【小論文の解法】課題文で提起された問題の原因と背景を深掘りする

学び

原因と背景

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

入試小論文はあまりにも多様です。

正直にいえば、何が出題されるかわかりません。

毎年、問題の予想をしていますが、いずれも難問ばかりです。

AIのテーマ1つを考えてみてもそれは明らかです。

人工知能が有能であることは誰もが知っています。

しかしその力には限界も当然あります。

どこまで人間との共存が可能なのか。

近年の設問はそこに糸口を見出そうとしています。

テーマの周囲を深堀りしていくと、さまざまな要因がいくつも飛びだしてきます。

論理の方向性を1つにまとめるのも大変です。

最初はきちんと狙いをつけたはずなのに、次第にどこへ進んでいくのか書いているうちにわからなくなってしまうこともあります。

考えれば考えるほど、人間の未来に対する展望を根こそぎ奪っていくだけの実質をもっているからです。

たった1つのテーマでこの苦しさです。

どれをとっても難問なワケが理解してもらえたでしょうか。

その他、SDGs、医療問題、教育問題、少子高齢化など、いずれも簡単に解決できるような内容ではありません。

しかし本番の入試で出題されたら、なんとかして小論文を書き上げなければならないのです。

実際にどうするのか。

どこから書き出すのか。

新鮮な視点をどう提出すればいいのか。

合格答案を書くまでの道筋は、遥か遠いものに見えるに違いありません。

課題文の読解

課題文を読み理解するのは大変です。

テーマについてある程度の知識がないと、とても文章をまとめきることはできません。

制限時間はが限られています。

ある種の緊張状態にあるわけです。

俗に頭に血が上るという表現がありますね。

あれに近いと考えてください。

頭にどんどん血が流れ込んでいきます。

これは受験を経験した人にしかわからない感覚です。

半分、あがっている状態なのです。

本来なら意識的にクールダウンをしなくてはいけません。

しかしそれもままならないのです

とにかく落ち着くことです。

とここまでは、簡単に書きましたが、大変に難しいです。

課題文の背後にどのような問題意識があるのかを、自分の中で反芻してください。

背景にある原因をどう整理するのかがポイントです。

それを明確にするために、もしグラフや図表が例示されていれば、効果的に使いましょう。

何も用いずに説得力のある文章にまでまとめあげるのは無理です。

もちろん、経験や知識が必要なことはいうまでもありません。

ここからが本当の実力の見せ場です。

小論文は最終的に必ず方法論への糸口を必要とします。

感想を書くだけの文章ではありません。

つねに解決をイメージして文章を先へ進めていくのがポイントです。

教育の問題(例)

たとえば、よく出題される教育の問題を少し考えてみましょう。

現代の社会問題の中でも最大のテーマです。

日本の教育方針はたえず揺れ続けてきました。

ゆとり教育1つをとってみても、その変化には大きなものがあります。

課題文を2つに分けきれる内容ならば、論点を進めることは割合に容易です。

いわゆる二項対立型の文章だからです。

たとえば、従来の視点はAだったが、これからはBが主流になっていくべきだという論点があったとします。

具体的には次のようなものです。

①日本の教育は知識をバラバラに覚えさせられるだけで、相互の関連が理解できない。

②暗記が主流の授業では、個々の人格が十分に養われるはずがない。

③体系的な知識を総動員してまとめ、相互の関係を緊密にする論文、口頭試験などを行うべきである。

こういう主張が全面に出た問題があったとしましょう。

これは2010年に富山大学の人文学部後期試験に出題されたものです。

筆者はロシア文学者の米原万理氏です。

彼女は外国での授業経験を参考に、自分で行動する批判精神と主体性が必要だと論じています。

つまりグローバル化する社会にとって、真に有用な人間を育成するには暗記中心の授業では不可能だという論点です。

もっと主体的に考えさせる授業の実践を主張しています。

近年、日本においても自ら考え、書き、発表するタイプの授業が増えてきました。

しかし基本は知識を詰め込んでいくタイプの学びが主流です。

これには学力評価の問題も深くからみあっています。

偏差値、マーク式テスト、絶対評価、学力観の変化など、1つ1つのテーマだけでも大きな問題なのです。

個性、主体性を求めながらグローバルに活躍できる人材をどのように育成していくのか。

これからの教育のあり方はどのようなものにすればいいのか。

口でいうほど、簡単にまとめられる内容ではありません。

何が背後にあるのか

このテーマを追いかけていく時、何が問題なのかを最初に考えてください。

特にここでは論文型の試験にした場合、評価の方法が1番の難問です。

点数をどのようにつけたらいいのかという問題が必ず登場してくるのです。

数年前に起こった、「大学入学共通テスト」における採点方法の議論は記憶に新しいところです。

結局公正な評価を巡って、鋭い対立が起こりました。

ここに自分なりの視点を固定してみましょう。

確かに論文型の試験で、問題をつくることは可能です。

しかし誰がどのように公正な視点から評価を下すのかということに、誰もが突き当たります。

知識の断片ではいけない。

それぞれの事象がどのようにからみあっているのかを、ダイナミックに取り上げる柔らかい視点が必要です。

そのことは誰もが知っています。

しかしなかなか思うようにはできません。

geralt / Pixabay

その困難さを誰もが声高に主張した結果、導入は断念されることになりました。

知識の有機的なつながりを求める新しい学力観を志向しながら、それを採点評価するところで、再び躓いてしまったのです。

評価の基準とは何かと筆者の米原氏は書いてます。

単に教師が評価に責任を負いたくないだけではないのか。

なぜ多くの国で可能な授業や試験が、日本ではできないのか。

そこに最も根源的なこの問題の根があるのです。

そこまで目が届けば、自分なりにかなりの小論文が書けるのではないでしょうか。

深掘りをするということは、自分の現在立っている文化の底の底まで下りていく覚悟を必要としているのです。

それがなければ、評価の高い文章にはなりません。

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断言しておきます。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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