はなし塚に廓噺と間男の禁演落語はいくつ封印されたか

落語

はなし塚ってなに

みなさん、こんにちは。

アマチュア落語家、すい喬です。

落語、楽しんでますか。

プロの噺を聞くのもいいけど、一度高座にトライしてみては…。

まさか自分がやるなんてとんでもないよ。

そう思うでしょ。

実はぼくもそうでした。

そりゃ本番の前はメチャクチャ緊張します。

でもやめられない。

なんでかなあ。

これが芸の怖ろしさですかね。

お客様が笑ってくださる瞬間が、なにものにも代え難いのです。

これ実感です。

いつでもみなさんのご一報をお待ちしてますよ。

さて今日は「はなし塚」のこと。

ご存知ですか。

そんなの聞いたことがないという方のために、ちょこっとだけご案内を。

cegoh / Pixabay

場所は浅草。

田原町駅を降りて熊谷稲荷大明神のすぐそばです。

本法寺の境内にあります。

ちなみにぼくは浅草へ行くと必ず浅草寺の本堂で手をあわせてから、階段をおります。

右手に曲がると参道がありますね。

いつもチョコバナナとか、たこ焼きを売る店が並んでいたりします。

その前をどんどん歩くと、やがて境内を出ちゃいます。

出ないでください。

少し戻る。

するとそこにいろんな碑があるのに気づきます。

代表的なのは喜劇人の碑です。

森繁久弥さんの揮毫になる、立派な石碑があります。

しかし今回はこの碑とは関係がありません。

紛らわしいね。ごめんなさい。

はなし塚があるのは田原町ですよ。

間違えちゃいけません。

お寺の境内にひっそりと建ってます。

なんでそんなものがあるのか。

時局柄、ふさわしくない落語があると言われたからです。

昭和16年10月、落語家達が半ばシャレ、半ばは時勢に対する怒りの矛先として廓噺や間男の噺などを中心に53演目を封印したのです。

その記念碑です。

Free-Photos / Pixabay

つまりこの塚の中に53の噺を閉じ込めちゃったのです。

もう寄席ではやらないよということです。

なぜ兵隊さんが祖国のために働いているのに、おまえ達はそんな惰弱な落語をやっているのか。

言わせてもらえば、落語なんていうのは、全部惰弱なもんでしょ。

ダメな人間ばかりが出てきて、これでもかというくらいくだらないことをします。

それを観客が笑うのです。

これだけどうしようもない人間でも、生きていけるんだという勇気をもらって帰るのです。

だから文句をつけても始まらない。

とはいえ、軍部に一度目をつけられたら、そう簡単に解放してはもらえません。

笑いを怖れる

その1つが当時、飛ぶ鳥を落とすといわれるほどの人気落語家、柳家金語楼の話です。

軍部の担当者が金語楼を呼び出しました。

「きみは、落語家の看板をはずして俳優の鑑札にしろ。きみが噺をすると、お客が笑うじゃないか」
「そりゃ笑いますよ、笑わせるのが落語家の商売ですから」
「それがいかん、いまどきなんたることだ。第一それに、芝居なら“ここがいけないからこう直せ”と結果がつけられるのと違って、落語というのはつかみどころがない」
「でもねえ、30年、私は高座を離れたことがなかったんです」
「どうしてもダメだ。噺がやりたけりゃ余暇にやれ。本業はあくまでも俳優の鑑札にしなきゃいかん」

