随筆は厄介
みなさん、こんにちは。
小論文添削歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。
今日も暑いです。
蝉の声が耳元まで届いてきます。
この国はいつから熱帯になったんですかね。
赤道直下の国や、東南アジアへもあちこち旅行しましたが、暑さの質が同じになった気がします。
肌で直感するのです。
これからは覚悟して生きていかなくてはなりません。
かつてのような牧歌的な夏が来ることはもうないでしょう。
エアコンの中でじっとしているしか、日中にやれそうなことはありませんね。
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ところで今回は随筆の話です。
日本人はエッセイが大好きです。
一般に入試小論文といえば、評論がメインだと考えている人も多いことでしょう。
しかし意外なくらいにエッセイも出ているのです。
小説家の書いたものが多いですが、それだけとは限りません。
評論は何かの問題があって、それを解決へ導くための方法論を探るというパターンです。
逆にいえば、問題点がみつかれば、あとはその解決法を探ればいいのです。
しかし随筆の場合は全く違います。
サラっと読めてしまいます。
極端な場合、どこにも引っ掛かりがありません。
これが1番厄介なのです。
基本的には何らかの体験があり、感想を経て、何かを考えたというパターンになっています。
物語を読んでいるのと同じだと思ってください。
筆者の経験したことをあとから一緒になって追いかけるワケです。
そしてどう思ったかを書き、これにはどんな意味があるのかということをまとめていくのです。
急所をみつけるのが難しい
エッセイを課題文にする場合、問題の作成者は本当に入試の課題になりうるのかということを論じあいます。
ただ感想が書いてあるだけの文から、質のいい小論文を書くというのは、想像以上に難しいのです。
評論より難易度が高いといっても差し支えありません。
となると、課題文を読んで理解した時、何が書けるかをあらかじめ考慮しておかなければいけません。
キーワードとなる表現が入っているだろうか。
このテーマで切り込めば、内容としてはある程度の深さを確保できるという保証があるか。
この2つが解決してはじめて、課題にしようということになります。
では受験者の立場からみた時、どう扱えばいいのでしょうか。
ポイントは要約です。
ただぼんやりと読むのではなく、筆者の論点を切り取ります。
評論文と同じ作業をしてください。
ただし国語力がないと難しいです。
どこがキーワードでポイントになるのかをはっきりと識別しなければならないのです。
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問題作成者は必ず論点になる内容のある文を選んでいます。
それを冷静に読み取れれば、最初の1歩は成功と考えていいのです。
よく小論文はYes、Noで書けばいいといいます。
決して間違ってはいません。
しかしこの2つのパターンに分けられるのは、評論の中でもメリハリの効いたものに限ります。
ことに随筆の場合はそれがきちんとできないことの方が多いのです。
こういう時にどうしたらいいのか。
共感の姿勢を前面に
Yesで書きたい時には、共感を示しましょう。
筆者が十分に書きつくしていないことを補筆するくらいの気持ちで書けば自然な流れになります。
自分にもこんな経験があったというような論述の仕方です。
鋭い切り口のある文章にはなりませんが、質をキープすることはできます。
しかしもっと大切なのは、筆者の姿勢をきちんと読み取ることです。
エッセイの中で筆者は何を感じ、それに対してどうだと言っているのでしょう。
強く自分の意見を主張しているケースばかりではもちろんありません。
さりげなくこんなことではないかといった程度のパターンもあります。
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しかしそれを見逃してはなりません。
その部分を増幅するのです。
それに対して、自分の考え方をまとめていくのです。
論理性を前面に出して書き切るというほどの強い態度を示す必要はありません。
やはりこのような生き方に自分も共感するという書き方でかまいません、
その理由として、自分の経験の中に次のようなものがあった。
その時に感じたことと似た考えの人がいるということに嬉しさを感じるというのでもかまいません。
問題点があり解決があるという文章構成の方が、書き方としてはずっと楽なのです。
しかしそれもままならない時、内容を深めていくのが最もいい方法でしょう。
小説家の書く文章は一見すると、これで何が書けるのかというくらいサラッと書き流したものが多いのです。
だからこそ、行間を読み取る訓練をする必要があるでしょうね。
なんということもない日常風景の中にピカっと光るものを探す目。
それと同質のものをあなたも養わなければなりません。
自由に書いてはダメ
小論文は自由作文ではありません。
いくら随筆が課題に出たからといって、同じような気分で感想を書いてはダメです。
あくまでも筆者がその文章にこめた思いがあるはずです。
さらに問題作成者が、キーワードはこれだと考えた表現があるはずです。
それを探してください。
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どうしてもみつからない時はギブアップです。
残念ですが実力が不足しています。
国語の能力は難解な表現を読解するだけではありません。
ごく日常的な言葉で綴られたものであっても、そこに非日常の空気を見つけることが大切なのです。
随筆を課題にする学校は、そうした意味の国語力を見抜きたいと考えています。
あくまでも話の中心に論理性を蓄え、この課題文で何が言えるのかをじっと考え続けながら、論点を展開してください。
とても難しいです。
覚悟をしてください。
どうしても共感できない時は、自分はやはりこの考え方には抵抗があるというNoの論点で書いてください。
しかし論理性はきちんと貫かなければダメです。
たくさんの練習問題を解く必要があります。
書けたら先生に添削をしていただいてください。
必ずいい文章が書けるようになるはずです。
自分を信じて進みましょう。
みなさんの日々の学びは無駄にはなりません。
今回も最後までお読みくださりありがとうございました。