【医療系小論文】安楽死と尊厳死のテーマをどう深掘りして書くか

学び

理系脳の時代

みなさん、こんにちは。

小論文添削指導歴20年の元高校国語科教師、すい喬です。

勉強は順調に進んでいますか。

なかには思うようにいかないという人もいるでしょうね。

小論文の参考書を読んだけれど、書いてあるようにはうまくいかないとか。

あるいは理屈ではわかるけど、実際にはどうしても書けないとか。

そういうのを難しい言葉で「眼高手低」と呼びます。

書きたいことはあるけれど、実力がともなわないということです。

どうしたらいいのか。

練習しかありません。

どんな楽器の名手だって、最初はなんにも弾けなかったのです。

毎日、人の見ていないところで、じっと耐えて練習したのです。

楽しくなければ続けられなかったかもしれません。

きっとそうです。

それ以外に道はありません。

騙されたと思ってみなさんも続けてください。

きっと文章を書くのが楽しくなるはずです。

その頃には、きっと何を書いてもピントのあったいい文章が出来ます。

自分の力を信じてくださいね。

今回は医療系の小論文を取り上げます。

そんなの文系志望の自分には関係がないと言わずにつきあってください。

小論文は何が出題されるかわからないのです。

まして、文系であっても理系脳が要求される時代です。

AIの変革は容赦なく文系にも襲いかかっています。

このテーマは関係がないということはもうありません。

頭の隅に入れておいてください。

いいですね。

脳死と臓器移植

今まで、何度もとりあげられてきた安楽死、脳死、尊厳死、臓器移植の問題を扱いましょう。

医療系の学部、学科を受験する人にとっては避けて通れない内容です。

今までずっとこのテーマ関連の問題が出題され続けてきました。

もう出ないだろうと思っている人はいませんか。

同じ形でなくても、別の切り口から再び取り上げられるということも考えられます。

何が問題なのか。

今回は小論文を書く立場から考察してみます。

まず「脳死」と「臓器移植」はいつもセットで考えておきましょう。

もう1つの流れとして「安楽死」と「尊厳死」を考えます。

もちろんこれらの内容は相互にリンクしていますので、全く関係がないということはありません。

この問題の基本は2009年に改正された「臓器移植法」にあります。

ドナーカードによる患者本人の明確な意思表示がない場合でも、家族の承諾があれば臓器の提供が行えるようになったこと。

15歳未満の子供からの臓器移植が可能になったこと。

ただし虐待により死亡した場合は扱わない。

この2点です。

なぜこの改正が必要だったのでしょうか。

それは国内での手術例がきわめて少ないことと関係しています。

移植を待つ人は増加する一方なのに対して、ドナーがあまりにも少ないのです。

心臓疾患の場合は脳死状態からの移植を待つしかありません。

しかし2つある臓器の腎臓や、一部を切除できる肝臓の場合は生体間移植が可能です。

日本での臓器移植のほとんどが、この生体間移植であることをまずきちんと把握しておいてください。

ここに倫理上の問題が山積していることは言うまでもありません。

小論文は臓器移植の技術的側面について問いは発しません。

もっぱらこのテーマの倫理的な部分を拡大して質問してきます。

具体的な問題

移植術に使用されるための臓器の提供は、任意になされたものであることをどのようにして確認しますか。
移植術を必要とする手術を受ける機会は、公平に与えられるよう配慮されなければなりません。
そのための方法はどのようにしたらいいですか。
臓器提供はあくまでも本人の意思を尊重するものであり、それは、臓器提供をする意思だけでなく、臓器提供したくないという意思も含まれます。
そのための確認はどのようにしますか。
看護職はドナー、レシピエントとなる者に対して中立の立場でサポートし、意思決定支援を行うことが必要です。
そのために必要なこととはなんですか。

