【落語】猿後家は人間の自惚れを持ち上げるコテコテ感満載の心理劇

落語

コテコテ感満載

みなさん、こんにちは。

アマチュア落語家、すい喬です。

今回は大阪の元祖コテコテ落語「猿後家」の話をしましょう。

落語にはたくさんの動物が出てきます。

みなさん、ご存知の通りです。

しかし猿が主人公の噺はありませんね。

数年前、申年の時になにか面白い噺はないかなと探していたら1つだけありました。

もっぱら大阪の落語だと思われていたのを、小三治や志の輔が東京の噺に移してご披露してくれています。

ぼくは古今亭文菊のを何度も聞いて覚えました。

なんともえげつない噺ですけど、やはり面白い。

聞けば聞くほど、なるほど大阪の落語だなと納得させられてしまいます。

それくらい、浪速の魂が満載です。

どうしてこういう噺が出来上がるのだろうと不思議な感じさえします。

実はこの落語を数日後に高座にかけることになりました。

ご要望があったのです。

一時は何度もやりましたが、数年間お蔵に入っておりました。

それを慌てて引っ張り出さなくてはならなくなったというワケなのです。

不思議なもので1度でも高座にかけた噺は忘れません。

ただ記憶の奥の方にしまわれているのです。

かつての録音を聞いたりして、その時の間を思い出します。

文菊の話し方は妙に粘っこいので、この猿後家には向いていると思います。

今日もこれから何度か聞くつもりでいます。

どんな噺なのか。

タイトルからだいたい想像がつくのではありませんか。

あらすじ

かつては未亡人のことを後家と呼んだ時代がありました。

今だったらセクハラですね。

顔が猿そっくりなのです。

あんまり人に言われるので、半ばノイローゼ。

店の奥に閉じこもる毎日です。

そういうわけで、この店の奉公人たちは「サル」という響きを持つ言葉は喋れません。

落語にはこういう噺が結構あります。

一種の遊びです。

代表的な噺に「しの字嫌い」があります。

とにかく猿という言葉はいっさいダメ。

完全なタブーです。

「どうなさる」「こうなさる」すら言えません。

出入りの植木屋がうっかりサルスベリと言ってしまい、出入り禁止を言い渡されました。

逆上した親方は木に登って渋柿でも食ってろと大喧嘩になってしまったくらいです。

番頭が頭を抱えていると、そこへ貸本屋の善さんがやってきます。

この人はヨイショの達人なのです。

早速番頭さんに頼まれ、離れに出向きます。

善さんはおかみさんの顔を見るなり親戚の京美人と間違え、素顔なのに「化粧をしたみたいに綺麗だ」と持ち上げます。

これにはさすがの女将さんも大喜び。

どこへいってたのかと訊かれ、江戸見物に来た親戚一同を案内していたと答えます。

泉岳寺から上野へ、さらに浅草寺を参拝した後、仲見世へ抜けた時のことを話します。

雷門を抜けるとものすごい人だかりで、掻き分けてみるとそこに昔懐かしい猿回しがいたとやってしまったのです。

気づいた瞬間に、もうアウト。

女将さんは怒り出し、善さんは部屋から追い出されてしまいます。

仕事がうまくいっていない善さんにとって死活問題です。

番頭に助けを求めると、貸本屋時代の知識を元に、『古今東西の美人を並べておだてる』という策を授けられます。

喜ぶ善さんに番頭が釘を刺します。

番頭「お前の前にな、仕立屋の太兵衛って奴が出入りをしてたんだよ。コイツがな、調子にのってついうっかり猿と口走りお出入り禁止となったんだ」

太兵衛はこんな言い訳をしたというのです。

「ここをしくじったことが町中に知れ、お客が来なくなって廃業することになりました。これも身から出た錆だと思い、四国巡礼の旅に出ようと思ったのですが、子供がたまたま見つけた錦絵が奥様そっくりだったのでつい訪ねて来てしまいました。ご本尊にしたいのでどうぞ魂を入れてください」

差し出したのはなんと女将さんとは似ても似つかない美人画だったとか。

すっかり機嫌を直した女将さんは太兵衛と子供に新しい着物とお小遣いをたくさんあげたのでした。

この話を聞いて、善さんは再び奥の部屋へ出向きます。

女将さんは怒りますが、善さんはとぼけます。

女将さん「さっき雷門の所で何を見たって言ったの」

善さん「だから皿回しです」

女将さん「いまなんて言ったの?」

善さん「だから皿回しですよ」

女将さん「なんだ、皿回しならいいんだよ」

番頭に教えられた通り、「小野小町か静御前、常盤御前に袈裟御前」と褒めちぎり、何とか許してもらいます。

女将さん「生涯出入りしていいから、その代わり私の気に入らないことは言わないでよ」

善さん「当然ですよ。ここをしくじったら、あたしは木から落ちた猿同然ですから」

これがオチなんです。

強い自惚れ

なんともすごい落語ですね。

何度やっても、ここまで人間の心理に踏み込んだ噺はないなと感心してしまいます。

誰にだって自尊心、あるいは自惚れというのはあるものです。

それを言葉でここまで持ち上げていくという技術の凄さには感心します。

幇間の技術ともまた違う。

本当のヨイショかもしれません。

女将さんも、最初のうちは口がうまいんだからと呆れているものの、だんだんいい気持ちにされて、ついお金まであげてしまう。

相手もそのあたりの感覚をよく心得ているだけに、くすぐり方が実に巧妙です。

ここまで人間はやるものでしょうか。

やはりこれはホンネで生きている大阪人の処世術のような気がします。

もちろん、東京の人間にも似たようなテクニックはあるでしょう。

しかしここまで歯の浮くようなお世辞というのには滅多にお目にかかれません。

この落語はその部分を強く誇張したものだけに、なんともいえない味わいに満ちています。

聞いていても、そこまではないでしょとつい口にしてしまいそうになります。

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柳家小三治の「猿後家」では鰻の蒲焼きを注文してしまうところが出色です。

特に「上よ、上の方」と言いながら、いつもより高い鰻を頼むあたりは人間の心理の襞に食い込んでいくようで、驚かされます。

ヨイショにのって上機嫌になっていくところは、少し遅めにゆっくりと言葉を出した方がより陶然としている感覚にみえます。

言葉を出す間もここは大切なところです。

鋭い心理描写

この噺を聞いていると、人間は弱い生き物だとしみじみ思います。

お金の心配もなく、ただ時間をつぶしている女将さん。

自分の顔のことだけが心配の種です。

これと似たようなことが、人間にはいろいろとあるんでしょうね。

権力者も似たようなものかもしれません。

イエスマンに取り囲まれていれば、何も見えなくなってしまう。

政治家もしかり、経営者もしかり。

人間心理の奥の奥まで読み取ろうとするこの落語のものすごさには敬服してしまいます。

さて今週末の落語会はどんな具合になるでしょうか。

そこまで自分の落語で笑ってもらえる自信はないです。

しかし背景にはここにまとめたような人間の心があることをつねに意識しておかなければなりません。

落語は300年の伝統を持っています。

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1度聞いてみてください。

どの噺家のでもいいと思います。

楽しんで、そして怖れてください。

最後までお読みくださりありがとうございました。

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