【落語】黄金餅の抜け感と絶品の道中付けは古今亭志ん生の独壇場

落語

名作・黄金餅

みなさん、こんにちは。

アマチュァ落語家、すい喬です。

落語は聞いていると本当に楽しいです。

しかしやってみると、もっと楽しい。

これはホントです。

今までに随分とあちこちで噺をさせてもらいました。

幾つ覚えたのかもよく覚えてません。

ぼくの手帳には高座でやれる噺のタイトルだけが書いてあります。

でも最近かけていないのもあって、全部すぐには無理ですね。

毎日高座に上がらないと、すぐに噺が錆びちゃうのです。

このあたりがアマチュアの悲しさかな。

噺家に上手も下手もなかりけり行く先々の水にあわねば

うまい文句ですね。

まさにその通りです。

とにかくお客様あっての芸なのです。

生きてます。

だから難しい。

今日のお題は「黄金餅」。

ご存知ですか、この落語のこと。

すごく暗い陰惨な噺です。

死体を寺まで運ぶ噺ですからね。

本当に暗くやったら、聞いちゃいられません。

そこを底抜けに明るく、貧乏長屋の悲哀を出しながらやるところが難しいのです。

もちろんぼくも稽古は何度もしました。

しかしどうしても途中の道中付けが覚えられません。

いまだにお蔵入りのままです。

ポイントはノートや手帳にも書きました。

何度もトライしました。

しかしダメです。

途中で切れちゃいます。

「金明竹」の言い立てならしっかり覚えてます。

いつでも言えます。

言い立てってわかりますか。

まとまったことがらを述べる長い台詞のことです。

これだけでも覚えていれば、本当は表彰ものなんですけどね。

しかし「黄金餅」の中に出てくる道中付けはどうしても無理です。

通りの名前がどんどん出てくるだけなんです。

これといった特徴がない。

だから覚えにくいのです。

あらすじ

下谷の山崎町の裏長屋が舞台です。

具合が悪いのに薬も買わないケチの西念という乞食坊主が住んでいます。

隣に住む金山寺味噌を売る金兵衛が、西念を見舞います。

餡ころ餅が食べたいというので買ってはきたものの、1人で食べたいと言います。

壁から覗くと、西念が餡ころ餅の中に2分金や1分金を詰め込んで、丸飲みにしています。

案の定、突然苦しみ出してそのまま死んでしまいました。

金兵衛は飲み込んだ金をなんとか取り出したいと思います。

焼き場で骨揚げ時に、金を取り出してしまう算段をするのです。

貧乏長屋の連中と一緒に葬列を出して、下谷の山崎町から麻布絶口釜無村の木蓮寺へ赴きます。

和尚は金兵衛と懇意ですが生来の酒飲み。

百か日仕切りで天保銭5枚で手を打ってくれました。

和尚は怪しげなお経をあげます。

寺からは桐ヶ谷の焼き場にたった一人で担いでいきます。

長屋の他の連中に見られたら、金をとられてしまうからです。

朝一番で焼いて、腹は生焼けにしろとワケのわからないことを頼む金兵衛。

遺言だから自分一人で骨揚げするからと言いはり、持ってきたアジ切り包丁で腹を切り開きます。

ついに金だけを奪い取って、骨はそのまま、焼き場の金も払わず出て行ってしまいます。

そのお金で目黒に餅屋を開き、たいそう繁盛したというのが噺の幕になります。

道中付け

どうですか。

すごい噺でしょ。

誰がこんな陰惨な噺をつくったのか。

これをそのまんまやったのでは、実に暗いジメジメとしたものになります。

そこをカラッと仕上げるのが噺家の芸です。

随分今までにいろいろな人のを聞きました。

とにかく貧乏長屋の持つエネルギーを必要とします。

西念という男も、餡ころ餅に金を入れて、そのまま飲み込むというとんでもない人物です。

それを隣の部屋からじっと見ていて、なんとかあの金を手にいれる方法はないかと思案する金兵衛もすごい。

へろへろに酔っ払っていいかげんなお経をあげる住職。

さらには生焼けにした腹から包丁で黄金をあさる金兵衛。

人間の欲望丸出しの噺ですから、どうやったってそこにはいやらしさが出ます。

むしろ気味の悪さといった方がいいかもしれません。

それをサラリとかわして芸にする装置の1つがこの噺に登場する道中付けです。

