【漂流日本】スローライフは可能なの?【どう生きればいいのか】

暮らし

漂流中

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今年はコロナにさんざん痛めつけられた1年でした。

いや、もう足かけ2年ですね。

旅行にも全く出かけていません。

ずっと巣ごもり中です。

GoToトラべルがあったなどいう話も、今や過去です。

近々、また始めると首相はしきりに呟いてますけどね。

今日の新聞にNPO団体の列に以前より多くの人が並ぶようになったという記事が載っていました。

夕食を無料で配るというサービスの話です。

非正規の人の雇い止めは深刻です。

会の代表の人がうまいことを言っていました。

まるで液状化現象のようだというのです。

コロナで地面がぐらぐら揺れ、貧困層が次第にあぶりだされて表面に浮かび上がってきたという形容をしていました。

実感がこもっています。

最近は20~30代の人が増え、女性も目立ち始めたというのです。

30代の男性はネット通販の倉庫で働いていたそうです。

しかし雇い止めにあい、ハローワークに通ったところ、病院の清掃3人の枠に40人もの応募があったとか。

これが現実なのでしょう。

一方では国会の解散です。

二世、三世議員の多さにはあきれるばかり。

自分の2人の息子のどちらに地盤を譲るかに悩んでいるという話を聞いたりしていると、胸が悪くなります。

コロナで国の借金も増えました。

現金給付をするたびに、財政が逼迫していきます。

全て将来の世代へのツケとなるワケです。

当然、社会保障費も苦しくなるのは目に見えています。

高齢者への介護給付の水準を今のまま維持することは難しいでしょう。

保険負担

医療保険の負担割合も上げざるを得ません。

もちろん年金の支給開始年齢もいずれ引き上げは必至でしょう。

高度な政治案件ですから、すぐにはやりません。

少しずつアドバルーンをあげて様子をみながら実施するのです。

斬新なアイデアを出せば、その場で叩き潰されますからね。

高齢者は選挙の時の貴重な票田ですから、滅多なことでは手を出せません。

しかしやらなければ破綻することは間違いないのです。

あと数カ月で今年も終わります。

コロナの第6波はくるのかどうか。

これも大きな賭けですね。

今の日本の状態を一言で表現するとしたら、「漂流」が一番ふさわしいのではないでしょうか。

世界の人々は事実、そうみているようです。

Graham-H / Pixabay

日本全体にかつての勢いが全くなくなってしまいました。

地方の町の駅前は完全にシャッター通りです。

電機産業もその多くが外国資本に組み入れられています。

政府がテコ入れをして株を調整しているものの、デフレと失業率の波は容赦なく襲いかかってきます。

日本が今まで経験してこなかったことばかりなのです。

最近は年収が以前よりも下がり、生活が苦しくなったという報告も続いています。

年収300万円でいかに暮らすかなどいう話を聞いても、全く違和感がなくなりました。

どうやったら100円ショップとつきあい、格安スーパーで食材を買って快適に暮らすかという本まで出版されています。

昨今は職人になりたがる若者が増えているという話もあるそうです。

特に昔からの技術を必要とする宮大工や、複雑な技巧を要する染色などの伝統を守ろうと志願してくる青年が多いらしいのです。

100年時代の生き方

人生100年の生きがいをどう求めるのか。

真剣に考える時代に入りました。

いわゆるスローライフのすすめです。

収入だけがもう目標ではなくなりました。

高度経済成長などは夢のまた夢です。

フラットな時代をどう大過なく生きていくのか。

それが問われる世の中です。

賢い子供は親を見ていれば、自分の将来がある程度想像できます。

学校へいって勉強しろと言われても、その先がどういう仕組みになっているのかが見えるのです。

だからこそ、中国などでは「寝そべり族」などという新しいライフスタイルが登場しました。

衝撃的でしたね。

無理をしたってそれほどのことはないよという一種の諦念でしょうか。

だからといって特別に不幸なワケではありません。

スマホがあればそれでいい。

今のままでいいから静かにしておいて欲しいというところでしょうか。

ヨーロッパなどへ行くと、父親の家具修理業を子供たちがそのままついでいる様子をよく見かけます。

レストランの後をついでシェフになるという構図などもあります。

無理をしない

出世競争に駆り立てられて、ぼろ雑巾のようになるのはご免だという呟きがごく普通に聞こえてきます。

一生をかけてほんものの生き方を求めていく。

モデルのなくなった時代です。

あえて言えば、ビジョンの作れない時代です。

日本はこの先どこへ漂流していくのでしょうか。

しかしそれでも人間は生きていかなければなりません。

いや、中高年世代も状況は同じです。

時間は過酷です。

少しも待ってはくれません。

どのように生きればいいのか。

誰も答えを持っていません。

人の人生が思ったほど長くはないということを最近よく感じます。

名の知れた人が次々と亡くなっていきますね。

自分の身の周りでも親戚、知人が亡くなっています。

これからの時間をどのように生きていけばいいのでしょうか。

もちろん正解などどこにもありません。

誰もが自分で探さなくてはならない時代に入りました。

羅針盤のない船に乗って荒れた海を漂流するのに似ています。

Foundry / Pixabay

どこかに陸地があるのか、ないのか。

それさえもわからないのです。

漂流とは誠に言い得て妙ですね。

しかしただ感心しているわけにもいきません。

私たちはぎりぎりの地点に、今さしかかっているのです。

個人の問題だけではありません。

国の将来も全く同じです。

少子高齢化社会が続く限り、生産性は容易にあがりません。

もう過去にすがることもできないのです。

自分自身の価値観をなんとかつくり上げて、生きていく以外に方法はありません。

誰も教えてくれないからです。

自分で探るより他に手はないのです。

信念を持ってあなたはスローライフをこの先も続けられそうですか。

あとわずかで2021年も終わりです。

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光陰矢の如しとは本当にうまいことを言ったものです。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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