鑑札というのは営業許可証のことです。

これをもっていないと、仕事ができなかったのです

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完全に笑い話のレベルです。

しかしこういう会話が現実に成立したんですね。

落語が提供する「笑い」は怖れられていました。

つまりそこに庶民の本音があったからです。

かつて高度経済成長を遂げた日本で一番人気のあった映画といえば『フーテンの寅さん』です。

たくさんの観客が盆と暮れの興行になだれをうって集まりました。

どうしてか。

そこに庶民の哀しみも笑いもあったからです。

満足に仕事もできない寅さんの中に、日本人の忘れてはいけない原点をみていたからでしょう。

落語もそれとおんなじ。

結局柳家金語楼は落語家を廃業しました。

有名なNHKの看板番組「ジェスチャー」で白組のキャプテンをしたのは、その後のことです。

そこまで言われるんなら、もう高座でやらない落語を決めて、封をしちゃえということになりました。

ここいらに噺家達の骨の太さを感じます。

落語の骨格

落語は人間の業を笑うものだと言ったのは、立川談志です。

こうすりゃいいということはわかってる。

わかっちゃいるけど、どうしてもやめられない。

俗にいう、三道楽煩悩。

飲む、打つ、買うです。

酒、女、博打で失敗しなければ、だいたい人生は安穏に過ごせます。

しかし人は時に失敗する。

それだけの魅力があるということでしょう。

酒飲みの噺、遊郭などでの噺、博打の噺。

どれも軍部が客の前でしてもらっては困るものでした。

戦時は常に民心が強くなければなりません。

本能に負けて、弱いところをみせてはならないのです。

つまり落語とは真反対の構造を持つのです。

「禁演落語」

イヤな言葉です。

堅物の若旦那が遊び人に吉原へ連れられていく珍道中を描いた人気の演目「明鳥」を軍部が喜んだとも思えません。

酒を飲んで、ついに女房と別れてしまう「子別れ」などという噺も嫌われたでしょう。

つまりそうした噺はみな、はなし塚に葬られたというわけです。

落語家たちはその後どうしたか。

当然のように食いっぱぐれそうになりました。

なかには兵隊落語などという国威発揚の噺をつくる人もいました。

戦時中に、日本海海戦や、真珠湾攻撃の絵ばかり描いた画家がいたのと同じです。

心あるものはみな沈黙しました。

しかし落語は無尽蔵にあります。

当時も500以上はありました。

仕方なく無難なものをやったのです。

廓ものの得意だった桂文楽はかなり往生したそうです。

ものすごい歴史ですね。

禁演落語全演目

決めるときにネタの内容から「甲、乙、丙、丁」の四部門に分類しました。

女郎買い、酒飲み、泥棒、間男、美人局、不道徳、残酷な噺などが槍玉に上がったのです。

500もの中からその1割を選ぶのですから、大変なことだったでしょう。

軍はやっと決めたその一覧を受けとっただけ。

それほど落語に詳しい者はいませんでした。

53の中にはどんな噺があるのか。

一覧表にしてみました。

ご存知の噺はどれくらいありますか。

五人回し 品川心中 三枚起請 突き落とし ひねりや 辰巳の辻占 子別れ 居残り佐平次 木乃伊取り 磯の鮑 文違い 茶汲み よかちょろ 廓大学 明烏 搗屋無間 坊主の遊び 白銅 あわもち 二階ぞめき 紺屋高尾 錦の袈裟 お見立て 付き馬 山崎屋 三人片輪 とんちき 三助の遊び 万歳の遊び 六尺棒 首ったけ 目ぐすり 親子茶屋 宮戸川 悋気の独楽 権助提灯 一つ穴 星野屋 三人息子 紙入れ つづら間男 庖丁 不動坊 つるつる 引越しの夢 にせ金 氏子中 白木屋 疝気の虫 蛙茶番 駒長 おはらい 後生鰻

今となってはもうあまり高座にかからない噺もあります。

ちなみにぼくがやるのは、「子別れ」「錦の袈裟」「宮戸川」「紙入れ」「不動坊」「引越しの夢」「疝気の虫」「蛙茶番」くらいでしょうか。

「紺屋高尾」と同工異曲の噺「幾代餅」もやります。

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ちなみにこれらの落語は戦後の昭和21年9月「禁演落語復活祭」によって解除されました。

5年間の封印期間でした。

その後、GHQによって禁止されたものもあると聞いています。

敵討ちなんていうタイトルがついてるだけで、「宿屋の仇討ち」がダメになったなどと聞くと、こ

の噺を好きなぼくとしては誠にやるせないのです。

建立60年目の2001年には落語芸術協会による法要が行われ、2002年からははなし塚まつりも毎年開催されています。

また、毎年8月下席の浅草演芸ホール夜の部では「禁演落語の会」と銘打ち、落語芸術協会が禁演

落語を口演しています。

こういうところもシャレがあって、ぼくは好きですね。

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いずれにしても誰にも噺を禁じられることのない世の中が、ずっと続いてほしいと願うのは、みんなに共通した気持ちではないでしょうか。

平和はありがたいです。

どんなことがあっても、口封じはイヤですね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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