汚れつちまつた悲しみに
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は中原中也の詩「汚れつちまつた悲しみに」を読みます。
国語の教科書には必ず所収されていますね。
定番中の定番と言ってもいいでしょう。
なぜこれほどにこの詩が愛されるのか。
ある意味で不思議な気がしないでもありません。
悲しみが汚れるという表現には、いろいろな解釈があります。
授業で詩を扱うのは、大変に難しいのです。
詩は、基本的には個人で解釈するべき性格のものですからね。
余談ですが、人気の漫画「文豪ストレイドッグス」にも彼は登場しています。
ポートマフィアの幹部役です。
中原中也は主人公「太宰治」の元相棒という役どころでしょうか。
2人のコンビはこの作品の中でも、大変愛されています。
チャンスがあったら、ぜひ手に取ってみてください。
きっと続編が読みたくなるに違いありません。
この詩は、かなり授業で扱いました。
しかし正直に言って、理解するのはなかなかに難しい作品です。
何が難しいのか、わかりますか。
最大の疑問は、「悲しみ」が汚れるという表現の持つ意味です
この表現が素直に読み取れるかどうかで、意味が大きく違ってきます。
わずか30歳で亡くなった中也にとって、どのような悲しみがあったのか。
ランボー、ヴェルレーヌ、ボードレールといったフランス象徴派詩人への傾倒なのでしょうか。
小林秀雄と長谷川泰子
中原中也が、30年という短い生涯の中で最も深くつきあった女性といえば、長谷川泰子でしょう。
ある劇団の稽古場に出かけた時、彼女と出会いました。
中也は芝居の様子を見にいったのです。
長谷川泰子は彼よりも3歳年上でした。
その彼女と中也の関係が深まるにつれ、友人の小林秀雄との関係も複雑なものになります。
やがて泰子は、小林の元へ去っていくのです。
小林秀雄は文芸評論家として地位を確立しつつありました。
詩人として知られるようになっていく、中原との間に影を落としていったのです。
中原の詩を読みましょう。
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汚れつちまつた悲しみに 中原中也
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の皮裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところなく日は暮れる……
悲しみとは
中原中也の抱いていた悲しみとは何であったと思いますか。
これが究極の質問かもしれません。
もちろん、友人、小林秀雄との確執もその原因の1つでしょう。
しかし中原は小林を嫌っていません。
彼の元から泰子が去っていった後も、3人で遊んでいたりもしていたのです。
小林秀雄には中原の悲しみが見えていたのかもしれないのです。
それを象徴する短文を小林は書いています。
鎌倉の妙本寺を訪ね、境内にあった海棠の花を見た時のことです。
ぼくの好きな話の1つです。
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晩春の暮方、二人は石に腰掛け、海棠を散るのを黙って見ていた。
花びらは死んだ様な空気の中を、まっ直ぐに間断なく、落ちていた。
樹陰の地面は薄桃色にべっとりと染まっていた。
あれは散るのじゃない、散らしているのだ、ひとひら、ひとひらと散らすのに、きっと順序も速度も決めているに違いない、何という注意と努力、私はそんな事を何故だかしきりに考えていた。(中略)
長い沈黙のうち、過去の悪夢が甦り急に厭な気持になり、我慢できなくなってきた。」
その時、黙って見ていた中也が突然「もういいよ、帰ろうよ」と言った。
私はハッとして立上がり、動揺する心の中で忙し気に言葉を求めた。
「お前は相変わらずの千里眼だよ」と私は吐き出すように応じた。
彼はいつもする道化たような笑いをみせた。
ここには詩人と評論家の魂の交感があります。
お互いに相手の心の中にある本来見てはいけない悲しみの本質を覗き込んでしまったのかもしれないのです。
散っていく海棠の花に、何を感じたのか。
小林は「過去の悪夢」が甦ったと書いています。
それが何であるのかは明かされていません。
それだけに、かえって深い内容を想わせます。
妙本寺の海棠は、今も本堂の正面にあります。
チャンスがあったら、でかけてみてください。
死んだ中原
中原中也は、生涯に大切な人との別れを経験してきました。
8歳の時に弟を亡くし、18歳の時には長谷川康子に去られたのです。
29歳の時には愛息、文也を亡くしました。
次々と愛するものが手元から去っていったのです。
彼の『骨』などという詩を読むと、自分の骨までも第三者の目でみてしまう、詩人の悲しみに触れることになります。
見たくはなくても見えてしまう、というのが詩人の魂そのものなのです。
30歳の時にはついに黄泉の国へ旅立ってしまいました。
その時に小林秀雄は『死んだ中原』という詩を残しています。
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死んだ中原 小林秀雄
君の詩は自分の死に顔が
わかつて了つた男の詩のやうであつた
ホラ、ホラ、これが僕の骨
と歌つたことさへあつたつけ
僕の見た君の骨は
鉄板の上で赤くなり、ボウボウと音をたててゐた
君が見たといふ君の骨は
立札ほどの高さに白々と、とんがつてゐたさうな
ほのか乍ら確かに君の屍臭を嗅いではみたが
言ふに言われぬ君の額の冷たさに触つてはみたが
たうたう最後の灰の塊りを竹箸の先で積もつてはみたが
この僕に一体何が納得出来ただろう
夕空に赤茶けた雲が流れ去り
見窄らしい谷間ひに夜気が迫り
ポンポン蒸気が行く様な
君の焼ける音が丘の方から降りて来て
僕は止むなく隠坊の娘やむく犬どもの
生きてゐるのを確かめるやうな様子であつた
あゝ、死んだ中原
僕にどんなお別れの言葉がいえようか
君に取り返しのつかぬ事をして了つたあの日から
僕は君を慰める一切の言葉をうつちやつた
あゝ、死んだ中原
例へばあの赤茶けた雲に乗って行け
何んの不思議な事があるものか
僕達が見て来たあの悪夢に比べれば
重い詩ですね。
これが中原中也の悲しみの全てであったのかもしれません。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。