【浅草は江戸の風景】町人たちの町は変貌を遂げても人情は変わらず

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江戸の風景

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今年のお正月、どうしても訪ねたくて浅草に行ってきました。

士農工商と言われた江戸時代、一番心豊かに生きていたのは工商と呼ばれた町人たちだったのです。

その殆どの人が、大川(隅田川)を中心とする浅草近辺に住んでいました。

いわゆる下町と呼ばれるところです。

最近は池波正太郎の本ばかり読んでいます。

あまりにも現実にコミットしすぎた作品はつらく、それでいて、まったく浮世離れした小説も読みたくありません。

そうした気分に一番しっくりくるのが彼の作品なのです。

池波正太郎はもう随分と前に亡くなってしまいました。

浅草で生まれ、ずっとこの土地で暮らした作家です。

彼の作品世界は、浅草界隈を離れては成立しません。

それだけに生まれ育った土地勘のようなものが、縦横に生きています。

土地の名前だけでなく、そこにある風景が本当に目の前に蘇ってくるのです。

一言でいえばいい時代の懐かしさということでしょうか。

『剣客商売』も『鬼平犯科帳』もそうした土地の匂いに支えられて成功したシリーズだと言えます。

彼の生まれた待乳山聖天(まっちやましょうてん)を訪れたことがありますか。

1度はぜひ、行ってみて下さい。

ここの風物はだいこんです。

お供えものなんですね。

その風景はちょっと別格です。

昔から深く信仰されてきました。

1日過ぎたお供えのだいこんで煮物をつくると、大変なご利益があると信じられています。

観音裏

観音様の裏手を歩いていると、いろいろな風景に出会えます。

芸者衆を取り仕切る見番(けんばん)もあります。

ここで全ての仕事の差配をしているのです。

現代風にいえば、マネージメント事務所とでも呼べばいいのでしょうか。

幇間(ほうかん)などという言葉を聞いたことがありますか。

たいこもちと呼ばれる男芸者です。

『幇間腹』(たいこばら)という噺にはここの見番が出てきます。

そこを少し歩いたところに待乳山聖天があるのです。

池波正太郎はここの門前で生まれました。

彼の血の中に江戸が潜んでい理由がわかるのではないでしょうか。

土地の匂いは、住んだ人にしかわかりません。

噺家などが好んで、浅草に住むのも理由がないワケではないのです。

いくつか落語をきいてみてください。

吾妻橋のたもとで次々と事件が起こります。

身投げもあります。

そうしたことが落語になっていきました。

その風が身体にしみこんで、噺家の財産になるのです。

柳家小燕枝師匠は吉原住まいが長いと聞きました。

浅草は落語の舞台なのです。

吾妻橋の上から身を投げようとした男を助けるという『文七元結』という噺。

ちょっと離れた根岸の里が出てくる『茶の湯』。

遊女三千人御免の場所といわれた吉原遊郭が舞台の落語。

この地域がなかったら、今の落語は存在しません。

谷中、上野あたりまでをずっとカバーした噺も多いですね。

怪談噺などは、谷中の全生庵に眠っている三遊亭圓朝の創作したものが多いのです。

根津などの地名もよく出てきます。

どれもが本当に豊かな素材に満ちた場所なのです。

吉原

今はなんの面影もない吉原の地を歩きながら、ぼくの古くからの友人の家の辺りを歩きました。

その友の母上は実に気っ風のいい下町の人でした。

ぼくに本当によくしてくれたのです。

ああいう気持ちのいいお母さんを生んだ土地というだけで、ぼくには浅草という場所が貴重なのです。

息子の友達だというだけで、本当にあったかかった。

もう亡くなりましたが、今でも大変お世話になった思い出がたくさんあります。

堤にあがって、隅田川を眺めていると、いい気持ちですね。

川の向こうに、いつの間にかスカイツリーができました。

今では名所になっています。

また川を渡った東側の土地は、永井荷風の作品に出てくる有名な場所です。

彼の日記『断腸亭日乗』には玉の井遊郭の様子が実に的確に描写されています。

小説『濹東綺譚』はこの土地に住む女性たちを描いた作品です。

どうして荷風はここに通ったのか。

それを知りたくて、歩き回ったことがあります。

この小説にでてくる女性は魅力的ですね。

少しも自分を飾ろうとしないのです。

虚飾の町でありながら、全くその影がない。

そこに彼は惹かれたのではないでしょうか。

実に不思議な場所です。

細い道が入り組んでいて、いかにもそれらしい風情が残っています。

いずれなくなってしまうかもしれません。

一時は1000人以上の女性がいたという話もあります。

道を訊ねたら、「ここをまっつぐ行きなさい」と教えられました。

ああ、江戸が残っていると感じました。

嬉しかったですね。

向島界隈

向島まで足を伸ばしたら、百花園も訪ねてください。

一見の価値があります。

駅まで戻って、スカイツリーへ行くのもいいですね。

ツリーの近くに『中村仲蔵』という江戸時代の歌舞伎役者の噺にちなんだ神社があります。

柳島の妙見さまがそれです。

ここを是非訪ねてください。

昔は隋分大きなお寺だったみたいです。

それが今はなんと、マンションの1階に入っています。

仲蔵はなんとか自分の役がお客様に気にいってもらえるようにと、ここに7日間通うのです。

十間川の土手は『怪談乳房榎』の舞台です。

さらにそこから亀戸天神まで足を伸ばせば、楽しい『初天神』の背景なのです。

このように浅草は観音様だけで生き残っているワケではありません。

浅草演芸ホールの前に佇んでいると、次々と噺家さんが楽屋に入っていくところに出会えます。

生活の中に演芸があるといったらいいのでしょうか。

男物の着物屋さんも何軒かあります。

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大きなビルができて、かなり風景がかわりました。

それでも浅草にはここだけにしかない、独特の味わいがあるのです。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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