夢物語
みなさん、こんにちは。
アマチュア落語家、すい喬です。
今回は男なら誰でも一度は夢をみる吉原の花魁の話です。
花魁という言葉を知っていますか。
「おいらん」と読みます。
男性に春を売る人類誕生史上、永遠の職業かもしれません。
といってもこれは大名の遊び道具と言われた松の位の最上級に属する太夫職の女性の話です。
彼らは歌舞音曲、古典にも通じていました。
並外れた教養人でもあったのです。
そういう意味からいえば、これは完全な夢物語といってもいいでしょう。
こんなことが現実にあるわけがありません。
しかしそこは落語。
きっと江戸っ子はこんなこともあったらいいなあ、と思っていたことを噺家が1つのラブストーリーにまとめあげたんでしょうね。
いかにもそんなことがありそうな脚色になっていますので、つい噺の中にふらふらと迷いこんでしまうのです。
ぼくも何度か高座でかけています。
みなさん、うっとりと聞いてくださいます。
人情噺の要素も、滑稽噺の要素もどちらも含んでいます。
だから飽きずに聞いていられるんでしょうね。
幾代餅と紺屋高尾はどちらも似た噺です。
途中までほとんど違いはありません。
もちろん、細かいところに幾つかの差はあるものの、内容はほぼ同じです。
現在ではどちらが多く高座にかけられているかといえば、幾代餅でしょうね。
ぼくも幾代餅をやります。
約30分はかかります。
幾代餅は古今亭のお家芸です。
一時は、志ん生だけしかやりませんでした。
他の噺家は畏れ多くてできなかったのです。
その後、息子の金原亭馬生がやりました。
現在では多くの落語家が高座にかけています。
なかでも古今亭の継承者、五街道雲助、古今亭菊之丞などは好んでこの噺をやります。
どこがいいのか。
それは男のせつないまでの夢が最後にかなうからでしょう。
傾城とは花魁のことです。
「けいせい」と読みます。
城を傾けるほど、お金をつぎこまなければ、身をまかせることのない最上級職の花魁のことです。
彼らにもやはり人間の真心があるのです。
誰がそんなことを言ったのという気持ちがここにはあふれています。
あらすじ
主人公は日本橋馬喰町一丁目、搗き米屋六右衛門の奉公人の清蔵。
おかみさんの用事ででかけた折、人形町絵草紙屋で見た、吉原の姿海老屋の幾代太夫の錦絵に一目ぼれしてしまいます。
なんの仕事も手につかず、食事ものどを通りません。
心配したおかみさんが聞くと、恋わずらい。
相手はとんでもない位の幾代太夫です。
仕方なく、親方は一年間みっちりと働いて金を貯めたら幾代太夫に会わせてやると約束します。
清蔵は生まれ変わったように働き始めました。
一年後、清蔵は親方に訊ねます。
いくら貯まったか聞くと十三両と二分。
そのお金で花魁を買いたいと言うと、親方も呆れて声がでません。
あれは嘘だという親方の返事に再び元気を失う清蔵。
これは大変とばかり、少し足して十五両にして遊び上手の医者、藪井竹庵に委細を頼みます。
15両とは今のいくらぐらいでしょうか。
1両が6~8万円というのが米の値段から換算した相場です。
約100万円というところでしょうか。
清蔵は親方に借りた着物に着替え、吉原へと向かいます。
しかし途中で藪井竹庵はこんなことをいいます。
搗き米屋の奉公人ではさすがに会ってくれないから、清蔵を野田の醤油問屋の若旦那ということにするからな。
竹庵がなじみのお茶屋の女将に幾代太夫に会いたいと頼むと、幸いにも幾代は空いていました。
清蔵は晴れて幾代との対面がかないます。
初会とは思えないもてなしぶりで、清蔵はもう思い残すことはありません。
翌朝、今度主(ぬし)は何時来てくんなます」と幾代は清蔵に聞きます。
ここで自分の立場を正直に搗き米屋の奉公人だと清蔵は明かします。
1年間、働かなければまた来られないと正直に打ち明けるのです。
清蔵の真に惚れた幾代は来年3月に年季が明けたら、女房にして欲しいと、支度金の50両を預けます。
奉公先へ舞い戻った清蔵は、皆にその話をしますが誰も信ずる者などいません。
しかし50両という金子を見せるとみな本当だと驚くのです。
清蔵は「3月、3月」と言い続けてその日を待ちます。
やがて年も改まり、3月15日搗き米屋の前に駕籠がとまり、中からは幾代が現れます。
