【谷崎潤一郎】名作・細雪は滅びの哀しみを美に昇華した昭和の金字塔

陰翳礼賛

みなさん、こんにちは。

高校国語科教師歴40年のブロガー、すい喬です。

プロフィールを読んでいただければおわかりの通り、教員になる前にはサラリーマンもやっていました。

出版社に勤めていたのです。

毎日、丸の内界隈を取材で飛び回っていました。

懐かしいですね。

大学を出てからいったい何年が経ったのでしょう。

随分と働き続けてきたものだと自分でも感心しています。

今回は耽美派の巨匠、谷崎潤一郎を取り上げます。

若い方の中には、そんな作家の名前を聞いたことがないという人も大勢いるでしょうね。

昭和は遠くなりにけりということです。

教科書にも最近は載っていません。

ぼくも谷崎の作品を何度か扱いました。

小説ではありません。

評論というより随想でしょうか。

とても有名な『陰翳礼讃』(いんえいらいさん)です。

これは日本の文化の成り立ち、性格を著した随筆として、今も高く評価されています。

日本の家屋が持っている陰の美しさを述べたものです。

直接に光をあてず、間接照明で対象物を浮かび上がらせるという効果を論じたものです。

現代のように、なんでも明るく照らせばいいというものではないというのが、谷崎の考えの根本にありました。

つまり隠すことの美です。

陰の持つ美しさの秘密をここまで論じた随想はそれまでにはなかったのです。

建築、照明、紙、食器、化粧、能、歌舞伎の衣装やその色彩に至るまで細かく書かれた内容は特筆に値するものです。

日本の家屋は障子や襖1つをとりあげても極めて特徴的です。

障子の持つ仄明るさは他の国の建築にはありません。

考えてみれば襖を閉めたとしても、隣の部屋の音は聞こえてきます。

それでも日本人は、閉めた時から聞こえないものとして暮らしてきました。

1つの約束事の世界なのです。

そうした生活の隅々にまで目配りをしたこの文章は、世界中の人々に注目され、影響を与えました。

しかし最近は、あまり授業で取り上げた記憶がありません。

全ての部屋を壁で仕切ってしまう現代の住宅事情の中で、随筆として共感が得られにくくなっているのかもしれません。

反道徳的

なぜ教科書であまり取り上げられないのでしょうか。

それには大きな理由があります。

谷崎は反道徳的な作家なのです。

今回取り上げる『細雪』などはごくオーソドックスな内容のものです。

その他の作品のタイトルだけを見ると、それだけでちょっとびっくりします。

『痴人の愛』『刺青』『秘密』『春琴抄』『卍』『鍵』『瘋癲老人日記』

どうですか。

なんとなくアヤシイ匂いがしませんか。

全くその通りです。

ここにあげた作品はほぼ反道徳的な小説ばかりです。

『痴人の愛』などというのは若い女が中心の生活を描いたものです。

ナオミという主人公にいいようにあしらわれることを好む男がもう1人の登場人物です。

『春琴抄』は盲目の春琴を愛するあまり、自分も目をつぶし、その愛に応えるという内容のものです。

谷崎には圧倒的なマゾヒズムの性向がありました。

 

