【小論文・ツッコミの威力】課題文の考え方に楔を打ち込む勇気が大切

学び

ツッコミの威力

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は課題文をどう読むかというテーマを考えます。

過去問をやっていると、実に様々な課題文を読まされることになります。

あなたもそうではありませんか。

いい文章を書こうとすれば、当然相手の立場を読み取らなければなりません。

しかし多くの場合、言い負かされてしまうことが多いのです。

相手は評論家や大学教授などです。

その道で勉強をし続けてきた人たちなのです。

だから課題文にとりあげられた内容に対して、疑問を持てというのは、結構大変なことなのです。

漫才をご存知ですよね。

必ずボケとツッコミという2つの役割に分かれます。

両方がボケても面白くない。

その反対も同じです。

ツッコミがうまく合いの手を入れてくれるので、ボケはより自分勝手な妄想の世界に没入できるのです。

それならば課題文をボケの相手と考えるのはどうでしょうか。

まさか内容が本当にボケているとは思えません。

ここでは便宜上、あくまでも役割の分担です。

あなたがツッコミになってください。

相手の意見を本当かなと思いながら、合いの手を入れていくのです。

そしてふざけ過ぎだと思ったら、ただちに軌道修正をするのです。

この方法は非常に有効です。

やってみればわかります。

一見納得できそうな内容でも

文章をぼんやり読んでいると、つい読み飛ばしてしまいがちになるものです。

筆者は案外自分の不安なところを抱えつつ文章を書きます。

全ての内容について自信を持っているワケではありません。

特に哲学的な内容などは証明が不可能ですからね。

これは当たり前だという顔をして、常識を持ち出したりもします。

一種の仮想空間を作り出して、だから私の言うことは正しいのだと相手を説得しようとしてくるのです。

政治の世界を考えてみればよくわかります。

黙って聞いていると、いかにも最もなことを主張しているようですが、ある種の仮説の上にたって相手を論破しようとしているのです。

だとしたら、相手が提出した論理の中身をもう1度疑いましょう。

その前提が本当に正しいものであるのかどうかについての検証が必要です。

少しでも内容が怪しかったら、なぜその論理を持ち出そうとしたのかについて考えてください。

エネルギー問題を例にしてみましょうか。

最も安価で脱炭素型のエネルギーは原子力だという意見があったとしましょう。

確かに原発は地球温暖化というレベルでみれば、炭素の排出量は少ないかもしれません。

火力発電などに比べればはっきりとしています。

しかしその1点でこのテーマの結論が出せるでしょうか。

脱炭素だけが地球を守るために有効な方法なのか。

ツッコミを入れてください。

すると誰もがわかるように、大きな問題を全て背後に隠していることがわかります。

つまり知られて困ることは書いてないのです。

課題文の背後を読む

これが小論文におけるツッコミの威力です。

例えば、脱炭素の問題をワキに置きましょう。

その時、原発の安全性の問題がすぐ目の前にあることは誰にもわかりますね。

1度事故を起こした原発の後処理がいかに困難なものか。

チェルノブイリや福島の原発事故にどれほどのお金がかかっているか。

自分で少し調べてみてください。

処理水を海中に放出することで、地球の環境への影響が懸念されています。

完全に原発を止め、全ての装置を安全に解体することの難しさもあります。

農業、漁業への影響や住民の精神的苦痛など、あげればキリがありません。

あらゆる要素を分析すると、暢気な意見を述べているワケにはいかなくなります。

それは時間がくれば解決するなどという論理では到底納得できません。

この場合、最初の論理に大きな無理があることは明白です。

誰でもそれくらいのことはわかるというのであれば、あらゆる課題文に似た要素があることにも気づくでしょう。

まさにそこなのです。

なんとなくすぐには納得でないという時、なぜを連発してください。

そうするだけで、問題がほぐれてきます。

筆者が知らんぷりをしてスルーした内容が必ずあるのです。

そこを掘り起こしてください。

1番厄介なのはあなたが持っている常識です。

それを前提に判断すると、全く違う方向へ進んでしまいます。

当たり前はアタリマエではないのです。

ズボンかスカートか

少し前まで男子生徒の制服は上着とズボンでした。

女子はスカートです。

今はどうですか。

ジェンダーの問題がこれだけ論じられると、女子のズボンも認められ、標準服になる学校も増えました。

以前は男女混合名表もありませんでした。

必ず男子が先で女子が後だったのです。

当たり前だと思っていたことが、実はアタリマエではないという典型的な事実です。

アメリカなどでは男女の区別を書く欄などもありません。

性的マイノリティーの問題が、その区別を無意味なものにしました。

日本でも結婚後、女性が夫の姓になるという考え方に対する異議が唱えられつつあります。

あらゆる問題に対して、ツッコミを入れながら課題文を読んでください。

常識に囚われてはいけません。

その段階で既に内容の本質が読み取れなくなってしまうのです。

一見、難しいことかもしれません。

しかし繰り返しです。

どこが自分にとってしっくりこないのか。

そこに傍線を引いてください。

そこが議論の糸口です。

絶対に課題文の通りだということはありません。

言いくるめられないことです。

それが小論文を書く時の大切な方法なのです。

相手の立場を認めないというのではありません。

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対立を怖れてはいけないということです。

いい文章を書くために疑問を提示するという態度を是非学んでください。

今回も最後までお付き合いくださりありがとうございました。

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