オチがわからない
みなさん、こんちには。
アマチュア落語家でブロガーのすい喬です。
今回は有名な廓噺「居残り佐平次」を取り上げます。
女郎会などという言葉がもう過去のものになって久しいです。
昔から男の3道楽と言いますね。
飲む、打つ、買うの煩悩です。
この3つは落語の得意とする分野です。
それだけ人間の生の欲望に1番近いものなのかもしれません。
この落語のタイトルを聞いても「居残り」という言葉の意味がわかりませんね。
![](https://suikyoblog.com/wp-content/uploads/2020/10/undraw_happy_music_g6wc-1024x847.png)
今残っている言葉としては、居残り勉強くらいがせいぜいでしょう。
簡単にいえば廓に何日も居続けることをいいます。
普通なら夜やって来て、翌朝には帰るのがお客の遊び方です。
しかし居続けとなると、1晩では帰らずに、次の日も続けて泊まります。
これを何日も続けているうちにお金が足りなくなり、とうとう人質になって仲間が払いを持ってきてく
れるまで逗留することを言います。
上は来ず、中は昼来て昼帰り、下は夜来て朝帰り、そのまた下は居続けをし、そのまた下は居残りをする。
必ずこの噺をする時のマクラに使う文句です。
最高の遊びは廓に足を踏み入れないということです。
その次は昼間来て、ちょっとお酒を飲んで帰るだけ。
その下がごく普通のパターン。
さらにその下が何日も居続けをします。
さらにその下のランクが居残りという最悪のパターンになるのです。
ここまででだいたいこの落語に出てくる佐平次の人となりが見えてくるのではないでしょうか。
あらすじ
舞台は品川です。
遊郭でお馴染みの吉原の通称が北なら 品川は南と呼ばれていました。
品川宿は表向きは廓ではないものの、夜には客の相手をする女の人たちがたくさんいました。
佐平次は1円の割り前で遊ぼうと4人の友達を誘い出します
品川へ繰り出し大見世にあがり、酒、料理、芸者をあげての大騒ぎです。
当然、1人1円では足りません。
佐平次は最初からこの店に居残るつもりでした。
4人は佐平次のことを心配しながら帰って行きます。
佐平次は朝から酒を飲み、風呂に入り、店の若い衆が勘定の催促にくると、調子のいいことを言ってごまかしてしまいます。
4人が今晩、またやってくるから、それまで時間をつないでいるのだと言うのです。
廓では2度目に通ってくることを裏を返すといいます。
しかし結局誰もやってきません。
勘定を払えと言われ、佐平次は銭がないことをアッケラカンと告白します。
完全な開き直りです。
最後には自分から行灯部屋に下がるなどと言い出す始末。
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その晩も店は繁盛し、佐平次のことなどかまっている暇はありません。
すると、佐平次は店の中で客の用事などをこまめに聞いて働き始めるのです。
いのさんとかいのどんなどと呼ばれて、すっかり奉公人のようです。
女中の手伝いから、花魁の手紙の代筆、話し相手などまでします。
しまいには客からお座敷に呼ばれるまでになります。
幇間のような男芸者になってしまうのです。
これには店の若い衆も黙っていません。
客のご祝儀をみんな独り占めにしてしまうからです。
主人は佐平次を呼び、勘定は後日でいいから店を出て行ってくれと頼みます。
ここからが最後の見せ場です。
実は盗み、たかり、ゆすり、脅しで、追っ手のかかる身なので外へは出られないと言うのです。
主人は驚いて、罪人を店に置くことはできないからといって小遣いから着物まで全部持たせ、帰します。
すごい噺ですね。
よほどの力量がないとこの落語はできません。
この噺のオチが「おこわにかける」というものです。
今では誰も聞いたことのない完全な死語です。
この表現は古い江戸言葉で、語源は「おおこわい」です。
人を陥れるという意味だそうです。
それを赤飯のおこわと掛けたものですが、もちろん今では通じません。
最悪の結果
ご主人がごま塩頭ですからというところで、終わりです。
それだけに噺家はこのサゲに向けて、どう噺を展開すればいいのか、大変苦労しているのが実情です。
談志は「あんな奴にウラを返されたら、後が恐い」とするなど工夫をしていました。
先日、古今亭志ん輔師匠のブログを読んでいたら、ちょうどこのサゲに関する記事が目にとまりました。
そのまま引用してみます。
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20時40分「居残り佐平次」は最悪の結果となった。
そもそもサゲの説明をマクラでやったことが誤算だった。
それまでは色々な方法、例えば噺の中でサゲの説明をするとか。
あるいはいっそサゲを変えてしまう等々だ。
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だが噺の中で説明してもお客様はなかなか気付かないことが分かっていた。
サゲを変えてしまうとサゲだけが際立って噺全体のバランスが崩れてしまう。
どれもが帯に短し襷に長しのような気がしてマクラで説明してしまったのだ。
落語研究会のお客様には大きなお世話だったのかも知れない。
なんとか建て直そうとしながらの繰り返しだった。
大きな敗北感に身体を包まれた私は逃げるように会場を後にした。
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落語研究会は国立劇場で行われる大変格式の高い落語会です。
TBSが後援し続け、その様子はテレビでも放映されています。
この落語会に出られるというのが噺家にとっては1つのステータスでもあるのです。
当然ながら、聴衆はかなりの通人揃いとみて差し支えないでしょう。
相当に落語を聞き込んだ人たちばかりなのです。
それだけに志ん輔師匠の味わった苦痛も、また人並み以上のものであったと推察されます。
幕末太陽伝
落語は生きています。
ちょっとした間の違いが会場の雰囲気を大きくかえます。
ベテランの師匠でもちょっとした入り方のミスで、大きな穴をあけてしまうのです。
ライブであるが故の苦しみかもしれません。
どこかでその苦痛を和らげなければと焦ることもあるでしょう。
実際、何度か高座に出させていただいている身としては、実によくわかります。
リベンジを果たしたくても、その場がすぐにやってこないというもどかしさもあります。
プロはこういう試練に耐えて、おそらく真の芸人になっていくのに違いないのです。
それにしても、落語は難しいものだとしみじみ感じます。
裏を返すという用語も落語ファンには御馴染みかもしれませんが、こちらも今ではもう通じにくいかもしれません。
![](https://suikyoblog.com/wp-content/uploads/2019/11/hourglass-1875812_640.jpg)
この落語を題材にした映画もあります。
『幕末太陽伝』(1957年)がそれです。
川島雄三監督の代表作である異色コメディ映画です。
実在した遊郭「相模屋」を舞台に起こる様々な出来事を楽しく描いています。
日本映画史上の名作の1本として数えられるものです。
『居残り佐平次』から主人公のキャラクターをもらい、『品川心中』『三枚起請』『お見
立て』などの落語をあちこちに散りばめてあります
廓話の好きな人なら、すぐにわかる作りになっているのです。
主演はフランキー堺。
石原裕次郎が出演しているというのも、一風かわっていてとても面白いですね。
チャンスがあったら是非、ご覧になってください。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。