この表現を聞いたことがありますか。

道中付けとは落語や浪曲の技法です。

目の前の風景や地名をネタに描写しながら、さも一緒に歩いているような気分にさせるのです。

自分が彼らと一緒に西念の死体を運ぶ姿がきっと目に浮かぶのでしょう。

その全てをここにご紹介します。

ぼくがどうしても覚えられない因縁の道中付けです。

下谷の山崎町を出まして、あれから上野の山下に出て、三枚橋から上野広小路に出まして、御成街道から五軒町へ出て、そのころ、堀様と鳥居様というお屋敷の前をまっ直ぐに、筋違(すじかい)御門から大通り出まして、神田須田町へ出て、新石町から鍋町、鍛冶町へ出まして、今川橋から本白銀(ほんしろがね)町へ出まして、石町へ出て、本町、室町から、日本橋を渡りまして、通(とおり)四丁目へ出まして、中橋、南伝馬町、あれから京橋を渡りましてまっつぐに尾張町、新橋を右に切れまして、土橋から久保町へ出まして、新(あたらし)橋の通りをまっすぐに、愛宕下へ出まして、天徳寺を抜けまして、西ノ久保から神谷町、飯倉(いいくら)六丁目へ出て、坂を上がって飯倉片町、そのころ、おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻布の永坂を降りまして、十番へ出て、大黒坂から一本松、麻布絶口釜無村(あざぶぜっこうかまなしむら)の木蓮寺へやって来た。みんな疲れたが、私もくたびれた。

これが全てです。

なんだこんなもんかと言われるとちょっとつらいですね。

ちょっとだけ言い訳をさせてください。

どうして覚えられないのかと言えば、町の名前が平坦に出てくるのです。

1つの文です。

切れ目がありません。

ものすごく特徴があればいいんですけど、どうもイメージが浮かばない。

1度本気で歩いてみる以外にないかもしれませんね。

夜中にこの距離を歩くというのは大変なことです。

上野から麻布ですからね。

日本橋から新橋、神谷町、麻布十番を抜けて麻布までです。

実際にこのコースを歩くツァーも時々あるそうです。

いいですね。こういうの。

大好きです。

それともう一つ。

坊主のお経

この噺の装置として、坊主のお経があります。

これが実にいいかげんで面白い。

ここがちゃんとできると、ぐっと噺が近くに寄ってきます。

ご紹介しましょう。

金魚金魚、みィ金魚はァなの金魚いい金魚、中の金魚セコ金魚あァとの金魚出目金魚。

虎が泣く虎が泣く、虎が泣いては大変だ。

犬の子がァ、チーン。

なんじ元来ヒョットコのごとし。

君と別れて松原行けば松の露やら涙やら。

アジャラカナトセノキュウライス、テケレッツノパ。

ここの気分も大切です。

この2つの山に向けて、噺が続くのです。

この道中付けにはいろんな落語家が挑戦しました。

立川談志はものすごくアレンジして、今の町並みがみえるように、町名もすべてあるものにかえ、デパートがあれば、その名前まで入れました。

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そのため、この部分が志ん生の倍かかっています。

しかしその町名も現在はかわり、時の流れを感じます。

どれが一番いいのかというのはありません。

ぼくにはやはり志ん生のが一番しっくりきます。

一言でいえば抜け感です。

おおらかであらゆるものを超越したようなゆっくりしたリズムがいいですね。

きっとこの落語家の貧乏生活がそのまま身体の外に染み出したのではないでしょうか。

それだけのリアリティを感じます。

酔っ払った坊主の様子にもそれが見えます。

現代ではどうやってもこの黄金餅の理不尽な噺は、胸にストンと落ちないのかもしれません。

しかしそうした可能性を持てた噺家として、古今亭志ん生がいたと考えるのはいけないでしょうか。

芸の不思議さということをつい考えてしまいます。

1度ゆっくり聞いてみてください。

きっと魅力を発見できると思います。

最後までおつきあいいただき、どうもありがとうございました。

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