落語・金明竹の言い立てはディスコミュ予備軍の脳トレ訓練にぴったり

落語

最初に覚えた落語

みなさん、こんにちは。

アマチュア落語家、すい喬です。

今回はちょっと色合いをかえて、ぼくが一番最初に覚えた落語の話をさせてもらいます。

今からもう10年以上も前のことです。

市主催の落語教室に参加したのです。

退職間際で、さてこれから何をやろうかと考えていました。

地域に知り合いをつくるということが喫緊の課題でもあったのです。

どうせなら好きなことをやって、人のお役に立ちたいという思惑もありました。

プロの落語家の指導の下、5~6回の稽古の後、みなさんの前で披露をするというのがその時の企画でした。

といってもそれまで実際に落語をやった経験などはありません。

以前、自分勝手に少しだけ稽古をしてはみたものの、さてどういう時に右を向いたり左を見たりするのかさえ、知りませんでした。

とにかく1つの噺を選べということになりました。

なんでもいいですよといわれて、さてどんな噺があるのか。

それさえもよく知りませんでした。

よく聞いていたのは、柳家小三治の「金明竹」です。

難しそうではありましたが、どうせどれだって難しいに違いないと勝手に判断し、手を挙げたのです。

「言い立てがありますけど、大丈夫?」と訊かれました。

言い立てってなんのことか知りませんでした。

みなさん、ご存知ですか。

落語には長い台詞が突然出て来ます。

これをきちんと喋れると、いかにも落語だなという恰好良さもありますが、出来ないとミジメです。

「たらちね」「大工調べ」など、有名な落語には言い立てが出てきます。

ぼくは「やります」と大きな声で返事をしました。

思えば、これが最初の判断ミスだったかな。

プロのすごさ

それからというもの、毎日この言い立てのお稽古です。

あらすじだけでもご紹介しましょうね。

普通は登場人物の名前は与太郎の方が多いようです。

ただし小三治師匠の噺は松公と呼ばれるちょっと足りない男です。

最初は全く同じように松公で覚えました。

最近は与太郎の方がぼくの気分にあっているので、もっぱら与太郎でやっています。

大変な大立て者ですからね。

おじさんの店の手伝いをしているのが今回の主人公与太郎です。

親戚の子供という設定です。

店番をしていると雨が降って来ました。

1人の男が軒先で雨宿りをしています。

与太郎は親切に傘を貸してあげます。

それもおじさんの買ったばかりの蛇の目の傘を貸してしまいます。

おじさんは傘なんてものは借りた時はありがたがるが、すぐに忘れてしまうもんだ。

そういう時は「貸し傘もありましたが、みんなバラバラになって使い物にならないので、焚き付けにしようと思って物置へ放り込んであるといって断るもんだ」と与太郎に言います。

おじさんがまた奥の部屋へ引っ込むと、今度は前の近江屋さんの若い衆が猫を借りにきます。
鼠を追い込んでみんなできゃあきゃあ言っているので、ちょっと猫を貸してくれないかというのです。

そこで与太郎は「貸し猫が何匹かいたけど、使い物にならないので、骨は骨、皮は皮にして焚きつけにしようと思って、奥の物置に放り込んである」と伝えます。

おじさんは店が賑やかなのでやってくると、もう断ったといいます。

どう断ったのかと訊くと、先刻の調子で話すのです。

あきれたおじさんは猫なら「さかりがついてとんと家に帰らなかったが、久しぶりに戻ったと思ったら、海老のしっぽでも食って来たのか腹をくだして粗相をして困るので、またたびを舐めさして寝かしてある」と断るんだと教えます。

そこへ今度は伊勢屋さんの番頭が、おじさんに骨董の目利きにを頼みに来ます。

与太郎は、「家にもだんなが一匹いましたが、さかりがついて家に帰らなかったが、腹をくだして粗相をしていけないのでまたたびをなめさして奥の部屋に寝かしてある」と答えます。

これには番頭さんもびっくり。

店に戻ったおじさんは、この顛末を聞いて、あわてて伊勢屋さんに挨拶に出かけます。

ここまでが前編です。

さていよいよ上方からやってきたものすごいなまりのある男が言い立てを披露します。

ここがこの噺のクライマックスです。

「わて、中橋の加賀屋佐吉方から参じました。先度、仲買の弥市の取次ぎました道具七品のうち、祐乗、宗乗、光乗、三作の三所物、並びに備前長船の則光、横谷宗岷四分一ごしらえ小柄付きの脇差し、この脇差しな、柄前が鉄刀木(たがや)といやはって、埋れ木やそうな、木が違うておりまっさかい、念のため、ちゃっとお断り申します。自在は黄檗山金明竹ずんど(寸胴)の花活けには遠州宋甫の銘がござりま。織部の香合、のんこの茶碗「古池や蛙飛び込む水の音」いいます。あれは風羅坊正筆の掛け物で、沢庵、木庵、隠元禅師はりまぜの小屏風、あの屏風はなあ、わての旦那の檀那寺が、兵庫におまして、兵庫の坊さんえろう好みます屏風によって表具へやって、兵庫の坊主の屏風にしますと、かようお伝言願います」と早口でまくし立てた。

