【人生100年・健康寿命】孫と病気しか自慢の種がない老後はNG

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人生100年時代

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

今回は人生100年時代の話をします。

今日の新聞に作家の瀬戸内寂聴さんが数えで100歳になったという記事が載っていました。

満年齢は99歳です。

以前はお正月を迎えたら、みんな1歳ずつ年を重ねたものです。

99歳を白寿と呼ぶのだそうです。

漢字の「百」から上の「一」を取るとまさに「白」ですからね。

佐藤愛子さんの本に『90歳、何がめでたい』というのもありました。

彼女は今97歳だそうです。

とにかく女性は長生きですね。

女の方には元々生命力が宿っています。

なんといっても新しい命を生み出すパワーを持っているのです。

「女は弱し、されど母は強し」とは昔の人がよく言いました。

今は「女は強し、されど母はさらに強し」ですかね。

光陰矢の如しともいいます。

団塊の世代もまもなく後期高齢者。

かつてフォーク世代とか全共闘世代などと呼ばれていたのが嘘のようです。

みな仕事をやめて、今は家でじっとしているのかもしれません。

いやいや、まだ現役ですという方もいることでしょう。

仕事をしてる人もいれば、ボランティアなどに精を出しているケースもあります。

十把一絡げにされてはたまりませんね。

無病息災ではなく、「一病息災」という言葉もあります。

どこかがちょっと悪いくらいがかえっていいのかもしれません。

つねに自分の健康をチェックしておこうというモチベーションにもなります。

健康寿命

最近よく使われるのが健康寿命という言葉です。

平均寿命という表現は誰でもよく知っています。

一方の健康寿命はどうでしょうか。

自立した生活を送れる期間のことを言います。

なんでも自分でやれるというのはある意味理想的な老後です。

しかし現実は厳しいのです。

健康寿命は平均寿命より男性は約9年、女性は約12年も短いことが分かっています。

つまり男性の平均寿命が82歳だとすると、そこから9年を引きます。

73歳以降、支援や介護を必要とするということを意味するのです。

団塊の世代はまさにそこにさしかかろうとしているワケです。

ちなみに女性は88歳から10年を引いて78歳が健康寿命となります。

健康寿命が終わり、いよいよ完全な老後になろうとする時、人はどのように生きていけばいいのでしょうか。

congerdesign / Pixabay

もちろん健康寿命を少しでも延ばすことを意識するのは大切でしょうね。

社会保障費も逼迫しています。

とにかく元気で予防をしながら、寿命を保つということが不可欠なのです。

ところが現実はそんなに甘くはありません。

もっと生々しいのです。

つい先日、ある記事を読んでいたら2つのことが書かれていました。

年をとると、必ず孫自慢と病気自慢の話で、盛り上がるというのです。

なるほど、そんな気がしないでもありません。

孫というのはもってみると、本当にかわいいものだそうです。

機嫌のいい時だけかわいがり、なにかものを買ってあげたりして、それでいてむずがったりした時は、親へ戻してしまえばいいのです。

どこか愛玩動物に似た要素を持っているのかもしれません。

孫自慢はタブー

しかし他人の立場になってみれば、必死になって子供の様子を語られても、それほど共感できるものではありません。

だからこそ、孫自慢はするなということなのでしょう。

昔から身内の自慢は聞きずらいという言葉があります。

孫に限らず、子供の自慢話も聞きずらいですね。

特に日本人はそういうのを嫌います。

他人に褒めてもらっても恐縮して否定しているくらいがちょうどいいのです。

愚息ですとか、愚妻ですなどいう言葉を聞いたことがありますか。

最近はあまり使いません。

あとで奥様になんで人前であんなに私を悪く言うのよとなどと怒られかねませんからね。

しかしこれが日本人の持つ謙譲の美徳でした。

最近では自慢のペットなどをSNSで発信するのもはやっています。

犬や猫の記事があちこちにあふれかえっているのです。

癒しという言葉は便利です。

cuncon / Pixabay

まさに癒されている人がたくさんいるのです。

ものすごい時代になったものだと感心するばかり。

ペットを飼っていないぼくとしては、さてなんと言ったらいいものなのか。

少し言葉につまります。

相手に孫がいるかいないかまで気にして話をしなくてはならない難しい時代です。

結婚しない人も多いのです。

よほど親しくない限りは、ほどほどにセーブしておいたほうがいいですね。

孫の話題に浸りきるのだけは意識して避けておいた方がよさそうです。

病気自慢もダメ

さてもう1つが病気自慢です。

これは自慢という表現にはあたらないのかもしれませんが、しかしまさにぴったりの形容だといえます。

年寄り同士の会話では、どっちがどれほどつらいのかということを比較して遊んでいるようにも見えます。

こうした時にもっとも優越感を抱けるのは、まさにより症状の重い病気を抱えた人なのです。

まるで落語の世界そのものです。

これもばかばかしいといってしまえば、それまでですが、日常風景そのものかもしれません。

病院の待合室などというのはそのための場所なのでしょうか。

ここの具合が悪いとかあそこが痛いなどというレベルではありません。

こことあそこを手術したとか。

つい先日退院したばかりだとか。

さらに病気の症状とその治療法について妙に詳しい人もいます。

薬の名前など、目をキラキラと輝かせて教えてくれたりするのです。

こうなってくると、まさに病気自慢のワンマンショーに近いですね。

これだけはなんとしても避けなければいけません。

この2つの誘惑にとらわれずに生きていければ、老後は幸せなのではないでしょうか。

以前ならさらに嫁の悪口がくっつきました。

さすがに最近は大声であまり喋る人の姿を見かけません。

しかし老人にとって嫁の悪口くらい楽しいものはないようです。

本当は喋りたいのかもしれませんけどね。

さすがにそれは下火になりつつあります。

前を向いて他ならぬ自分が生きることを考えましょう。

瀬戸内さんはいつも今日書いたことを褒められるのが1番うれしいと言ってました。

過去は過去。

いくら素晴らしくてもそれはもう昔の話なのです。

未来志向でいかない限り、つまらない人生ということになってしまいます。

つねに新鮮な視点を獲得していく気持ちを持つこと。

それが楽しい老後の支えになるのではないでしょうか。

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もって瞑すべしですね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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