登場人物の女性から手ひどい仕打ちを受ければうけるほど、よろこびが増すという厄介な性癖です。

これではとても教科書に載せるワケにはいきませんよね。

ぼくは『少将滋幹(しげもと)の母』などというとんでもない小説や、『吉野葛』などは大好きです。

古典に取材したという『少将滋幹の母』はさすがに大きな声では語れませんけれどね。

どれも谷崎の傑作です。

けっして侮ってはいけません。

谷崎の横顔

谷崎純一郎のことを少しだけ説明しましょう。

府立第一中学校(現・日比谷高等学校)在籍当時の国語の教員の1人はこれだけ優秀な生徒は過去に見たことがないとある本に書いてます。

本当に成績優秀だった人のようです。

神童と呼ばれました。

1902年(明治35年)9月、16歳の時、その秀才ぶりに感心した校長がいったん退学をし、2年から3年への編入試験を受けるように勧めます。

その試験にも合格し、さらに学年トップの成績をとりました。

卒業後、旧制一高に合格。

1908年(明治41年)、旧制一高英法科卒業後に東京帝国大学文科大学国文科に進みました。

しかし学費未納により中退しています。

その後、小説を次々と発表し、さらに戦争をはさんで大作『細雪』を完成させたのです。

この作品のタイトルがもう多くの人に読めなくなっているということも聞きました。

「ささめゆき」です。

映画にもテレビドラマにも舞台にもなっています。

過去の話ではありません。

現在でもあちこちの舞台で上演されています。

NHKでは2018年1月に「平成細雪」というタイトルで脚色も新たに放送されました。

それだけの魅力がある作品なのです。

1943年(昭和18年)月刊誌『中央公論』1月号と3月号に『細雪』の第1回と第2回が掲載されました。

夫人の松子、義姉、義妹たち4姉妹の生活を題材にした大作です。

しかし軍部から「内容が戦時にそぐわない」として6月号の掲載を止められました。

谷崎はそれでも執筆を続けました。

防空壕に原稿を何度も持ち込んだという話は有名です。

1944年(昭和19年)7月には私家版の上巻を作り、友人知人に配ったりしました。

それも軍により印刷・配布を禁止されたのです。

中巻(544枚)も完成したものの出版はできませんでした。

終戦後は京都に住まいを移し、1948年(昭和23年)ついに作品を完成させました。

執念の小説といってもいいのです。

この小説がなかったら、谷崎潤一郎の名前はここまで残らなかったかもしれません。

これ一作がまさに、彼の全生涯を照らす作品であることは間違いありません

ぼくも何度か読んでいます。

その度に新鮮で、ついのめりこんでしまいます。

どこがいいのかと聞かれると、本当に困ります。

ただ一言で言えるのは、滅んでいくものの中にある美しさということでしょうか。

大袈裟にいえば『平家物語』に通じるものがあるのかもしれません。

また作中に漂う豪華絢爛とした世界は、『源氏物語』にも通じます。

谷崎は源氏の現代語訳にも精力的に取り組みました。

そうしたことの全てが、この作品の中に血や肉となって流れ込んでいるのだと信じます。

読み始めると、やめられません。

とても長いです。

しかしその長さよりも、作品のリアリティに圧倒されるのです。

細雪の世界

細かいことを書く必要はないと思います。

みなさんがご自身で読んでくださればそれで十分です。

基本は昭和11年秋から昭和16年春までの大阪の旧家を舞台に、4姉妹の日常生活を描いたものです。

没落していく蒔岡家の生活文化をそのまま描写しています。

上流の大阪人の生活を描ききっています。

実に絢爛でありながら、戦争による崩壊寸前の滅びの美が活写されます。

ある意味、その滅びに彼らは気づいていないのです。

しかし容赦なく生活は変化していきます。

船場と呼ばれた大阪商人文化の崩壊過程がこれでもかと描かれます。

映画では市川崑監督の東宝版(1983年)が特に有名です。

平安神宮のしだれ桜の下を歩く、蒔岡四姉妹の美しさをこれでもかというくらいみごとにカメラが捉えました。

まさに滅んでいく前の、ほんとのわずかな時の象徴シーンそのものです。

蒔岡鶴子(長女):岸惠子
蒔岡幸子(次女):佐久間良子
蒔岡雪子(三女):吉永小百合
蒔岡妙子(四女):古手川祐子

この四人の着物姿と満開のしだれ桜をよく撮影したというのが、ぼくの感想です。

この作品を見てどうしても平安神宮の桜が見たくて仕方がありませんでした。

なんとか実現したのは、それから数年後です。

蒔岡家は大阪の中流上層階級の家です。

姉妹たちの父親の全盛期は、大阪でも指折りの裕福な家でした。

しかし財産は減ってしまい、船場の店も人手に渡ります。

本家は大阪の代々の家に住み、長女の鶴子、その夫で婿養子となって蒔岡の名を継いだ辰雄、その6人の子供の一家です。

分家は阪神間の閑静な郊外、芦屋にあり、次女の幸子、同じく婿養子となって蒔岡の名を継いだ夫の貞之助、幼い娘の悦子の3人家族です。

鶴子と幸子には雪子と妙子という2人の未婚の妹がいます。

妹たちは本家と分家を行き来しているのです。

これだけで、全く今の世の中とは違う価値観の中を生きている人達の生活だということが理解できるのではないでしょうか。

やがて次々と厄介な事件が起こります。

蒔岡の家名を守るため、幸子の婿、貞之助は四女妙子が起こした事件の尻ぬぐいを続けます。
妊娠騒ぎです。

仕方なく蒔岡家は三女雪子の縁談に活路を求めます。

貞之助は分家の身で本家との間に入り同意を求める手紙を送るのです。

婚礼の日取りと場所が決まりやっと新居も決まります。

しかし雪子は婚礼衣装が届いても少しも楽しげではありません。

一族を救うための道と覚悟は決めたものの、もう既に槙岡家崩壊の予兆は始まっていました。

これ以上いくら書いても、この長編の説明をすることはできそうもありません。

どうぞ一度は読んでください。

それだけの内容を持った、実に豊かな小説です。

このブログが少しでもお役に立てば幸いです。

現在も谷崎潤一郎は特異な地位を占めています。

大谷崎と呼ばれる所以でしょうか。

最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

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