【刺客・荊軻】秦の始皇帝を暗殺するために考えついた秘策とは【史記】

刺客・荊軻

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は『十八史略』を読みます。

この本は元々2巻本でした。

明の時代に手が加わり、7巻になったのです。

元の曾先之(そうせんし)の選によるものです。

『史記』『漢書』以下の十七史に、宋代末の資料を加えて十八史としました。

そこから主要な記事を選んでつくり上げられた通史なのです。

その中でも、秦の始皇帝を暗殺しようとした荊軻(けいか)の話はよく知られています。

戦国時代(前403~前221年)に入ると、各国は周王朝の権威を次第に認めなくなっていきました。

自らを「王」と呼び、天下統一を目指すようになります。

その中でもひときわ強大だったのが、秦という国でした。

政というのが始皇帝(前246~前210年)の名前です。

前221年についに天下を統一し、皇帝となりました。

彼の作り上げた都は咸陽です。

万里の長城を知らない人はいないでしょう。

郡県制や官僚制を柱とする中央集権的専制君主体制を作り上げ、その後の国家体制の原型となりました。

陪葬墓として知られる兵馬俑坑の威容を1度は、写真などで見たことがあるはずです。

秦はBC230年に韓を、228年に趙を滅し、残った燕、魏、楚、斉は、そりの侵攻に戦々恐々としたのです。

次は逃げ帰った燕が潰されると感じた王は、荊軻に会います。

その時、荊軻に始皇帝暗殺を依頼したのです。

荊軻は、恩に報いるため、暗殺を受諾しました。

暗殺の方法

始皇帝は、何度も殺されそうになり、非常に警戒心の強い人物でした。

基本的に、自分のそばに人を寄せ付けなかったのです。

謁見する者からは、全ての武器を取り上げました。

そのため、よほどの策をこらさなければならなかったのです。

王宮に赴くためには、よほど始皇帝の喜ぶ貢物が必要でした。

荊軻は、そこで燕の領土の中でも最も肥沃な土地を割譲する証拠として、地図を持参しました。

しかしそれだけでは近くに寄ることもできません。

そこで秦からの亡命者、樊於期の首を持参しようとしたのです。

始皇帝を裏切ったため、一族を皆殺しにしました。

さらに首に金千斤と懸賞金を掛けるほど憎んでいた樊於期(はんおき)をみやげにしたのです。

樊於期は、自分の首で恨みのある始皇帝の暗殺ができるならと、喜んで自害しました。

その結果、荊軻は樊於期の首と地図を土産に秦に向かったのです。

その出発の日に詠んだ歌がこれです。

重臣たちは白い喪服を身に付け、易水のほとりで荊軻を見送ったと言われています。

中国の歴史には想像を絶するシーンが多いですね。

風、蕭蕭(しょうしょう)として易水(えきすい)寒し
壮士一たび去りて復(ま)た還(かえ)らず

荊軻に生きて帰れる可能性はありませんでした。

始皇帝は、樊於期の首と地図が届いた事を喜び、正装を身につけ、咸陽宮で引見します。

荊軻は巻物の地図の中に長細い匕首も忍ばせました。

荊軻はいつもと変わらない様子で前に進み出ます。

始皇帝が地図を求めると、隠しておいた匕首で突如斬りつけたのです。

一瞬の出来事でした。

荊軻は、柱を回って秦王を追いかけます

護衛の兵も動きがとれませんでした。

臣下が殿上に武器を持って上がることは法により禁じられていたのです。

破れば死刑になるという法がありました。

荊軻はあとわずかのところまで追い詰めましたが、失敗に終わり、惨殺されたのです。

本文を読んでみましょう。

書き下し文

喜太子丹、秦に質(ち)たり。

秦王政礼せず。

怒りて亡(に)げ帰る。

秦を怨み之に報いんと欲す。

秦の将軍樊於期(はんおき)、罪を得亡げて燕に之く。

丹受けて之を舎す。

丹衛人(えいひと)荊軻(けいか)の賢なるを聞き、辞を卑(ひく)くし礼を厚くして之を請ふ。

奉養至らざる無し。

軻を遣はさんと欲す。

軻樊将軍の首及び燕の督亢(とくこう)の地図を得て以て秦に献ぜんと請ふ。

丹於期を殺すに忍びず。

軻自ら意を以て之を諷(ふう)して曰はく、

「願はくは将軍の首を得て、以て秦王に献ぜん。必ず喜びて臣を見ん。

臣左手に其の袖を把(と)り、右手もて其の胸を揕(さ)さば、則ち将軍の仇報いられて、燕の恥雪(すす)がれん」と。

於期遂に慨然(がいぜん)として自刎す。

丹奔(はし)り往き伏して哭す。

乃(すなわ)ち函(はこ)を以て其の首を盛る。

現代語訳

喜の太子、丹が秦の人質となっていました。

秦王の政はこれを礼遇しませんでした。

丹は、腹を立てて逃げ帰り、秦を恨んで、報復しようとしたのです。

秦の将軍である樊於期は、罪を得て燕に逃れました。

丹はこれをきちんとした屋敷に住まわせました。

丹は衛の国の人、荊軻が優れた人物であることであることを聞き、言葉もていねいにし、手厚い贈り物をして彼を招いたのです。

その世話をする様子には至らぬところがないほどでした。

丹は荊軻を秦に派遣しよう考えました。

荊軻は、樊於期将軍の首と燕の督亢の地図をもらって、それを秦に献上したいと願い出たのです。

脱国者の首と領地の献上をすれば、秦の王が油断すると考えたからです。

しかし丹は樊於期を殺すに忍びなかったのです。

そこで荊軻荊軻は樊於期を訪ね、話をしました。

秦王に献上するために、将軍の首を頂戴したいという申し出です。

そうすれば始皇帝は、必ずや喜んで私に会うに違いありません。

私は左手で秦王の袖をつかみ、右手で其胸を突いてみせます。

そうすれば将軍の仇に報いることになり、燕の恥辱を晴らすことにもなるのです。

荊軻は熱弁をふるいました。

樊於期はその話を聞き、憤然として自刎しました。

丹はこれを知って駆けつけ、伏して泣いたのです。

その後、函に彼の首を入れたということです。

いかがでしょうか。

チャンスがあったら、このシーンの出てくる映画などを是非ご覧ください。

ものすご迫力のあるシーンです。

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お勧めします。

今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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