【衝撃】令和の与太郎はAI革命の荒波に勝つことができるのか?

落語

与太郎登場

みなさん、こんにちは。

アマチュア落語家、すい喬です。

いつもぱかばかして話で恐縮です。

今日はいつもと趣向をかえまして、AI革命と与太郎の関係について書きます。

なんのことかって?

つまりこの全く理解に苦しむタイトルそのままなのです。

勝つとか負けるとか、ちょっと物騒ですね。

とにかくしばらくの間、おつきあいください。

どっちが主役なのか。

それはもちろん、与太郎です。

なんといっても大立者ですからね。

この人がいなかったら、落語は成立しません。

与太郎の活躍する噺は実に多いのです。

みなさんがご存知なのはなんですか。

からぬけ、牛ほめ、子ほめ、道具屋、金明竹、錦の袈裟…。

ぼくはとにかくアホらしいのが好きですね。

1つだけ、ごく短いのをご紹介しましょう。

覚えておいて損はないですよ。

「親子三人の馬鹿」

ある所に親子三人の馬鹿がおりまして、ある夜弟の馬鹿が竹竿を持ち出して空を一生懸命突っついていますと、兄貴の馬鹿が出てまいリまして…。

「おい、お前そんな所で何やっているんだ?」

「あ、あんちゃんか。あたいね、今お空のお星さま取ってるの」

「馬鹿だなぁ、そんな所じゃ取れやしないよ。屋根へ上がれ屋根へ」

…てんで二人で屋根へ上がりまして一生懸命空を突っついておりますと、今度は親父の馬鹿が。
「おい、お前たちそんな所でなにやってるんだ?」

「あ、お父っつぁんか。あたいね、今あんちゃんと一緒にお空のお星さまとってるの。」

「そんなことしたって、取れやしないよ!」

「え、取れないの? じゃ、あれは一体何なんだ?」

「あれか、あれは雨の降る穴だ!」

という誠にお粗末な小咄です。

ついでに気分がいいので、もう一つ。

これも有名な小咄です。

タイトルは「酒の粕」

熊五郎「おい、与太郎、何赤い顔して、ふらふら歩いてやんでぇ。」

与太郎「ああ、あにぃかい、あたいね、今、大家さんとこの大掃除手伝ったら、こんなに大きな酒の粕、2つももらって、それ、焼いて食べたら、すっかりいい心持ちになっちゃって。」

熊五郎「おい、よせやい、いい若いもんが、酒の粕食らったなんて、みっともねぇや、そう言う時はな、うそでもいいから、酒飲んだって言った方が、威勢がいいじゃあねぇか。」

与太郎「ああ、そうか、じゃ、今度からそう言うよ、あ、向こうから、八あにぃが来たよ、八あにぃ。」

八五郎「なんでぇ。」

与太郎「あのさ、あたいの顔、おかしいでしょ。」

八五郎「そうだな、この町内で、おめぇくらい、おかしな顔したやつはいねえ。」

与太郎「そうじゃあないよ、あのさ、あたいの顔、赤いでしょ。」

八五郎「そう言えば赤いな。エビのしっぽでも食って腹でも下したか。」

与太郎「そうじゃあないよ、あたいね、お酒飲んじゃったの。」

八五郎「なんだって、昼間っから豪勢な野郎だな、どのくらい飲んだんだ。」

与太郎「あのね、このくらいの塊、2つ。」

八五郎「この野郎、酒の粕、食らったな。」

与太郎「あれぇ、見てた。」

八五郎「見てたじゃねぇや、どのくらい酒のんだって聞かれて、このくらいの塊2つってぇば、酒の粕食らったってのが、すぐわかっちまうじゃねぇか、そう言う時はな、うそでもいいから、このくらいの猪口でも茶碗でもいいや、2杯きゅっと飲んだって言ってみろ、その方が、威勢がいいじゃねぇか。」

