松本隆トリビュート・人気作詞家は都会の風と色の心象風景を描いた

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トリビュート記念

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語教師、すい喬です。

つい先日、NHKの音楽番組で作詞家松本隆の50年を見ました。

もうそんなに時がたったのかというのが実感ですね。

本当に早い。

番組の内容も楽しかったです。

最初に演奏された曲が「君は天然色」でした。

1981年の作だそうです。

もう40年も前の話です。

しかしちっとも古びていないのが不思議でしたね。

この作詞家のつくる曲は不思議にキラキラと光り輝いています。

ところがそれがただの明るい光ではないのです。

裏側に陰りや祈りがあるのを以前から強く感じていました。

geralt / Pixabay

川崎鷹也による大滝詠一作曲「君は天然色」はなかなかの出来でした。

つい聞きほれてしまいましたね。

誰でも耳にしているはずです。

CMなどにもよく使われています。

7月14日にリリースされた松本隆の作詞活動50周年を記念したトリビュートアルバム「風街に連れてって」にも収録されているそうです。

この曲だけ、実際のアルバムより1月ほど早く売り出されたとか。

かつて大滝詠一が誕生日に発売する予定のアルバムを制作したことがありました

彼はロックバンド、はっぴいえんどで共に活動した友人の松本隆に作詞を依頼したのです。

「君は天然色」がまさにその曲でした。

この歌はTVアニメ「かくしごと」のカバー曲としても昨年話題になりました。

光にあふれた美しい歌詞です。

夏の海のシーンにピッタリで、湘南の海を走っている車から聞こえてきそうな明るさに満ちています。

冒頭の音の使い方が実にみごとです。

サビのリフレインも軽いタッチでつい口ずさんでしまいます。

妹さんの死

この歌の冒頭をよく聞くと、そこに別れの匂いがあります。

ただ聞いているだけではよくわかりませんけどね。

番組の中で明かされたのは妹さんの死でした。

意外でしたね。

全く知りませんでした。

彼は心臓の弱かった妹さんの病状が心配で、スランプに陥っていたそうです。

作詞ができなくなり、アルバムの発売も延期されることになってしまいました。

妹さんはその後すぐ、26歳の若さで世を去ってしまったのです。

松本隆はショックで言葉が出なくなりました。

geralt / Pixabay

そのため作詞を断ろうとしましたが、大滝の強い希望と励ましにより引き続き制作にあたることになったそうです。

そうして生まれた楽曲が「君は天然色」でした。

失恋ソングというイメージがある曲ですが、本当は亡くなった妹さんに向けて作った歌なのです。

特に、1番の内容は恋よりも、過去のことに重点が置かれています。

君を失った世界はモノクロームに見えるというフレーズが耳に残りますね。

まさに異世界に連れ去られてしまった妹さんの思い出がモノクロームそのものだったのでしょう。

この頃を契機に作詞家、松本隆が誕生したとも言えます。

彼の言葉はイメージを喚起しやすいものが多いです。

ですます調のやさしい表現があふれています。

小指から虹が流れ出すという表現なども色彩感覚に満ちています。

実際は部屋の中で、昔を思い出している歌です。

せめて夢の中ででも出会えないだろうかという寂しい内容なのです。

風景が色を失うのは人が亡くなった時だという考えが色濃く、歌詞の細部に沁み出ています。

生い立ち

子供の頃の風景が人の感性をどう育てるのかというのは興味深いです。

その意味でいえば、松本隆が港区の青山で生まれたという事実は重いですね。

父は大蔵省の官吏です。

港区立青南小学校、慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校卒業。慶應義塾大学商学部中退という経歴もある種の甘さを育てたような気がします。

友人にも恵まれていたのではないでしょうか。

リベラルな学風の中で自由を謳歌したことだろうと想像されます。

青山を基点として乃木坂、麻布、六本木や渋谷界隈で遊びました。

まさにイメージの世界で、早く大人への脱皮を繰り返していたような気がします。

彼とは全く違う環境に育った作家、村上春樹と比較してみると、違いがよくわかります。

両親が教師であった村上は、父親から古典文学などの暗証をさせられ、それがいやで外国文学に傾倒していったという過去を持っています。

さらにジャズへの愛着も同じ論理から出ているのでしょう。

いわば反面教師として文学に深入りしていったという側面を見逃してはいけません。

ところが松本隆はむしろ、全てが自然の流れのままです。

彼はつげ義春や永島慎二などの漫画や渡辺武信の現代詩に影響を受けたと言われています。

2人にとって、都市に暮らす人々の心象風景を描こうとした点では似たところも確かにあります。

しかし村上春樹は心の内側にどんどん深く沈みこんでいきました。

一方の松本隆は都会の雑踏の中に入り、自然な感覚で自分の世界をつくりあげたのです。

表現への感性

彼にとって松田聖子との出会いは大きかったですね。

24曲連続オリコン1位中17曲を手がけたというのはあまりにも現実離れしています。

阿久悠とは全く違う都会派のセンスが、時代の感覚にピッタリだったのでしょう。

ヒット曲を次々発表し、「SWEET MEMORIES」などを生み出しました。

微妙なジャズアレンジの曲などに彼女の声の質がマッチしたのです。

「SWEET MEMORIES」は大人びた世界を若い女性が歌うという図式が新鮮でした。

その後のヒットはみなさんがよく知っている通りです。

個人的には「瑠璃色の地球」という合唱曲を何度も聞きました。

「瑠璃色」という表現を歌詞の中に埋め込む発想がとても新鮮でしたね。

地球という生命体の根源を支える天球の持つ意味を瑠璃色が全て象徴しています。

トリビュートというのは「称賛、賛辞」といったような意味です。

50年間の作詞家生活が多くの人に強い影響を与えたという意味で、まさにアーティストに与えられる最高の呼称でしょう。

今や昭和も遠くなりつつあります。

モノクロームの世界に近づいているのかもしれません。

しかし「瞳はダイアモンド」という表現は残ると思います。

瞳がやがて心になり、最後は涙になります。

どれもダイアモンドに違いないとする作詞家のセンスは十分味わい尽くしたいものです。

世の中には明があれば暗があります。

明るい部分をことさら強調することで成功する人、あるいはその逆の人もいます。

メディアに関わっている人間達は、いつもそのことばかり考えていました。

松本隆の世界にはスイートピー、風、瑠璃色、青空などのイメージがふんだんに登場します。

今は「明暗」より「天然」の時代なのかもしれません。

メディアは「明暗」の構図をきっぱりと捨てたようです。

現在、新しいコンセプトはないといってもいいです。

人間の回転がはやまったのです。

それだけ単純な時代になりました。

いつも「素」のままの自分でいい。

松本隆の作詞が次第に遠景に消えていく日も近いのでしょうか。

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言葉にそれほどの重みがなくなっているのかもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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