【奥の細道・立石寺】松尾芭蕉が感じた閑かさは蝉しぐれの中にあった

出羽国・立石寺

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は松尾芭蕉の『奥の細道』を読みましょう。

この紀行文は本当に声に出して読む作品ですね。

リズムの響きが実にみごとです。

言葉の持つ美しさを本当に知っていた人だということがよくわかります。

日本語の柔らかさと漢字の持つ厳しさをうまく調和させています。

和漢混交文という言い方があります。

しかし芭蕉の文章は単純にそうとはいえません。

むしろ、彼独自の文体なのではないでしょうか。

授業の時も生徒には必ず声に出して読んでもらいました。

黙読をするだけではもったいないですからね。

松尾芭蕉が立石寺を訪れたのは元禄2年5月27日(1689年7月13日)のことです。

お寺の名前が読めますか。

「りっしゃくじ」です。

山形県山形市にある天台宗の仏教寺院です。

山寺(やまでら)の通称で知られています。

多くの人は立石寺などと呼ばず、山寺と呼んできました。

かつては「りゅうしゃくじ」と言いました。

古来から悪縁を切る寺として信仰を集めています。

1度は訪ねることをお勧めします。

このお寺は山の上にあるのです。

長く険しい階段をこれでもかと上ったところにやっとお堂があり、そこからさらに上ります。

よほど健脚の人でないと、一息では大変です。

同じ山形県にある羽黒山などの参道とは全くタイプが違うのです。

とにかく急です。

よくこんなところに寺を作ったものだというのが、ぼくの最初の感想でした。

平泉から

松尾芭蕉は江戸を出発した後、現在の栃木、福島、宮城を北上し、そこから岩手県南部の平泉を経由して山形に入りました。

尾花沢まで行った時には、そのまま先へ進もうとしたのでしょう。

ところが土地の人たちが、せっかくここまで来たのだから山寺へ寄っていけと勧めてくれました。

そこで同行者、河合曾良と一緒に再び元の道を引き返したのです。

その距離が7里だと書いてあります。

30キロを歩いて戻る時の気分を想像してみてください。

芭蕉の旅は己れと向き合うためのものです。

江戸におけるいわゆるゲーム感覚の点取り俳諧には飽き飽きしていました。

言葉の真実を探したい。

古来から歌枕になった場所を訪ねてみたい。

たとえ野ざらし(骸骨)になってもいいという覚悟の旅でした。

そこで生まれたのが芭蕉の俳句の中でも秀吟として知られる「閑かさや…」の句です。

『奥の細道』のその部分を読んでみましょう。

是非、声を出してゆっくりと味わってください。

山寺へ行ったことのある人は、その時のことを思い出しながら読んでくださいね。

まさに真夏の風景です。

原文

山形領に立石寺といふ山寺あり。

慈覚大師の開基にして、ことに清閑の地なり。

一見すべきよし、人々の勧むるによつて、尾花沢よりとつて返し、その間七里ばかりなり。

日いまだ暮れず。

ふもとの坊に宿借りおきて、山上の堂に登る。

岩に巌を重ねて山とし、松柏年ふり、土石老いて苔なめらかに、岩上の院々扉を閉ぢて、物の音聞こえず。

岸を巡り岩をはひて、仏閣を拝し、佳景寂寞として心澄みゆくのみおぼゆ。

閑かさや岩にしみ入る蝉の声

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現代語訳

山形領内に、立石寺という山寺があります。

慈覚大師が開いた寺で、とりわけ清らかで物静かな土地です。

「一度は見ておいたほうが良い」と、人々が勧めてくれるので、尾花沢から引き返しました。

その間は七里ほどです。

到着した時には日はまだ暮れていませんでした。

山のふもとの宿坊に宿を借りて、山上にある堂に登ったのです。

岩に巌が重なって山となり、松や柏の木は年月が経ち、土や石も年が経って苔がなめらかです。

岩の上に建てられたいくつもの寺院の扉は閉じられていて、物音ひとつ聞こえません。

のふちをまわり岩を這うようにして進み、やっと仏閣を拝むことができました。

すばらしい景色はひっそりと静まりかえっています。

心が澄んでいくことが感じられるばかりでした。

閑かさや岩にしみ入る蝉の声

佳景寂寞として心澄みゆく

この表現が実によくその時の芭蕉の気分をあらわしています。

「かけいじゃくまく」と読みます。

美しい風景がしんと静まり返っているという意味です。

田畑がずっと続いているだけのどこにでもある田舎の風景でした。

おそらく芭蕉が旅した頃とそれほどに変わってはいないのではないでしょうか。

土地の人々がせっかくだから寄ってみてこいと言われた時、彼はどういう気分だったのか。

それを想像するのは楽しいことです。

おそらく一生に1度の旅でしょう。

2度と同じ土地を踏むことはないと考えたに違いありません。

それほどにすばらしいところならと思い、来た道を戻ったと思います。

本当なら早く日本海へ抜けたかったのかもしれません。

この後、一行は象潟や酒田などへ廻っています。

その前に見た山の中のお堂はどういう風景に見えたのか。

それよりも蝉しぐれが耳をつんざいたかもしれません。

夏の盛りです。

汗を拭きながら山を這うようにしてのぼったのでしょう。

そこで聞いた蝉の声があまりにも印象的だったということです。

同行者、曾良によれば最初にできた句は『奥の細道』に載せられたものは違ったようです。

「山寺や石にしみつく蝉の聲」が後には「さびしさや岩にしみ込む蝉の聲」となったらしいです。

芭蕉は東北の旅から帰って、すぐにこの紀行文集を発表したワケではありません。

かなりの期間、推敲を重ねました。

芭蕉はこの旅の5年後、1694年に死去したため、『おくのほそ道』は芭蕉死後の1702年(元禄15年)に出版刊行され広まりました。

現在は『奥の細道』と書きますが、『おくのほそ道』と書くのが正式とされているのです。

弟子の曾良がしたためたと言われる本も残っています。

それらを総合してみると、17文字の世界を何度もなおしながら、より風雅の世界に迫ろうとした詩人の執念を感じます。

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ぜひチャンスがあったら、山形県に至る道のりを訪ねてみてください。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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