【世襲・学閥・閨閥】固定化が格差を生む【明治維新から150年】

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3種の神器

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科のすい喬です。

明治維新から150年以上がたちました。

日本の社会構造は固定化しつつあります。

2世、3世、さらに4世の時代に入ったのです。

俗に政治家の世界は地盤、看板、カバンといいます。

これは選挙に勝つための3種の神器といってもいいかもしれません。

確かに当選するためには支持者も知名度もお金も必要でしょう。

しかしこれを繰り返しているうち、新人は選挙に出られないということになってしまいます。

現実に議員の横顔を見てみると、父、祖父の代からやっている人が多く、全くあきれるくらいです。

テレビに出てくる議員の顔を見た瞬間、どこかで以前見た人にあまりにも似ていることが多く驚いてしまいます。

急逝した代議士の子供など、その政策能力は全く未知数です。

それなのに、トップ当選したりする風土は、利権に絡むこの国の政治のあり方そのものなのかもしれません。

逆に言えば、たたき上げの代議士は今や貴重品なのです。

明治維新の時は薩長土肥の面々が一路、新生日本を目指しました。

全く無名の青年たちが国家を作り上げていったのです。

しかし月日が経つにつれ、彼らは自分が吸った利権を一族の子孫に分け与えていきました。

その間に何世代も経過し、日本の社会はその内側から次第に固定化してきています。

誰もが中流であるという幻想はいまや夢物語にすぎません。

その内側では階層の分化が確実に起こっています。

すなわちこの国を早い時期に牛耳って力をつけてきた人たちは、網の目のようにそのネットワークを広げているのです。

学閥もあるでしょう。

しかし結婚にからむ閨閥というもう一つの「閥」も大きな力を持っています。

官僚の息子と大企業のオーナーの娘などという取り合わせはよく聞く話です。

娘婿が義父の地盤を受け継いで選挙に出るパターンもよく耳にします。

金と権力

簡単にいえば、金と権力の合体です。

まさに自分たちが作り上げた力を温存することが大切な命題になったのです。

その間に入って、自分も同じような恩恵を受けたいと考える人も大勢いることでしょう。

ベ平連活動などで一時代を築きあげた作家、小田実が以前書いた『現代史』という小説は、まさにそのような世界を描いたものでした。

自分がどうしたらこの国の枢要な位置に入っていけるのかを綿密に考えます。

その結果として価値ある学歴をつけた主人公が、彼にとって意味のある結婚にこぎつけるという話です。

しかしその一族の中で彼に与えられた地位は大変低いものでした。

geralt / Pixabay

そのことをあらためて知った主人公は、次第に屈折し挫折していきます。

山崎豊子の『華麗なる一族』は最も代表的な小説です。

大富豪の銀行家一族が富と権力を追い求めていく姿が描かれています。

政財界にわたる野望と憎しみの連鎖がすさまじいのです。

映画やドラマにもなったので、御存知の人も多いでしょうね。

お受験ママもあるいは「華麗なる一族」につながることをどこかで夢見ているのかもしれません。

その証拠に有名な幼稚園に入るための塾は、大変な人気です。

親子面接のためのガイダンスや、当日のファッションまで至れり尽くせりの指導をしてくれます。

まさか閨閥結婚をして、この国の中枢に入り込もうとしているとは思えませんけどね。

しかしどこかにその匂いを感じないわけではありません。

企業30年

今や企業の命は30年と言われています。

全盛時代を1人で築き上げた創業者の苦労を、その息子や、孫がどこまで肌で感じとれるのかは疑問です。

オーナー社長から引き継いだ2代目、3代目が次々と失脚するのも当然なのかもしれません。

近頃、そんな話をたくさん聞きますね。

周囲にいる番頭たちが、前社長の息子をうまく傀儡にして、のし上がるという構図もたくさんみられます。

とんでもない社長が莫大な散財をしたある製紙会社のケースなどは実に情けない話の典型です。

ニュースをみていてさらにひどいと感じるのは、親が子に自分の地盤を譲る図式です。

政治家の息子や娘に生まれれば、歌舞伎役者の子と同じルートに乗れるのです。

これほどに不思議な話はありません。

johnhain / Pixabay

党人派などと呼ばれ、市議会や県議会から衆議院までのぼってきた人は実に珍しい存在になりつあります。

こういう環境の中で、新しい政治ができるのでしょうか。

与党のケースが多いですが、野党にも似た風景がみられます。

この国民にしてこの政治とはよく言います。

若者の政治離れも耳にしますね。

自分の周囲が良ければ、それ以上に関心を持たない。

誰に投票しても同じだからという声も聞きます。

悲しい現実です。

そこまでにしてしまった責任は誰にあるのでしょうか。

民に知らしめないということが政権維持の根本原理だという人もいます。

暗愚政治の勧めです。

この流れは政治に限ったことではありません。

どの世界でも

一度得た権益を離さないというのは地方の教育界などでも、よくみられる構図です。

以前は夫婦が教員だとどちらかがやめて、一方が管理職になるという構図がよくみられました。

あるいは親が退職して子供がその後、教員になるという話も聞きます。

本当に実力のある人間がその地位に就くのならば、問題はありません。

しかしそうでないケースがあちこちでみられるのです。

芸能人の世界と同じです。

親の地盤を利用して、後の地位を得るケースも多いですね。

もちろん、それだけで生き残れるほど甘くはありません。

タレントやミュージシャンの世界をみていると、親子の関係を強調して仕事をする人が多いのも事実です。

親に知名度があれば、業界の中を泳ぎまわるのが有利なことはもちろんです。

最近では落語の世界などでも似たようなことがあるようです。

親子の関係を利用して、人気番組のレギュラー枠をとるなどいうことも通用しています。

確かに子供の頃から芸人の生活を身近に見ていますから、礼儀も知っているでしょう。

苦労も見ているに違いありません。

なにかと贔屓にしてくれる人もいるはずです。

日本の国が、そうした2世、3世、4世によって塗り固められていくのはけっして望ましい姿ではありません。

歌舞伎などの世界の在り方はあまりにも特殊で、常識では考えられないものです。

日本古来の芸能には家元制度という不思議なシステムが残っています。

明治維新から150年の時間は重いです。

デフォルトに戻すことはもうできないでしょう。

どういう出自に生まれたかによって、その後の人生が違うというのは、考えてみれば隋分と息苦しいことです。

サラブレッドとか御曹司などという表現もあるくらいです。

彼らはどうやって人生を歩めばいいのか。

それなりの苦労もあることでしょう。

それさえも現在は格差の2文字の中に隠れてしまっています。

学歴もある程度、金銭でなんとかできる時代です。

Wokandapix / Pixabay

そのための情報も恵まれた環境にいれば多いです。

どの家に生まれるのかは偶然です。

しかしそれが後の人生に確実に反映され、差は開いていくばかりなのです。

自分の会社を子供には継がせなかったホンダの創業者は別格なのかもしれません。

逆に子供に譲って会社をダメにした創業者がいかに多いことか。

これも厳然たる現実です。

どちらがいいとは簡単には言えません。

しかし出自の良い人間には、たくさんのアドバンテージがあることは間違いないのです。

環境は最初から自分で選べません。

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厳しい現実そのものです。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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