【化粧とは何か】ナチュラルメークの女性たちが目立つ現代【変身願望】

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化粧の本質

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

人間というのは不思議な生き物ですね。

つい先日も旅行に出かけ、しみじみと若い女性たちの顔を眺めてしまいました。

街中を歩いていても、同じように感じます。

みなさん、それぞれ自分にあった服装を身につけていますね。

髪型も同様です。

さらにいえば、お化粧の仕方も似ているように感じました。

あまり濃いメークというのははやっていないんでしょうか。

ごくさりげない印象の人が多いのです。

本当にさらりとしています。

よほど、雑誌やネットなどを参考にしているのかもしれません。

以前より、着ているものもゴチャゴチャしていません。

なんとなく自然な印象を与える服が多いのです。

使っている素材も木綿や麻のようなナチュラルなものが多いような気がします。

SDGsの時代なのでしょうか。

かつてなら、寒くなると毛皮などの材質もよく使われました。

最近はほとんどみかけません。

空調がそれだけ行き届いているということもあります。

今は冬も薄着ですね。

全てが自然であれと呟いているような気さえします。

過剰な色もありません。

生成りを中心に、春になってパステルカラーぐらいが限度でしょうか。

リンボウ先生

林望という作家をご存知ですか。

書誌学者です。

この人の書くものが好きで、結構昔から読んでいます。

恋せよ、妻たち』を読んだのは随分前のことです。

最初何気なく読み始めましたが、案外おもしろく進みました。

というよりリンボウ先生の語り口につられて、つい時間を忘れてしまったのです。

タイトルをみてわかるとおり、ごく気楽な本です。

しかし本音がかなり出ていて、そこに少なからず快哉を叫ぶぼく自身もいたというわけです。

実はこの本を読むかなり以前に、遙洋子の『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』という物騒なタイトルの本を読んだことがありました。

ジェンダー論の奥座敷はかなりにぎやかだなという感想を持っています。

花嫁姿のばかばかしさについて言及したリンボウ先生のくだりは実に爽快でした。

世の中が随分変化したとはいえ、結婚、女の幸せ、美しい花嫁という三点セットの刷り込みはそう簡単に崩れるものではなさそうです。

女性に生まれたなら一度はあのウェディングドレスを着てみたいものなのでしょう。

男にはなかなか理解できません。

それにあの白無垢の花嫁衣装もです。

ちなみにトルストイはこんなことを言っています。

「幸福な夫婦はただ一様に幸福だが、不幸な夫婦はみなとりどりに不幸なのだ」と。

ぼくも今までかなりの結婚式に参列させてもらいました。

花嫁の白塗りには、やはりうんざりしたものです。

この特殊な化粧法は今も昔も変わっていません。

司会者の紹介と同時に登場する花嫁に多くの友人たちがきれいといって褒めそやすのも、ごく日常の風景です。

これはいったいどういう心理状態から発せられる言葉なのでしょうか。

きっとお化粧の限界としてはこの時あたりが極北かもしれませんね。

最近では京都の祇園あたりで見る真っ白な舞妓さんの顔の方がもっとすごいですけど。

防護壁と色気

化粧は色気と隣り合わせにあります。

なぜあれほどに女性は化粧をしたがるのかというのは、男にとって永遠の謎です。

自然でいることがなぜできないのかというのもまたごく男性にとって共通の問いです。

ここに男女差別の温床があるとリンボウ先生は憤ります。

上品な薄化粧ならいいではないかという思想にも彼は疑問を呈しています。

どこからが薄化粧なのかという疑問も当然あるでしょう。

本人の考え方によって全く程度が違ってくるものだからです。

やはり内面を直視し、受容し、真剣に等身大の自己を生きる潔さの中にこそ、本当の美があるのではないでしょうか。

高校生と長くつきあった経験をふと思い出しました。

まったく化粧っ気のない生徒もいれば、つけまつげにファンデーションべったりというのもいました。

禁止している学校もあれば、放任のところもありました。

かなり以前にはやたらと黒い顔の生徒もいましたね。

ガングロなどと呼んでいた懐かしい時代です。

どちらがより女性として魅力的かといえば、それは誰の目にも明らかでしょう。

何も塗らなくても時分の花というものが、そこにはたっぷりとあります。

笑顔で友達と楽しそうに話している様子に、ある種の感慨を持ったりもしました。

箸が落ちても楽しいという時代を彼らは今まさに生きています。

と同時にそうした彼らと共にいられるというぼく自身の幸せが交錯したワケです。

けっしてべた塗りの顔や、金髪が見たいワケではありません。

オーデコロンの香りもしかりです。

この世から妙な匂いが消えてなくなれば、随分と食事の場も楽しくなることでしょう。

化粧の本質とは何でしょうか

それはある種の防護壁を築かなければ、世間に向けて立ち尽くすことのできない人々の悲しい性の証なのかもしれません。

ボディペイント

アフリカの原住民は今でも身体に色を塗る種族があります。

それぞれがなんとも複雑な模様です。

確かに写真などをみると、恰好がいいです。

顔のペイントなども特殊な味わいに満ちています。

難しくいえば、アイデンティティの証明なのでしょう。

古代エジプトでは紀元前1万年から赤、黄、黒などのボディーペイントが作られていたそうです。

紀元前4000年の壁画にはコールと呼ばれる漆黒のアイライナーが確認されています。

つまり、人間はその頃から化粧をしていたということです。

抗菌作用のあるアイラインは目の病気を避けるためにも役にたったとか。

当然、貧富の差によって、お化粧の内容も違ったのです。

社会的地位の印でもあったのですね。

それが古代ローマ時代にはいると、ファンデーション、口紅、脱毛クリームなどが主に使われていたそうです。

ただし原料にはかなり有毒物質が使われ、鉛、水銀、ヒ素の中毒患者も出たとか。

それでも女性たちはこぞって「美白」に憧れたのです。

「白」は純粋で「労働」の対極にあります。

潜在意識を探っていくと、結局は有閑であることの象徴でもあったのでしょう。

ボーヴォワールは言いました。

人は女に生まれるのではない、女になるのだ、と。

理想の姿を得ようと、世界中の女たちは争って化粧をしました。

ジェンダーの奥座敷は広くて深いのです。

江戸時代の花魁たちはどうだったか、ちょっと想像してください。

今では歌舞伎役者をみればわかるように、男たちも芸のために美白になります。

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化粧の持つ意味は、想像以上に厄介で複雑なものだということが、よくわかるのではないでしょうか。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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