【超監視社会】世間の目が消え頼みの綱はカメラだけという令和の現実

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監視カメラの時代

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は監視社会について考えます。

イヤな言葉ですね。

しかしこれが現代そのものなんです。

最近の犯罪捜査では監視カメラが圧倒的な効果をあげています。

三種の神器と呼ばれるグッズとは何か。

ズバリ「監視カメラ」「スマホの通話記録」「DNA」です。

人間のアリバイを「行動」「言葉」「身体」の基本から割り出そうということなのです。

自分の知らないうちにカメラがあなたを狙っています。

動画が撮られているという現実があります。

行く先々にカメラが据え付けられているのです。

この捜査手法になぜ傾いたのか。

その理由は世間という概念が崩壊したからです。

人間関係が希薄になり、犯罪の動機も見えなくなりました。

聞き込み捜査という手法を実行しても、なかなか有効な手掛かりが得られにくいのです。

今は監視カメラでの捜査が必須だといってもいいでしょう。

テレビのニュースなどでもカメラの映像がよく流れますね。

さらにいえば、道路に設置されたNシステムで車のナンバーを追跡し、犯人を特定することもあります。

最近では家庭用のインターフォンにもカメラ付きのものが普及しています。

宅配便などを装った不審者の侵入などにもかなりの効果があると聞きます。

カメラがあるのを知っていて、インターフォンには近づかないケースもあります。

家の近くで現金を騙し取ろうとするのです。

振り込め詐欺などの受け子と呼ばれる犯人の手口です。

こうなってくると街中のありとあらゆるところに監視カメラを設置する必要性が生まれてくるワケです。

さらに自動車同士の接触事故などにおいてもドライブレコーダーの有効性がかなり知られるようになりました。

事故における責任割合の算定などにも使われています。

民事、刑事のケースのどちらでも利用されているのです。

これらの監視カメラは本当の意味での抑止効果を持っているのでしょうか。

現代の社会はここまでやらないと自分の身を守れない状況になっていると考えることもできます。

パノプティコン

この表現を耳にしたことがありますか。

聞いたことがあるという人もいるでしょう。

監視社会がテーマの時は必ず出てきます。

この機会に頭に入れておいてください。

パノプティコンとは一望監視型の監獄のことです。

中央にひときわ高い監視塔があり、そこから円環状に囚人棟が配置されています。

囚人同士は互いに全くコミュニケーションがとれません。

常に高いところから見張られているのです。

自分だけがいつも監視されているという環境は、結果として囚人が常に不安な精神状態におかれることを意味します。

これと同じことが現代の監視カメラ社会にもいえるのです。

入試ではこのような社会の構造にどんなメリットとデメリットがあるのかを考えようとする問題が出題されています。

あなたならどこを問題視しますか。

それによって小論文の方向が決定するといっていいでしょう。

考えをまとめなさいという時、どこにポイントをおくか。

あらかじめ内容をまとめておくことには大きな意味があります。

1番の基本は監視カメラの有効性です。

わたしたちの生活に十分作用しているかどうかにあります。

防犯、防災、安全に関する意識がカメラを設置することで、逆に薄れてしまうという考え方もあるからです。

台数を増やせば、あとは機械にまかせておけばいいという安易な考えのままになりがちです。

それで大丈夫なのか。

世間の崩壊

もう1つの大きなテーマは他者の存在に対する信頼の問題があります。

日本は古来から農耕型社会でした。

田植えや稲刈り、祭りなどに代表されるムラの行事が人間の強い絆をつくりあげてきました。

当然のことながら、相互の監視システムが自動的にできあがったのです。

一般に「世間」と呼ばれるものです。

形があるようで、実は目にみえません。

しかし厳然としてその存在は意味を持っていました。

世間様に顔向けができない、などという表現が今でも通用しています。

geralt / Pixabay

しかし近年、都市化が進み、隣の住人が何をしているのかさえ、わからなくなりつつあります。

そこで不審者の侵入が不安になれば、監視カメラが導入されます。

有名な警備会社のステッカーが玄関に貼ってあるのを時折見かけますね。

世間に対する信用が全く消えてしまったことを意味しているのです。

子供に対しての注意もその1つです。

知らない大人に声をかけられたら、絶対にこたえてはいけない。

ついて行ってはいけないという学校での教えは現代の縮図そのものです。

そこで登場するのが監視カメラなのです。

ここにカメラが設置されてありますよと強く訴えているのは銀行などの金融機関です。

警察官が巡回していますというステッカーを見たことがあるはずです。

同時に、目立たないように万引きなどの現場を撮影しているスーパーなどもあります。

あまり大袈裟になってしまうと、まずいからです。

客に対する信頼が全くないことを見破られてしまうから、あくまでもわからないように設置してあるのです。

このようなジレンマを抱えながら、それでも配備しなければならないところにこの問題の複雑さがあります。

結論をどこに

最終的に何を結論にすればいいのか。

悩みますね。

監視社会の究極の目標は何であるのか。

これは大変に難しい問題です。

結論をどのように配置するのかということです。

今は個人でも簡単に監視カメラを取り付けられる時代です。

ある神社が毎日のように侵入する賽銭泥棒に悩まされました。

そこで犯人を特定するためにカメラを設置したという報道をテレビで見ました。

問題はその後の方法です。

犯人をすぐ警察に突き出すのか。

あるいは教育的な配慮ですませるのか。

geralt / Pixabay

冤罪になったりすれば、それ自体が問題になることもあります。

法律もまだそこまでのトラブルに追いついていないのが現状です。

取り付けるのは簡単ですが、そこから先が未知数なのです。

あなたなら、どこに結論をもっていきますか。

あらかじめ考えておいてください。

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世間が消滅したことを嘆いてばかりはいられません。

新しい時代には別の考え方も必要なのです。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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