与太郎「ああ、そうか、じゃ、今度からそう言うよ、じゃ今度誰のところへ行こうかな、そうだ、おばさんのところへ行ってみよう、おばさーん。」

おばさん「あら、与太さん、どうかしたのかい。」

与太郎「あたいね、お酒飲んじゃったの。」

おばさん「まぁ、ついこの間まで、子供だ子供だと思っていたら、お酒なんか飲むようになったんだねぇ、どのくらい飲んだんだい。」

与太郎「このくらいの茶碗で、2杯きゅっと。」

おばさん「まあ、ずいぶん飲むんだねぇ、だけど与太さん、飲むなじゃないけど、冷やは毒だよ。」

与太郎「ううん、焼いて食った。」

どうですか。

実に愛らしいじゃありませんか。

これが与太郎なんですよ。

こういう人間がいなくなったら、今の世の中、ちっとも面白くありません。

AI革命

話はガラリと変わりまして、今の世の中で最先端のものは何でしょうか。

大部分の人はこう答えます。

それはAIだと。

今や家電にも車にもなにからなにまでAIの時代です。

我が物顔で歩いてます。

なんの略が知ってますか。

人工知能(artificial intelligence)の略です。

つまりありとあらゆる知的な行動を、人間に代わってコンピュータがやっちゃうという技術です。

今の世の中の最先端だと言われると、やっぱりなと思いますよね。

かつてキューブリックが映画「2001年宇宙の旅」に描いた頃のロボットなんて、今じゃ漫画みたいなもんです。

夢のファンタジーというところかな。

ありとあらゆるプログラムを自動生成していくというのがAIなのです。

つまり自分で自分をどんどん作り替えていく。

勝手に勉強をしちゃうのです。

ものすごい能力を持ってます。

疲れるということを知らないのです。

どんどん勉強して、どんどん賢くなっていくのです。

判断すべき条件とデータを増やしていけば、専門家の判断を超えた正しい判断を行う可能性があります。

大きな問題

医療分野の戦略などにおいても、限定された狭い場面に限って言えば、条件の組み合わせを含めてAIの方がすぐれています。

将棋や碁だけではもうないのです。

何年も修練を積んだ人間でさえ、AIにはかないません。

しかしここに大きな問題があります。

先見の明がある人達はAIが作りだす管理社会を怖れています。

個人のプライバシーが奪われ、人間が機械に使われてしまうのではないかと心配しているのです。

さらにいえば、もっと怖いのは人々の考える不安をAIが真剣に考えてくれるところまでいくのではないかということです。

つまり人間のあらゆる思考をAIがさらに高いところから見下ろすということです。

どうですか。

こんなことが現実になると思いますか。

この職業がなくなるといって騒いでいるうちはまだいいのです。

もっともっと先までいけば、人間の存在を否定してしまうところまでも進みかねません。

考えただけで怖ろしいことです。

みんな真面目に将来のことを考え、なんとか合理的な判断を下そう…。

適切な手段を探そうとしている時に、与太郎はさてどうなるんでしょう。

この人の1番の眼目は「その日暮らし」「成り行きまかせ」ということです。

つまり先のことなんか知らないよというスタンスです。

AIは与太郎に適切なアドバイスを与えることができるのでしょうか。

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他人の判断なんか、何にも関係がないというのが彼のキャラクターです。

何を言われても空が青くて、お日様が出ていればそれでいいといレベルなのです。

できたらその日のおまんまくらいは食べたいでしょうけどね。

AIは人が正しいと思う判断をさらにデータ化してインプットし、計算して判断の確率を上げることはできます。

しかしその日暮らしの与太郎は、統計的な存在にはなり得ません。

おそらくなんらかの判断はなされるでしょう。

しかしそれは与太郎にとって全く無意味な言葉の羅列になるものと思われます。

人間性の変化

数十年後には新しい環境の中で、人々の人間性も変わると思います。

効率重視を前面に押し出し過ぎたことを反省しようとする人もいなくなってしまうかもしれません。

そのことを嘆く人もいなくなるでしょう。

そういう世界の中で、与太郎だけが大手を振って生きていけるのかもしれません。

今のぼくにとって与太郎だけが最後の砦になりつつあるのです。

これって幸せなんでしょうかね。

それとも不幸せなのかな。

全くわかりません。

とか言いながら、今日もAIを背中に背負って歩いているのです。

最後までぼくの与太話におつきあいいただきありがとうございました。

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