この台詞は有名な古道具のオンパレードです。

一度自分で調べてみてください。

需要文化財級のものばかりがズラリと並んでいるのに驚くことだろうと思います。

与太郎はそんなこととは知らず、ものすごく楽しくなって「銭を3銭やるからもういっぺん言ってみろ」と呟きます。

男は何度か繰り返し、顎がくたびれたと言って帰ろうとします

奥から出てきたおばさんがもう一度だけと言って話をききますが、やっぱり何をいっているのかわかりません。

男は仕方なくもう1度だけ話してから帰ってしまいます。

帰ってきたおじさんに向かって、おばさんが今きた人の話をしますが、これがちんぷんかんぷん。

「仲買の弥市が気が違って、遊女が孝女で、掃除が好きで、終いにずん胴斬りにしちゃったんです。隠元豆に沢庵ばっかり食べて、いくら食べてものんこのしゃあ。それで備前の国に親船で行こうとしたら、兵庫へ着いちゃって、兵庫には寺があってそこに坊さんがいて、後ろに屏風が立っていて、屏風の後ろに坊さんがいて一緒に寝てみたい。これって何でしょ」とおじさんに言います。

「どこか1か所でも、はっきりしたところはないのかい」とおじさん。

「思い出しました、弥市が古池に飛び込みました」

「えっ、古池に飛び込んだ!あいつには道具七品を買う手金が預けてあるんだが、それを買ってかなあ」

おばさんの台詞。

「いいえ、買わず(蛙)」

オチの妙味

最後の買わずと芭蕉の俳句の蛙(かわず)が実にうまく効いていて愉快です。

というわけで、これを覚えることにしました。

前座などの噺では時間が短いので、後半だけをやることが多いようです。

それでけでも十分に楽しめる構成になっています。

一言で言えばこの落語はディスコミュニケーションの噺です。

わかりますか。

コミュニケーションの反対です。

お互いに相手の言っていることが理解できない。

そこから醸し出される間の抜けた楽しさというものがここにはあります。

寄席に行くと、この言い立ての部分をいろいろな地方の方言で噺家が演じてくれます。

ぼくが聞いた中では東北弁と名古屋弁のがありました。

いずれにしても相手が何を言っているのかわからないというの眼目です。

それを無理に理解としようするのですから、完全に相互の会話が不全になるわけです。

その誤解の程度が甚だしければ、それだけ笑いが出ます。

ぼくも何度か高座にかけています。

上方弁で覚えてしまったので、他のやり方はできません。

どうでしょうか。

1度トライしてみてください。

小三治師のは愉快なので、そのまま、音楽のようにして覚えるのがいいと思います。

最後に高座で発表をする前は、相当緊張しました。

毎日、それこそ何度聞いたかわかりません。

その頃はまだスマホがなかったので、iPodに入れて通勤の途中ずっと聞いてました。

あんまり何度も聞いて乗り換える駅を間違え、遅刻しそうになったこともあります。

これは嘘じゃなくて、本当の話です。

逆にいえば、それくらいのめり込まないと、こういう言い立ては覚えられないのです。

しかし1度覚えてしまうと、もう忘れません。

おそらくこれが脳トレなんでしょうね。

どうですか。

これをプログラムの1つにするのは。

寿限無などもよく教科書に載っていますね。

あれは子供達が喜んでやりますが、あれよりもう少し上の世代であるぼくたちには、複雑な方がいいように思います。

ディスコミュ世代

ディスコミュ世代というのはぼくが勝手に作った言葉です。

少しずつ脳の作用が鈍くなりつつある世代のトレーニング材料として、落語は最適だと思います。

短い10分くらいの小咄ぐらいなら、なんとかなるのではありませんか。

そこまではちょっと無理だというのなら、今回の「金明竹」の言い立ては最良の教材だと思います。

是非臆病がらずにやってみてください。

楽しいですよ。

ノートに書くより、ひたすら聞くことをお勧めします。

スピードラーニングです。

音楽と同じです。

英会話と同じです。

落語はある意味で、新しい言語であるのかもしれません。

みなさんのご賛同が得られたらすごく嬉しいですね。

今回も最後までぼくの与太話につきあっていただいて、ありがとうございました。

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