地方医療の問題
みなさん、こんにちは。
小論文添削歴20年の元高校国語科教師、すい喬です。
今回は医療系小論文のテーマとして、外国人医師の受け入れについての課題をチェックしておきます。
このテーマはグローバル社会における問題点としてよく扱われます。
日本は単一の民族国家です。
しかし少子高齢化の波とともに、労働力不足は深刻になりつつあります。
特に3Kと呼ばれる職業においては今すぐにでも人手が欲しいというのが実情です。
医療福祉分野においても看護師、介護士不足の中、政府は積極的に外国人の受け入れを試みています。
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しかし日本語の障壁があまりにも高く、国家試験を受験してもなかなか合格しないのが実態です。
また一方では特に地方における医師不足が深刻になっているという問題もあります。
医学部の定員増とともに、外国から医師を受け入れるという議論も同時になされています。
即効性という意味においては、外国からのリクルートがコストも低くすむのは誰の目にも明らかです。
しかしこの方法には多くの疑問が投げかけられ、なかなか論議が先へ進みません。
どうして日本では外国人医師を受け入れるということに躊躇があるのか。
研修員として医師を預かるというシステム以外にうまく機能していないのが実態なのです。
日本全国の医師数をデータ化した時、特に医師数が危機的に不足しているのは地方です。
それならばすぐにでもと思いますが、単純に言葉だけの問題だけではすまないようです。
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そのあたりを小論文のテーマとして捉える課題文が毎年必ず出題されています。
賛否がある程度分かれてしまう問題なので、まずはその論点をきちんと把握しておかなくてはいけません。
と同時に言葉以外に文化の違いをどこまで受け入れられるのかという、より根本的な命題もそこにはあります。
賛成論のパターン
外国人医師を積極的に受け入れた方がいいという論点の根本には、大局的な見地からの見通しがあります。
簡単にいえば、国民的視野からみた時、どちらの方により利点があるのかということです。
ある意味日本人の医療関係者だけが特権的な地位を得ていることに対する反感も混じっているかもしれません。
あまりにも言葉の問題を前面にだしすぎて、自己防衛を図ろうとしているようにも見えるのでしょう。
高齢化と過疎化が急激に進むという現実の中で、特に地方においての医師不足は深刻です。
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今以上に地方医療に尽くしてくれる人材がいないのならば、外国人に頼る以外にはないのではないでしょうか。
日本人医師を養成するには、大変な額の税金を投入しなければなりません。
その上に時間もかかります。
とくに地方において年金だけを頼りにしている老人医療の現場では、十分にペイしないという発想もないわけではありません。
グローバル化した現在、低賃金労働をアジアの人たちが背負っているという現実があります。
医療福祉現場も、それと同じ図式が描けるのではないでしょうか。
そうした意味において理想論だけ追いかけていたのでは、何も解決しないということです。
OECD各国の人口千人に対する医師数を試みに考えてみましょう。
平均値3.1人に対して日本は2.38人という開きがあるのです。
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人口1000人に対して医師が3人なのか2人なのかで、医師1人当たりの負担がいかに大きく変わってくるかは明白でしょう。
だからこそ、今は外国人医師の力に頼るべき時だというのが論点です。
これが基本的な賛成論のパターンです。
足りないのだから頼れというスタンスです。
日本語の壁を隠れ蓑にするなということです。
一方の反対論はどうでしょうか。
反対論のパターン
誰もが医師不足であるということは理解しています。
では人員不足であると分かっている土地柄で外国人医師がその力を十分に発揮できるのでしょうか。
言葉の問題はどうなのでしょうという切り口が基本です。
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日本語の運用に問題のある医師と患者の間をつなぐサポート体制を組むのは容易ではありません。
確かに言葉がある程度理解できれば、診断も可能になるでしょう。
しかしどこまでコミュニケーションがとれるのかは疑問です。
日本語が不自由だと、的確な指示を出すこともできません。
さらにどの程度の医療知識をもって医師の免許を得たのかもはっきりとはわからないという問題もあります。
日本人医師に匹敵するだけの医療技術を持っているという保証もありません。
ある意味で不安な気持ちのまま、診察を受けるということになります。
人材が豊富な国から来てくれたことに感謝するのはもちろんです。
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しかし受け入れた外国人医師が日本に定住してくれる可能性がどれだけあるのかも疑問です。
日本よりももっと労働条件のいい国へ、将来移住してしまうということもあり得ます。
確かに1人の医師を育てるには大変な時間と費用を必要とします。
だからといって外国人医師を雇えばいいというのはどうでしょうか。
安定的な供給を図るという考え方がなければ、今後の国家運営が成り立たないということにもなります。
急いで、手っ取り早い方法をとることも確かに可能です。
しかしあえて長期的なスパンで、将来のことまで考えておくことが大切なのではないでしょうかという切り口です。
この考え方がほぼ反対論の基本です。
国民全体の先の先まで考えておく必要があるというものです。
確かに外国人医師による診察を受けた経験を持っている人がよくいうことがあります。
戸惑いが先にあって不安で仕方がなかったと。
言語が違えば思考形態も自ずと違います。
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診察で上手く意思疎通を行えないという場合のもどかしさは一言ではいえません。
特に痛みなどの微妙な症状を、言葉で表現することの難しさは容易に想像ができます。
診察は問診が中心です。
何らかの症状が数値として表れたとしても言葉がわからずに結論を出せない可能性も大いにあります。
グローバル時代の課題
根本的な解決策はどこにあるのか
日本国内の医学部の定員を増やし、長期的なスパンでの医師数増加を実施すべきでしょう。
近年、専門科目によって医師数の増減が加速しています。
専門医のいない診療科は医療機器があっても診察できないのが現状なのです。
医師育成制度そのものを含めての早急な対応が必要になるのは言うまでもありません。
グローバル社会が進行すれば、来日する外国人の数もさらに伸びることでしょう。
今年に予定されていたオリンピックは来年へと延期になりました。
政府は訪日外国人数を4000万人と見積もっています。
当然、外国人の患者数も今以上に増加します。
対応に悩む施設もますます増える多いのではないでしょうか。
特に外国人患者に対する救急体制の整備などは喫緊のテーマです。
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多国籍・多言語・多文化な環境での医療は容易なものではありません。
外国人患者へのサポート業務はとても広範なものです。
医療通訳対応、医療コーディネーターによる患者家族やスタッフ等への支援などです。
日本には国民皆保険制度があります。
その一方で海外では検査や投薬が当たり前ではありません。
医療費の概算を示したうえで患者の同意を得てから検査や治療をオーダーする国も多いのです。
文化の違いも診察の方法に影響します。
例えばイスラム教徒の女性は宗教上の理由から、家族以外の異性に肌を見せません。
男性医師の診察が困難な状況もあります。
このような現実の中で、すべてを日本人の医師で処置することができるのかどうか。
それも大きなテーマになります。
地方が高齢化、過疎化しているというだけではありません。
グローバル化が想像以上に進んでいるという現実もあわせて捉えておかなければいけないのです。
この問題は国民全体が考える大切なテーマです。
島国という特質があるだけに難しい側面も多々あります。
それでも議論をしていかないと、これからの先の時代に禍根を残すことになるのではないでしょうか。
ここまで問題点をいくつか挙げてみました。
それぞれの立場によって見える風景がかなり違うことも理解できたでしょうか。
今年も似たような課題がでることは十分に予想されます。
自分の中で問題点をよく咀嚼し、どの方向が最もふさわしいのかを考えてみておいてください。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。