結論を2度書く
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は小論文の書き方を根本から考えてみましょう。
決められた時間内に制限字数ギリギリまで書くには、型を守る必要があります。
無手勝流に始めたのでは、説得力のある合格答案にはなりません。
どうしても型を頭に入れておかなければなりません。
その場で少しずつ思い出すなどというレベルではダメです。
柔道や剣道の型と同じです。
相手の攻め方に応じて、自然と身体が反応するレベルに達していなければ、試験場ではすぐに使えません。
身体に馴染んでいることが何よりも大切です。
今までこのサイトでもたくさんの例を示してきました。
基本になる記事を最後にリンクして貼っておきます。
後で読んでください。
基本は問題提起、分析、解決策提案、理由、結論の順番です。
この基本を守り、論理性を貫けば合格答案になります。
一定の安定したレベルにまでに達するには、どんなに短くても半年はかかります。
小論文の勉強は簡単ではありません。
言葉と、論理性の獲得には相当な勉強が必要です。
「論理国語」の教科書で習うレベルの評論を読みこなす力がなくてはならないのです。
今回はほぼこの段階に達したものとして、最後の力技をご披露します。
それが結論を2回繰り返すワザです。
最初と最後にこれを示すことで、全体の印象が強くなります。
もちろん、ただ繰り返すだけではNGです。
そこには自ずと効果の上がる方法があります。
制限字数800字以上の場合
ただしこの方法はあまり字数の少ない小論文には通用しません。
最低でも800字以上のケースで効果を示します。
難関私立大学や国立大学の入試などには使えるスキルです。
課題文型であれ、グラフ読み取り型であれ、書き出しは常に問題提起から始まります。
どれが主題で自分はどの方向に向かって書き始めるのかを明確にしなければなりません。
通常は何が問題なのかを示すだけで、次の段落に入ります。
しかし今回の結論2回型では、最初に自分の結論を書いてしまいます。
採点者としては、はっきり結論が示してあるので、この先の論の展開に不備がないのかと疑心暗鬼になります。
その間隙をつくのです。
かなり高等なテクニックといえるでしょう。
彼らを自分の土俵に引きずり込むのです。
いつもなら問題が何であり、どこにあるのかということを示すことで、導入部分の問題提起にします。
しかしそれを乗り越えて、自分はこう考えるという結論を明言してしまうのです。
賛否を要求していないケースもあります。
そういう場合は無理に書く必要はありません。
自分が文章の最後に書きたい内容を短くまとめてしまうのです。
人間の脳の仕組みをチェックしてみれば、その意味がすぐにわかります。
最初と最後にキーポイントがあると、文章全体が強く見えるのです。
最初の印象から違います。
結論を先に書くメリット
①書き手の立ち位置がすぐにわかる。
②どの視点でこの文章を書いたのかが、一目瞭然である。
③内容の優先度が明確。
④文章を読むためのガイドラインが引いてあることを示す。
⑤採点者に対して、ある意味で親切な文である。
⑥結論があることで、どのような展開かを早く読み取りたいという意識を採点者に抱かせやすい。
⑦結論と説明部分が明確にわかれるため、読みやすい。
具体例をあげましょう。
言語学者の前田英樹氏による「人間の自由」という文章です。
ここで筆者が述べていることに対するあなたの考えを800字で書きなさいというのが設問です。
1部だけを載せます。
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人間だけが、言語や記号による関係の抽象性を生きている。
そのことが、人間に計り知れない重荷を負わせている。
殺人者であれ、泥棒であれ、人はなんとかして自分と折り合いをつけようとする。
人間は、この二重になった自分から逃れることはできない。
この二重性は、社会性と同じことである。
自分にどう言い聞かせるかは、社会の中で自分をどう選ぶかと同じになるだろう。
人は、この選択から逃れられない。(中略)
この選択は根源的に自由である。
自分への命令が、完全に自由意志によってなされうるためには、その命令は社会を裏切るものであってはならない。
裏切るどころか、それへの責任を新たに生まれさせるような命令でなくてはならない。
命令は、まさにほかでもない自分自身に対して、どんな言い訳もなしになされる。
自分というものの二重性は、ここでは分裂を起こさない。
命令を実行する行動の充実の中で統一される。
それが、自由ということだ。
自由の意味
意味が理解できましたか。
筆者は真の自由とは何だと言っていますか。
人間はいつも自己に語る言葉に責任を持たなくては、社会の中では生きられません。
つまり他人と共有できる言葉を持ち続ける必要があるのです。
自分を他者の鏡に映して、認識しなおす。
自分の声を外から聞きなおすのです。
ということは「真の自由」を得るためにもう1人の自分とつねにパラレルでいなければならないという状況を抱き続けなくてはなりません。
この場合、人間は「自由」を得るために苦行を続ける覚悟が必要だ、と冒頭で断じてしまうのはどうでしょうか。
すると、読む人の側は自由を獲得するための、道のりの遠さが思い描かれます。
かなり難解な内容なので、体験、見聞などの豊かな人ほど有利です。
うまい文章は必要ありません。
論理性と説得力があるかどうかがカギなのです。
この場合、筆者の論点に賛否を加えるのは難しいと思われます。
むしろ足りない部分を補う形で文を構成してはどうでしょうか。
ここが最大の見せ場です。
自分の付け足した主張がどこから出たものか。
その証拠に次のように事例があるといった文章をはさみます。
自分が今まで読んだ小説や評論などから取り上げるのもいいでしょう。
たとえば夏目漱石の『門』に登場する参禅の場面をイメージするのはどうでしょうか。
主人公はあらゆる想念から自由になれず、鎌倉の寺へ参禅します。
修行開始早々、主人公は高僧から「公案」を与えられます。
公案とは参禅者に出す課題のことです。
この時の内容は「父母未生以前本来の面目」とは何かというものでした。
この評論に対する小論文で、ここまで書き込むのはどうかとも思いますが、あらゆる可能性を考えてみてください。
あくまでも1つの例として示しました。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。