【ハレルヤ・レナード・コーエン】ボッチェリの歌声に神の恩寵は降るか

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神をほめたたえよ

みなさん、こんにちは。

今回はいつもと少し趣向をかえて、歌を聴きます。

曲目は「ハレルヤ」です。

といってもヘンデルの「メサイア」ではありません。

レナード・コーエンが1984年に作曲したものです。

「ハレルヤ」とは、ヘブライ語で「神をほめたたえよ」という意味の感嘆句です。

キリスト教の旧約聖書では「詩篇」、新約聖書では「ヨハネの黙示録」に登場します。

もともとは神殿で人々が聖書の詩篇を賛美する時、司祭が呼び掛けるときに使われた言葉なのです。

現在でも讃美歌の歌詞の中で、神へ感謝を伝える言葉として使われています。

ドイツの作曲家ヘンデルが作曲した「メサイア」はことに有名ですね。

最終曲の「ハレルヤコーラス」をぼく自身、何度も歌いました。

歌の意味などとは関係なく、いつも心が穏やかになった記憶があります。

しかしキリスト教徒でもない人間が、この歌をうたう意味がどの程度あるのか。

真剣に考えると、今もよくわかりません。

音楽の持つ力がそこに働いているとしか思えないのです。

「ハレルヤ」という表現自体が、ポピュラーなものになったということなのでしょうか。

音楽を通じて私たちの生活の中に、広く浸透している表現だと言えます。

最近、人間に何ができるのか、とよく考えることがあります。

もしかしたら、最後は祈ることだけなのかもしれないとも思います。

それくらい人間は無力です。

わたしたちの日常には、あまりにも理不尽で不条理なことばかりが続きます。

瓦礫の山を見て

特に近年のロシアとウクライナの戦争やハマスとイスラエルの抗争をみていると、何をいってもむなしくなります。

ガザ地区の様子をニュースで見るたび、人間はここまで残虐なものかと感じないわけにはいきません。

あの瓦礫の山は、いつか再建されることがあるのでしょうか。

子供たちはなんのために生まれてきたのか。

人は幸福になるために生きていると多くの人たちはよく言います。

しかしとてもそんな状況ではないことは、明らかでしょう。

泣き叫びながら、崩れたビルの間をさまよって、どこに幸せがあるというのか。

そういう意味で、「ハレルヤ」などと呟く力さえもないというのが実情に近いのです。

悲しいというのでもありません。

すべてを諦めるという感情の渦の中にいます。

ところで、カナダ出身のシンガー・ソングライター、詩人、小説家として活躍した人にレナード・コーエン(1934~2016)がいます。

彼の代表曲が「ハレルヤ」(1984年)なのです。

ご存知でしょうか。

一生かけて、歌を歌い、詩を書き、小説を著した人です。

ここにその歌詞の一部の和訳を載せます。

読んでみてください。

かなり意訳をした部分があります。

あらかじめ、お断りしおきます。

ハレルヤ

神秘的な和音があると聞きました
ダビデが奏で、主の御心に叶った音が
あなたはほんとうには音楽に興味を持っていないのではありませんか
4度、5度とコードが進行するというのはどういうことかわかりますか
マイナーでは調子が暗く、メジャーで明るくなります
悩める王の作曲家よ


あなたの信仰が厚いなら、それを示す必要があります
彼女が屋上で水浴びするのを、あなたは見ました
月明かりに照らされた彼女の美しさに負けたからです
彼女はあなたをキッチンチェアに縛り付け
王の椅子を砕き、髪を切りました

彼女はあなたの唇に、ハレルヤを歌わせたのです

私はベストを尽くましたが、十分ではありませんでした
何も感じなかったから、触れようとしたのです
私は真実を語りにきました。
欺しに来たのではありません
すべてが、うまくいかなかったのです
私は主の前に立ちます
私の舌にハレルヤを乗せて

私は以前にここに来たことがあります
この部屋を見たことがあるし、この床を歩きました
あなたに出逢う前から、一人で住んでいたのです
大理石のアーチの上に、あなたの旗を見たことがあります
愛は勝利の行進ではありません
冷え切り破壊されたハレルヤです

確かに天上には神がいるのかもしれません
しかし愛から本当に学んだのは、出し抜かれた相手を撃ち負かす方法だけでした
それは夜になってから聞こえてくる泣き声ではありません
天上の光を見いだした人のものでもないのです
冷え切った、破壊されたのはハレルヤだけです

アンドレア・ボッチェリ

この歌はもちろんレナード・コーエン自身によっても歌われています。

しかし今回、アンドレア・ボチェッリ(1958年~)のものをお勧めします。

彼のことを御存知でしょうか。

イタリアの盲目のテノール歌手です。

現在まで、アルバムの全世界売上枚数は9000万枚を超えると言われている人です。

有名なのはサラ・ブライトマンと歌った「Time to say Good-by」です。

その彼が自分の娘と一緒に歌った「ハレルヤ」があります。

イタリア語と英語で歌われているこの歌を聞いていると、なんともやるせない気持ちになります。

本来の意味で「ハレルヤ」が歌われる時がやってくるのかどうか。

それも今は定かではありません。

1度、聞いてみて下さい。

怖ろしいまでに伸びる高音が、はたして天上まで届くのかどうか。

天から降臨した神の恩寵があれば、少しはこの地上にも平和が訪れるのかもしれません。

今はそれを信じたい気持ちでいっぱいです。

愛しい娘とのデュエットは不思議な空間を生み出しました。

ここにリンクを貼っておきます。

アンドレア・ボッチェリ「ハレルヤ」

この曲を聞いたあとで、ハレルヤという言葉の意味を考えてみてください。

神は本当にいるのかどうか。

もしいるとしたら、この悲劇をどう解決しくれるのでしょうか。

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それが知りたくて仕方がありません。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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