搗き米屋の親方は清蔵を独立させ、両国広小路に店を持たせます。
そこで売り出した「幾代餅」が大評判で名物となり、2人は末永く幸せに暮らしました。
紺屋高尾とは同工異曲
どうでしょう。
そんな噺があるワケはないと言ってしまえば、それだけのことです。
どこまでいっても夢物語でしかありません。
しかしそこに真実の愛情を感じとりたかったのでしょう。
嘘と虚飾の混じり合った里にも、やはり人間の心に触れる真実があったということを信じたかったとしか思えません。
ここがこの噺の一番大切なところです。
50両の支度金を渡しながら、2度とこの里に出入りしてはいけませんと清蔵をたしなめる幾代の姿には誠実さがあふれています。
清蔵が自分の身の上を正直に打ち明ける場面は、この噺の中で一番大切なところです。
人間が真心をつくせば、必ず相手に通じないことはないのだという信仰のようなものを感じます。
ここは人情噺にも通じる実に大事なシーンです。
この場面をどのくらいきちんとやれるかで、噺の成否が決まります。
ある程度人生の年輪を重ねて来ないと、リアリティがでません。
こういうところが一番の落語の難しさです。
噺のストーリーくらい誰でも覚えられます。
しかしそこに人間の真実を重ねるということが、一番難しいのです。
志ん生だけがやっていたという頃、彼を誰も越えられないと思ったのでしょう。
夫婦の苦労や、数多くの経験に裏打ちされないと、芸は真実味を帯びません。
さて紺屋高尾との違いはどこにあるのでしょうか。
台詞回しや設定に少しの違いはあるものの、大団円に向かうあたりは同じです。
一方は搗米屋の職人清蔵、もう一方は紺屋の職人久蔵。
紺屋とかいて「こうや」と読みます。
昔は紺に染める染め物屋があったのです。
紺は一番汚れが目立たず、それでいてみごとに染まります。
誰もが一番よく身につけた色だといっていいでしょう。
今でいうところの作業着は全て紺でした。
嘘も方便
どうしても会いたい一心の二人ですが、清蔵は1年の間稼いだ金を持って吉原へ。
久蔵は3年働いてやっと会えます。
会いたい相手は姿海老屋の幾代太夫と三浦屋の高尾太夫。
職人では格が不足ですので、一方は野田の醤油問屋の若旦那、もう一方は流山のお大尽ということになります。
このあたりも落語ですからかなり曖昧になってはいますが、初回で松の位の太夫が客と枕をかわすなどということはありません。
どんなことがあっても馴染み(3回目)になるまでは、ありえない話です。
しかしそこが廓ばなしの粋なところ。
嘘も愛嬌のうちというやつです。
年季があけるのはなぜか翌年の3月と2月で、ここも微妙に違います。
ちなみに吉原の茶屋に顔のきく医者はかたや藪井竹庵、もう一方は武内蘭石。
このような通人がいなければ、とても会うことなどは無理でした。
持って行く金額も15両に10両、噺家によっては20両だったりもします。
こういう細部もきちんとみておくと、後で楽しみが増すというものです。
「今度いつ来てくんなます」という花魁の言葉遣いも「まほう言葉」「廓(さと)ことば」というのだとか。
全国から集まっていただけに、地域性を感じさせないための方便だったのでしょう。
「ああしまほう、こうしまほう」と使います。
京都の舞妓が使うあの独特の言い回しと同じ性格のものと思われます。
実はここからの噺の聞かせどころも共通です。
自分は実はしがない奉公人だと告白するところも同じです。
その真情に打たれた幾代と高尾は、年季が開けたら女房にしてくれと言うのです。
さて、その3月になり、幾代が約束通り清蔵を訪ねてやって来ます。
ここは高尾の方が1月早い。
夫婦となって一方は幾代餅という餅屋を始め、大変に繁盛いたします。
高尾の方はここで甕のぞきというちょっとした場面が加わり、賑やかになります。
傾城に誠なしとは誰が言うた、という噺家の一言が最後の合図です。
おなじみ両国名物「幾代餅」の一席でございますとなるか。
「紺屋高尾」でございますとなるか。
あえていえばその違いは、かたや幾代餅が商売をかえて餅屋になり、紺屋高尾はそのまま染め物屋を続けるというところでしょうか。
いずれにしてもそれほどの差はありません。
廓噺の名作であることにかわりはありません。
最後までお読みいただきありがとうございました。