【不確実・格差社会】デフォルトを願う人々が見ている現実とは?

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確実なもの

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

今年に入ってもコロナウィルスの蔓延はなかなかおさまりません。

それでも非常事態宣言下で自粛を続けた結果、やっと陽性者数が少なくなってきました。

ワクチンの接種も始まっています。

しかし世界的なワクチン争奪戦の中で、当初の予定がかなり遅れる見込みです。

自分のところで薬を作れないという現実が、この国の今の状態を示しています。

このまま予定通り非常事態を解除し、その先にオリンピックの開会を見据えた時、どんな風景が待っているのか。

今は誰にも予想できません。

オリンピックそのものに対する熱も完全に冷めてしまっています。

インバウンドの需要をあてこんでホテルの建設ラッシュが続いたものの、今や倒産して撤退する大手まで出ているのです。

九段下にあったホテルグランドパレスもとうとう幕を閉じることになりました。

内需が全く停止してしまったというしかありません。

ブライダルもそうです。

旅行代理店、運輸、商業施設など、軒並み売り上げが急激に落ち込み、リストラや解雇も続いています。

この先、外国人観光客がかつてのように日本を訪れる構図が戻るのかどうか。

それも全く予想できません。

仮にインバウンドが増えたとしても、コロナ感染により、医療体制が逼迫するということも十分考えられます。

まさに綱渡りのような状態がここ当分続くと考えた方がいいでしょう。

息苦しいままの緊張をこの先も間断なくやりきれるのかどうか。

ほとんど全てが神の領域にあります。

だれにも先のことはわかりません。

デフォルト

少し気が早いですが今年のキーワードは何でしょうか。

確実なものはなにもないのです。

かつて、世界は不確実な時代に突入したと叫んだ学者もいました。

しかし現在はその頃の「不確実」よりもなおいっそう混迷の状態が深くなっているような気がします。

最近のニュースによれば、デフォルトを望む若者が多いといいます。

言葉の意味をご存知ですか。

幾つかの意味を含んでいます。

金融では債務不履行などをさすこともあります。

しかし通常は初期設定の数値に戻ることを意味します。

全てを1番最初のレベルにまでする作業をデフォルト状態になると言います。

簡単にいえば初期化することです。

しかしどの状態が今の世界で初期化にあたるのでしょうか。

これだけ複雑化し、うまく機能しなくなっているのならいっそのこと、全て元に戻してしまえというある種のなげやりな気分があるのも事実でしょう。

年金、医療、介護などの社会保障をどうしていけばいいのか。

財政の裏打ちがないままに今年も発進してしまいました。

毎日の報道をみていると、あまりにも公務員の忖度がひどすぎます。

税金を自分の収入と勘違いしている政治家も多すぎるのです。

その一方で国の借金は膨らむばかりです。

財源になる国債をこのまま乱発していけば、一時しのぎにはなるでしょうが、解決が遠のくのは明らかです。

株価があがり喜んでいるのは、ほんの一部の人だけです。

実態経済とは完全に離れてしまいました。

余ったお金の行き場がなくなって、株に流れ込んでいるだけです。

景気が上向いているワケではありません。

どこの国でも若者たちは不況の影響か、その進路をはばまれ、容易に正社員になることすらできなくなっています。

格差が広がる一方です。

非正規社員の数は増大しています。

社会保障費を企業が払いきれなくなっているのです。

臨時雇いの仕事でなんとかその日を生き抜いているのが現状です。

今のまま、年金を払い続けても確実に自分の手元に残る保証すらありません。

出口なし

もちろん、全く支払われなくなるということはないでしょう。

しかしその金額が下がることは容易に想像できます。

年金の支払い開始が今までより遅くなるのは確実です。

少子化はとどまることを知りません。

今年は出生児数がおそらく史上最低の数字になるでしょう。

労働人口が急激に減っていくのです。

どこにも出口がありません。

いきおい、デフォルトを望むという心理になるのも無理はないのかもしれないのです。

しかしどこまで戻ればいいのか。

現在、高齢者と呼ばれる人たちは、高度経済成長の恩恵をある程度受けてきました。

その実態をよく知っています。

就職すれば、会社がなんとか生活の面倒をみてくれた時代です。

一生同じ企業で働いていれば、人並みの暮らしができたのです。

堅実な会社の存在を知り抜いています。

そのありがたみも身体にしみ込んでいるのです。

だからこそ、子どもたちの世代にも、学歴をつけて一流企業への就職を望みます。

しかしそれもままならない時代になりました。

企業30年説が囁かれ、既に消えてしまったり、合併を余儀なくされた会社も多いのです。

ついこの間あった銀行が潰れ、3つも4つもあった会社が1つになってしまいます。

それも敵対していた大手の銀行同士が一緒になると聞いて、驚いていたのはついこの前です。

今や、その銀行もさらに別の会社とATMを一緒に利用する時代です。

本当に生きづらい時代になりました。

格差社会と言われて久しいのです。

どの家に生まれたかによって、その後の人生の構図がある程度見えてしまいます。

学歴を身につけるにも、かなりの学費がかかります。

かつてのように国立大学ならば安く済むなどいうことはありません。

学習塾代もバカになりません。

バイパスルートを探すにも、それだけの情報を集められない人にとっては難問です。

政治家の世襲化をみれば、この国の構造がよくわかるはずです。

緩やかに進む社会へ

ゆっくりと滑り落ちていくのならば、少しは我慢もできます。

しかし現実はそうではありません。

誰もが想像もできなかったところへ落下しているのです。

ここから抜け出る方法はあるのでしょうか。

先が見えている人にとっては生きにくい世界が待っているという予感に満ちています。

何もわからなければ、目の前のスマホにしがみついていれば、とりあえずその日は暮らせるでしょう。

飢えて死ぬというギリギリのラインまでにはまだいくらかの社会的インフラも存在しています。

しかし確実なものはもうなにもありません。

かつては年長者のいうことを聞いていれば生き残れた時代もありました。

しかし今は年齢を重ねた人も迷っています。

とにかく直感をフルに稼働させる以外に手がないのでしょうね。

時代は確実に閉塞しています。

そこからの出口はみえないのです。

AbsolutVision / Pixabay

評論家然として、安楽椅子に座っていられる状況ではなくなりました。

本当の意味で、五感を研ぎ澄ますことがますます大切になっています。

環境を守りつつ、どうやって自然と共生していくのか。

人のぬくもりを維持するための方策とは何か。

本当に考えなくてはならないことばかりです。

SNSなどで世界が狭くなりすぎたことが、かえって人々の暮らしを息苦しくさせています。

最後は祈ることになるとしても、それまではとにかく日々をもがきながら生きていく覚悟が必要となるでしょう。

本当に難しい時代になりました。

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今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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