【品格とは何か】お天道様がいつも見ているという教えは尊いのです

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品格とは何か

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、ブロガーのすい喬です。

今回は柄にもなく、品格の話をします。

あの人は品のいい人だという言葉に憧れますね。

全く、縁なき衆生であるこの身には、ある種の痛みすら覚えます。

ここ数日で「品格」に関する本を数冊読みました。

いろいろな人が本当にさまざまなことを語っています。

しかし根本は同じです。

骨になるのは「己れに正直であれ」ということに尽きますね。

考えてみれば、嘘をつくというのは、ちょっと楽しいことでもあります。

心躍る瞬間がないワケではありません。

作家の井上光晴氏などは、実にたくさんの嘘をつきました。

そのことは娘の井上荒野さんの小説『あちらにいる鬼』(朝日文庫) に出てきます。

ぼくもあるご縁で、生前何度かお目にかかったことがあります。

最初、この人がそんなことを言ってたのかと信じられない気分でした。

小説家というのは大真面目な顔をして、平気で嘘をつく人種です。

問題はそこにリアリティがあるかどうかということでしょう。

その意味で、井上光晴という作家は自分に正直であったのかもしれません。

自信がないなどということとは全く無縁の人でしたね。

グチをこぼすようなことがあったのでしょうか。

それでも嘘はやはり後々まで尾を引きます。

なぜか。

どこかでバレてしまうからです。

というより、話のつじつまが合わなくなっていくのです。

後が苦しい

1度嘘をつくと、その前後の話を修正しなくてはなりません。

あの時の話は何だったのかと問われて、大急ぎで、話を整えなくてはなりません。

これは想像以上に苦しいことです。

それならば、何も言わないことの方がいいかもしれません。

つい先日、サヘル・ローズさんの話を新聞で読みました。

ご存知ですね。

イラン西部の小さな町に生まれた町は、イラク軍の空爆により壊滅しました。

家族と4才で生き別れたのです。

その町へたまたま救護隊ボランティア要員として来ていた人に救い出され、7歳までテヘランの孤児院で暮らした人です。

縁あって日本にきたものの、言葉もわからず、中学校では友達も満足にできなかったそうです。

成績は最下位。

入学できたのは都立園芸高校の定時制だけでした。

彼女はそのことを口にしなかったといいます。

しかしそこで出会えた先生の影響で、誰にでもできることがあると教えられたそうです。

それ以降の彼女の活躍ぶりは、テレビなどでみかけたことがあるはずです。

嘘はつかない。

これが全てです。

品格を持つということは、自分と世界のぎりぎりの戦いなのかもしれません。

嘘をついたり、悪いことをしたら必ずお天道様が見ていると昔の人はよくいいました。

福沢諭吉はお天道様とは日輪のことではなく、造物主だと書き記しています。

この言葉には、想像以上の深い意味がありますね。

遠樹の烏

好きな落語の中に「一目上がり」という楽しい噺があります。

そこに出てくる挿話がこれです。

主人公の八っつあんが大家さんのところへ行き、掛け軸を見せてもらいます。

それを褒めようとしたのです。

字ばかりでちっとも読めないので、読んでもらうと次のようなことが書いてあるのだと言います。

「近江(きんこう)の鷺は見がたく、遠樹(えんじゅ)の烏見易し」

もちろん、八っつあんに言葉の意味はわかりません。

そこで説明を求めます。

大家さんは次のように話してくれました。

『近くの雪の中にいるサギは目立たないが、遠くのカラスは目立つ』と言い、良いことは目立たないが、悪いことは直ぐ露見する」という意味だというワケです。

雪の中にいる白いサギは確かにわかりにくいですね。

その反対に遠くの木にとまっている烏は、雪の中でもすぐにわかるというのです。

それならばいくらいいことをしていても、白い中で白いものが見分けにくいようにつまらないではないかとつい考えてしまいがちです。

その思考法が最ももったいないということなのでしょうね。

善行ほ施すことは誰のためでもないのです。

結局自分に戻ってくる。

そう信じることができた人だけが、お天道様にみていてもらえるんでしょう。

篤農家という言葉を聞いたことがありますか。

今までに出会ったひとの中で、本当にこの人はという人がいました。

米農家一筋で生きた人でした。

いつも笑顔で、優しかったですね。

グチをいうなどいうこともなく、人の悪口など話しているのを聞いたことがありません。

お天道様と暮らし続けてきた人なのに違いありませんでした。

お亡くなりになった時は、本当に悲しかったです。

結界の思想

落語の話が出たついでにもう1つ。

扇子と手拭だけで、世の中の全ての話をするのが落語家です。

あの扇子は大変便利なもので、刀にも箸にも、広げれば盃にもなります。

しかし1番の基本は結界をつくることです。

これ以上、こちら側の領域に入ってくるなというメッセージでもあるのです。

頭を下げながら、自分の膝の前におきます。

ここからは芸人の世界で、いわゆる堅気の人が入ってくるところではないという意味です。

なんの保証もなく、その日暮らしの生活をする。

どこで野垂れ死んでも文句はいいませんという、決意の印でもあるのです。

その意味では深い意味があります。

人間同士もこれと同じですね。

自分と他人は厳然として別の人格です。

他者のことが完全にわかるなどということはありません。

その領域に土足でずかずかと乗り込んでいくことは避けなければならないのです。

Free-Photos / Pixabay

他人のプライバシーをのぞくのは楽しいかもしれません。

しかしこれは断じて許されないことです。

それ以外に楽しみがないのだとしたら、とても悲しい人生を送っているということの証拠にもなります。

相手が話し始めたら聞けばいいのです。

結界はつねに横たわっています。

親しいからといって、土足で上がり込んではいけません。

品格とは何か。

それは己れの姿を鏡に映すことから始まるのです。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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