらばかばかしいです。

それにしても紙は重いですね。

いい気になってプリンターを駆使してると、どんどん紙ゴミがたまるばかりです。

またゴミの中で暮らすのはご勘弁。

毎日押し入れに首をつっこみましょう。

とにかく過去と訣別して、残りの時間を生きるのです。

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少しずつ静かに降りていく覚悟をもってください。

気持ちが楽になりますよ。

今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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