以上のような問題が考えられます。

さらにこのテーマをもう少し掘りさげてみます。

それは臓器売買に関しての現実です。

このテーマは貧しい国の人々の臓器を買い取り、それを移植するという認識の人がほとんどだと思われます。

しかし日本人同士でもこのようなことは行われています。

特に金銭の貸し借りでトラブルになったケースも裁判になっています。

人工透析をしていた男性患者の内縁の妻が別の女性から金銭を渡す約束で腎臓を移植してもらったという事件がありました。

その後、金銭の授受が履行されず、裁判になった事例です。

臓器移植法は財産上の利益の供与は全く認めていません。

しかし実際、このようなことが行われていることは事実です。

特に糖尿病関連で腎臓の移植を待つ人はたくさんいます。

2つある臓器の1つを買ってでも移植したいという需要は、潜在的に大きなものがあるのです。

さらにいえば、海外の貧しい国から富める国の人が、臓器を買うという図式は、まさに現実そのものです。

そのためのコーディネーターも存在しています。

厳しいテーマですが、当然出題が予想されます。

ここまできちんと理解し、自分なりの考えをまとめておいてください。

知らなかったでは済まされません。

安楽死と尊厳死

このテーマの最大の問題点は、命は誰のものかということにつきます。

死を目前にした人が、自分の死を自分で選びたいとするのはごく自然なことです。

しかし窒息や毒薬などによって死を早めることが倫理的に許されるのかということは、宗教その他、民族の道徳観によって全く異なります。

日本では医師が安楽死の手助けをすることは許されていないという事実を、まずきちんとおさえてください。

オランダは1993年、安楽死容認の方向を世界で初めて決定しました。

なぜそれが可能になったのでしょうか。

それにはオランダという国のもつ社会的風土が影響しています。

1つは国民一人一人にとってのホームドクター、「出産から死まで」すべての医療と健康を管理する全人的な医師の存在があります。

医師と患者の長期にわたる人間的信頼関係があり、相互の意思が時間をかけて確認されているのです。

2つ目はオランダ人独特の自由と独立を尊重する個人主義的気風です。

こうした社会的風土のもとでオランダでは年間2000人が今も安楽死を実行しています。

日本ではどうなのでしょうか。

尊厳死(消極的安楽死)については植物状態の患者の医療停止、さらに末期医療における栄養と水の打ち切りなど「死への拡大解釈」も進められています。

しかし急速に拡大しているというわけではありません。

少しずつ容認されつつあるというのが実態ではないでしょうか。

ここで必要になるのがターミナルケア(終末看護)の考え方です。

治療という概念を捨てて、看護するという立場にたたないと医療の現場はもちません。

末期患者が死を安楽に迎えられる場所を提供するということも、これからの医療にとっては確実に必要なことです。

そのためのカウンセリングも大切な要素になるでしょう。

いわゆるホスピスと呼ばれている施設は、国内に随分と増えました。

自宅で死を迎える人がほとんどいない現状の中で、ホスピスの役割はますます重要になることと思われます。

しかし同時に在宅ホスピスという考え方も少しずつ浸透してきました。

特に日本では死を自宅で迎えたいという人が多いという現実があります。

そのために末期患者のためのケアをどう自宅で保証するのかということも大きなテーマです。

自分の身体や生命は誰のものかというのは実に重要な内容です。

全てを患者自身で決定するということが本当に倫理的にいいことなのかどうか。

そこまで踏み込んでいかないと、この問題は解決しません。

小論文のテーマとしては、どちらの立場からも書けるので、この問題が出題される理由もよく理解できます。

受験する人は、ここが最大のキモです。

全てはここから安楽死も尊厳死の問題も派生してくるのです。

そういう意味で自分の考えをきちんとまとめておいてください。

ここがグラグラしていると、論点がわかりづらくなります。

安楽死に反対にせよ、賛成にせよ、あなたの死生観が明確になるポイントはまさにここなのです。

医療者として最終的な態度をどのようにとるべきなのか、じっくりとこの機会に考察してください。

医療現場は毎日、現実と向き合う戦場です。

そのつもりで真剣に今回のテーマを考え、文章にまとめてみること。

可能ならば、先生に添削してもらってください。

その方が、より問題点が明確になります。

みなさんの合格の吉報をお待ちしていますね。

最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。

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