【国語力低迷の危機】読書はタイパが悪すぎる「本なんか読まなくたって」

月に1冊も読書しない

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は読書の話です。

文化庁国語世論調査の結果がつい先日公表されました。

驚きましたね。

月に1冊も本を読まない人の割合が6割超に上っていたのです。

2023年度の「国語に関する世論調査」がそれです。

08年度以降では最も多く、初めて5割を超えたというのです。

ちなみに2018年の数字は47.3%でした。

それが2023年は62.6%に達したのです。

この調査は24年3月、全国の16歳以上の個人6000人を抽出して郵送で実施したものです。

59・3%にあたる3500人から有効回答を得たそうです。

5年毎に実施している結果がまさにこの数字だったのです。

それにしても、60%以上の人が月に1冊も本を読まないというのは、衝撃的ですね。

内容をもっと細かくみていきましょう。

それでは本当にその人たちが全く活字を読んでいないのかといえば、そんなに話は単純ではありません。

本を読まないと回答した人も、インターネットで記事などを読んでいるという人は多いのです。

スマホからの情報が大半だと考えられます。

「ほぼ毎日」活字媒体から情報を得ているいるとの回答が75・3%と最多でした。

印刷物からではありません。

もっぱらネット経由なのです。

そういう観点からみれば、活字離れとは言い切れませんね。

ところが、ネットからの情報には活字以外の要素も多く含まれています。

スマホやタブレットは強力な動画を多数孕んでいます。

ゲームをしたり、コミックを見るデバイスでもあるのです。

疲れていても、ついスマホを

思い当たる原因はいくつもあります。

最大の要因はネットそのもののパワーです。

この5年間でここまで読書習慣が減った理由は、明らかにネットの普及にあると考えられます

今は活字を読む手段が本だけではなくなっているのです。

ネット経由で読めるものは本や新聞、雑誌だけではありません。

スマホやタブレットの普及は5年前にもかなり進んでいました。

しかしその頃はまだ、アプリやソフトが十分に追いついていませんでした。

それが近年、急速に便利で使えるものになったのです。

事実、アマゾンなどの本も電子書籍で買って読んでいる人が、増えているのは事実です。

三宅香帆著『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』というベストセラーをご存知ですか。

評判になっていますね。

多くの人はKindle版でも読んでいるのです。

読書離れと簡単に呼んでしまうのには、やはり抵抗があります。

この本のポイントは大人になってから、読書を楽しめなくなったのはなぜかという点にあります。

日本の労働の問題点が何かというので、単純な本離れとは少し違った観点から書かれています。

疲れていても、ついスマホを見てしまう。

voltamax / Pixabay

本は読まないのにも関わらずです。

確かに現代人は忙しい。

これは誰でも知っています。

もちろん、本を「読む」ことがどれほど大切かということは、よく知っているはずです。

読書は知識を広げ、人生を豊かにするものです。

とはいえ、それを後回しにしてしまいがちになるのが悲しい現実です。

ゲームに使う時間も増えました。

読書をはばんでいるもの

さらに大きな原因は何なのか。

もう少し深堀してみましょう。

本といっても、そのジャンルによって主要な目的は違います。

かつてのようにサラリーマンが司馬遼太郎の歴史小説を読み、そこから人間の生きざまを探るという時代ではなくなったのかもしれません。

誰もがもっとスピーディに核心をついた情報を知りたい。

もう待っていられないのです。

すぐに答えが欲しい。

わかりやすくいえば「タイパ」です。

タイムパフォーマンスの略です。

最も大切な核にあたる部分が時間とともに発酵してくるのを待てばいいのは、誰もが知っています。

しかしそれができない。

読書は情報収集ツールの役割を、強く意識せざるを得ない時代に入っているのです。

楽しみのために、将来の栄養素として自らの体内に蓄積させるものではなくなりつつあるのかもしれません。

もっと早く、もっと効果的な方法や手段があれば、読書そのものの行動は否定されてしまいます。

読書はタイパが悪いのでしょう。

もちろん、コスパも悪い。

国語力が落ちるのは確実です。

ブログの言葉

たとえば、ブログを考えてみます。

そこで使われる言葉はどのようなものでしょうか。

とにかく短く、わかりやすいものでなくてはいけません。

難しい表現は極力避けられています。

ユルフワな表現を混ぜながら、短文を繰り返します。

そうでないともう読めないのです。

できれば5分で読み流せるもの。

論理的な整合性のある結論までは欲していません。

簡単にいえば、1つだけ「いいね」がつく程度の時間潰しでいいのでしょう。

若い人に向けて発行されているラノベ小説には「会話」が多いです。

地の文と呼ばれる解説や説明部分はできるだけ省いて、会話でストーリーを運ぶ。

その分、文章は軽くなります。

改行も増え、余白が圧倒的に増えるのです。

すぐに読み始められ、どこででも中断できる。

鋭い感性に訴えたり、論理的に文意を追いかけていくようなものは嫌われます。

ブログの方法論が、そのまま一般の図書に広がっていると考えるのが自然です。

複雑な思考力を深めるのに向いているかといえば、明らかにNoと言わざるを得ません。

時代小説でさえも、近年は似たような状況です。

軽いエッセイ、評論のようなものが好まれます。

新書程度の厚さと大きさが手ごろなのでしょう。

誰もが長文は苦手なのです。

ネットの文章で、完全に長文離れがおきました。

書店の減少

そこへ追い打ちをかけたのが、書店の減少です。

ネットで買えばいいといえば、それまでのことです。

しかしそれほど単純な話ではありません。

書店というのは、書棚に並んだ本の背表紙をみせる商売だと感じます。

そのチャンスが次々と減っているのです。

街中にある書店が確実に減りました。

チェーン店も少しずつ消えています。

それとあわせて雑誌の廃刊も増え、単行本の売れ行きも落ちています。

独立書店と呼ばれる個人営業の店もあります。

しかしそれも経営は楽ではありません。

コンピュータ配本にのって流されていく書籍は、どうしても大きな出版社の本に偏りがちです。

国語の授業を長い間してきた経験からすると、国語力が弱っていくのを強く感じます。

学校で学ぶ国語の教科書は、完全に生徒の実感からは遠い世界の産物になりつつあります。

高校では『文学国語』と『論理国語』に分かれました。

どちらも4単位なので、全てを履修することは不可能です。

どんどん授業時間も減り、語彙や文法などに対する知識も減っていくのは間違いありません。

これからどうなっていくのか。

しばらくは様子をみるしかないでしょう。

あなたの考えをぜひきかせてください。

今回も最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

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